ファミル皇女の態度
御簾の向こうには既に女性が二人立っていた。
一人は華やかな髪飾りをつけ、艶やかなピンクのドレスに身を包んで頭を垂れている。
間違いなく彼女がファミル皇女だろう。
さすがは歴史のあるオッフェラン帝国の皇女。
凛としていて美しく、気高い感じのする女性だ。
その傍にキュエルが直立不動で立っている。
慶事においても彼女の落ち着きぶりは変わりない。
皇女の背後には、白髪の老紳士と皇女付きの侍女らしき女性が控えている。
「陛下。こちらが、オッフェラン帝国ファミル皇女殿下にございます」
侍従次長キュエルがいつもの抑揚のない声で隣国からの賓客を紹介する。
「ファミルにございます。本日は陛下の麗しき御尊顔を拝し、望外の喜びに存じ奉ります」
ん?
という感じでレイが微かにだが御簾の向こうに目を凝らした。
軽く膝を折って会釈するファミル皇女の挨拶に心がこもっていないように聞こえたからではないか。
レイの隣に座る俺のファミル皇女に対する印象はそういうものだった。
これまで何度か貴族の子女がレイに挨拶をする場面に立ち会ったことがあるが、こんなにも冷ややかな態度は初めてだ。
文化の違いもあるかもしれないが、ファミル皇女の挙措はどこか投げやりで敬意の様が感じられず、逆に反抗心のようなものが透けて見える気がする。
「大儀」
レイはいつもの返事をした。
俺の時もそうだった。
冷たい感じがするのは確かだが、これが長年の習わしであるし、レイとしては、相手によって温度差をつけることがないようにしているらしい。
国王が示す一挙手一投足に周囲の人間は細心の注意を払う。
心の裡を勝手に推察し、忖度するから、軽々に違いを示すのは怖いと言っていた。
謁見の時間はこれにておしまい。
付き添いの侍女がファミル皇女に小さく声を掛け、退出を促す。
「この王宮はたいそう立派ですが、そこに住まわれる方々には遠路やってきた他国の客の労をねぎらい、もてなすという教養は備わっていないようね」
ファミル皇女の言葉に執務の間が凍り付いた。
ファミル皇女は自分の侍女に顔を向けてはいるが、その発言が王宮の主であるレイに投げたものであることは疑いない。
「ファミル様!」
侍女が小さな声だが、きつい口調でファミル皇女をたしなめる。
しかし、皇女は聞く耳を持たないようで、「大儀の一言だけとは、馬鹿馬鹿しい」とさらに声を張り上げた。
侍女は両手で口を覆って硬直した。
御簾越しにも顔色が消えていくのが分かる。
「早く御退出を!」
控えの小部屋から走って玉座の裏まで出てきたマッコリーが叫ぶ。
執務の間の扉が外側から開かれ、皇女の傍にいた白髪の老紳士が彼女の肩に手を当て、半ば強制的に出口に誘う。
ファミル皇女はその手を振り払い、長いスカートを摘まんでツカツカと歩いて行く。
「お待ちください!」
ファミル皇女を呼び止めたのは、レイだった。
王宮の主人の声で執務の間が再度停止する。
俺は最悪の事態になったと思わず息を飲んだ。
ゆっくり振り向いたファミル皇女がすぐ目の前に位置する侍女を手で押しのける。
侍女は体をふらつかせた。
「何か?」
「あえて、訊ねますが、あなたのその態度はオッフェラン帝国の我が国に対するものと理解してよろしいのですね?」
「いえ。陛下。そのようなことは……。滅相もございません。どうか、どうか、平にお許しを。皇女には私から……」
白髭の紳士は気の毒なぐらいに困惑極まった表情で何度も頭を下げる。
オッフェラン帝国で長年様々な窮地をくぐり抜けてきたであろう彼もこれほどまでの難関は経験していないのではないか。
しかし、ファミル皇女は家臣の立場など気にも留めないのか、無遠慮な言葉を続ける。
「その、我が国を脅すような物言い。対等の同盟国であるはずが、やはりリーズラーン王国はオッフェランを従属国と蔑んでおられるようだ」
「そちらこそ、リーズラーン王国を同盟国と見ているのであれば、同盟国の君主に対する礼儀というものがあるでしょう」
レイも完全に頭に血が上ったようだ。
ガリュー宰相に対するときとは違って、血走った目には冷静さが欠片も見られず、全身が怒りに満ち溢れているように見える。
「陛下。少し御言葉が……」
たまらず俺が隣から小声で話しかけるが、耳に届いているかどうか。
「礼儀?」
ファミル皇女は唇を歪めた。
笑ったのだろうか。「笑止。であれば、この御簾は何か。陛下の隣に座る者は何者か。遥々訪ねてきた私を妻として親しく迎え入れようという気持ちがどこに見えましょう?」
ファミル皇女の厳しい視線を向けられて、俺は御簾越しでも心臓が痛くなる。
まともに向き合っていたら、泡を吹いて失神しそうだ。
「これは我が国が長年培ってきた経験からくる危機管理の手法です。他国からやってきた初対面の方にとやかく言われる筋合いはない。いや、あなたのような敵意むき出しの人が来た今こそ、この御簾や異腹の双子の仕組みに意味があったと再認識できました。心より感謝します」
お引き取りください、と強く言い放った今のレイには下手に声を掛けると、より怒りが炎上しそうで俺は為す術なく押し黙った。
ファミル皇女はレイから厳しい口調で退出を求められ、少し肩を揺らした。
視線が床に落ち、口元に手を当てる。
「そ、そのような危機管理の話は初めて聞きましたが、危機管理が大事か、もてなしが大事か、今一度検討されてしかるべきかと」
「初めてのはずがないでしょう。昨晩、そこにいる侍従次長キュエルがお伝えしているはずです。我が臣を貶めるような発言は慎んでいただきたい」
ファミル皇女はこちらに背を向け、無言で執務の間を出て行った。
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申し訳ありませんが、近いうちに、更新頻度を少し落とさせていただくと思います。
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