特命事項
俺の部屋にやってきたマッコリーは銀髪のかつらを無造作に脱いでテーブルに放り投げた。
「嗚呼」と呻きながら、どっかりとソファに腰を下ろす。
俺がコップに水を入れて持って行くと、ハンカチで頭を拭いながら、ゴクゴクと飲んだ。
「いやー、まいった。あのお転婆にはほとほと困った。前代未聞だぞ。寿命が何年縮んだことか」
「本当に」
あの場に同席した者は皆同じ思いだろう。
そして、国王陛下の怒りを一番近くで感じる侍従部署の長としての身の置き所のなさと言ったら想像を超える。「これからの予定はどうなるのですか?」
俺は窓の外に目をやった。すっかり夕景だ。
今日は両国の重臣も参席しての晩餐会が予定されており、そこで初めて二人はしっかりと顔を合わすことになっていた。
明日からは、茶会や散策、観劇などでレイとファミル皇女が少しずつ距離を近づけていくという算段だとも聞いていたのだが。
「やめだ。やめ、やめ」
マッコリーは顔の前で大きく横に手を振る。「あの状態で飯なぞ一緒に食えるはずがない。あの跳ね返り娘がまたぞろ何を言い出すか」
「良かった」
マッコリーと同じことを考えていた俺は胸を撫で下ろした。
晩餐会は同年輩がいた方が話が弾むだろうということで俺も参加させられることになっていたから、気を揉んでいたのだ。
「明日以降の予定も一旦、白紙にするしかない。これから緊急の会議だが、ガリュー様が何とおっしゃるか」
マッコリーは苦悶の表情だ。
「同盟関係にも傷がつきますか?」
「下手をすれば戦争になるぞ。あのじゃじゃ馬娘はそれが分かってるのか」
マッコリーは何故か俺を叱るように言う。「それで、だ」
「何です?」
「お前、じゃじゃ馬の傍におった侍女を覚えているか?」
マッコリーは「ファミル皇女」の名前を呼ぶのも嫌がっているようだ。
「あの、今にも倒れそうになってた人ですよね。可哀そうで見ていられませんでした」
「オッフェランのライガンという老臣が青ざめた顔でわしのところに来てな。あいつとは長い付き合いなのだが、ロイス四世陛下の御機嫌はいかがでしょう、と心配しておるのだ」
「そりゃ、当然心配でしょうね」
レイの気持ち一つで両国は戦争になりかねない。
ついこないだまで内戦に苦しんでいたオッフェラン帝国は大げさではなく存亡の危機だろう。
「あの温厚な陛下が怒り心頭だ。余程のことだぞ」
「私もあんな陛下を見たことがありません」
「わしらも戦争はしたくない。より仲良くなれると思っての婚姻話であるのに、その結果が戦争では、この婚姻を進めてきたガリュー様やわしらの面目も丸つぶれだ」
「はい」
「それでわしとライガンとで話し合って、あちらのあの侍女にお前と相談させることにした」
「私と?」
何故?
何故俺の名前が出てくるのか。
「陛下は時折、ここに来ておられるだろう。年の離れたわしらよりお前の方が気安く話せるのは道理だ。今日の件について、陛下がどのように考えておられるか、わしらよりお前の方が率直なところを聞き出しやすい。一方、あの侍女はファミル皇女との付き合いも長いらしく、陛下にとってのお前のような話し相手らしい。お前らは似たような境遇ってことだ。もうすぐ、侍女がここに来る。二人で事態を打開せよ」
マッコリーは立ち上がって、「分かったな」と念を押す。
「そんなの無理ですって」
何をどうしろと言うのだ。
事態の打開とは何がどうなることなのか。
「無理でも何でも、やるしかない。二国の平和はお前らにかかっていると言っても過言ではないんだぞ」
マッコリーは銀髪のかつらをかぶると、俺に反論の時間を与えず、そそくさと出て行った。
そして、間もなく部屋の扉がノックされた。
マッコリーの命令に対し、困惑極まってあたふた部屋の中をうろついているだけで何の考えもまとまっていない。
取りあえず一旦、居留守を使おうか。
そう思っていたら、勝手にドアが開いた。
「何だ。いるじゃん」
入ってきたのはモンシュだった。
「ちょっと、勝手に……」
「良いの、良いの、かたいこと言うなって」
モンシュは気安く俺の肩を叩く。「で?何が起こってるの?」
「何がって……」
急に俺は警戒心を強める。
先ほどマッコリーに命令されたことは、王宮内のトップシークレットに相当するような気がする。
軽々に口外するわけにはいかない。「何のこと?」
「だから、そういうの要らないんだって。もうネタは上がってるのよ。ベリーニが聞いてきたんだから。オッフェラン帝国の皇女が陛下に宣戦布告したとか何とか」
「宣戦布告?」
どうしてそうなる。「そんな物騒なことをベリーニさんは誰から聞いたんだよ?」
「そりゃ、お父さんでしょ」
「お父さん?」
「だから、マッコリー侍従長よ」
「へ?」
ベリーニの父親がマッコリー侍従長?
「知らなかったの?あんた、おめでたい人ね」
「だって、そんなこと誰も教えてくれないから。マッコリーさんって自分の娘を自分の職場に入れたの?」
「マッコリー侍従長は自分が侍従長の任期満了で公安部署へ異動することが決まってたから、皇太子の侍女に娘を送り込んだんだけど、すぐに前陛下がお隠れになってしまって、非常時のために異動が取り消されちゃったもんだから、娘と同じ職場のままになっちゃったのよね」
「そういうことか」
「で?起きるの?戦争」
モンシュは目を輝かせて訊ねてくる。
「そういうことは軽々しく口にするもんじゃないよ」
「何よ、かっこつけちゃって」
「そういうんじゃなくて……」
「とにかく陛下の婚姻話はなくなったと思って良いのね?」
モンシュは舌をペロッと出す。
「いや、それは……」
また、ドアがノックされる。
今日は客が多い。「はーい」
姿を見せたのはファミル皇女の侍女だった。
青白い顔で「こちらはジャスパー様のお部屋でしょうか?」と訊ねる。
「あ。エリゼさん!いらっしゃいませ。どうぞ」
モンシュが勝手に客を部屋の中に通す。
「モンシュさん。……お邪魔でしたか?」
「良いんですよ。ちょっと、無駄話をしていただけですから。こちらがお探しのジャスパー様ですよ」
モンシュは勝手に俺を紹介し、「じゃ」と軽く手を挙げて部屋を出て行った。
扉が閉まると、エリゼは何かに急き立てられているかのように早口で話し出した。
「ジャスパー様。単刀直入に伺いますが、ジャスパー様は先ほどのロイス四世陛下とファミル様のやり取りをご存じでしょうか?」
駄目だ。
逃げ場がない。
本当に俺はこの人と事態の打開とやらを図らねばならないのか。
俺は犯罪を自供するような追い込まれた気持ちで頷いた。
「まあ。あの部屋で陛下の隣に座っていたのが私ですので」
「あの御簾の向こうで座っていらっしゃった、異腹の双子という、陛下の影武者?の方ということですか?」
「ええ。一応、私が陛下の異腹の双子の役目を負っている者です」
エリゼの瞳が突然潤み、「ジャスパー様ぁ」と縋り付いてきた。
「もう私、どうしたら良いのか分かりません。お助けください」




