レイの気遣い
出てきたのは召使の老婆だった。
この老婆は俺が生まれる前から、ベルモンド家に仕えてくれている。
「あっ!お坊ちゃま」
「やあ」
俺は恥かしさを押し殺しながら、小さく手を挙げた。
「何とまぁ……」
老婆は口をあわあわさせながら、小走りで屋敷の奥へ駆けて行った。「旦那様。奥様。大変です!」
やがて、奥から母が走り出てきた。
「まぁ、本当に。ジャスパー……。こちらは?」
母は俺の斜め後ろに立っているレイを見る。
「こちらは、ロイス四世陛下だよ」
「こんにちは。いつもジャスパー君にはよくしていただいています。今日は、友人のジャスパー君の家にどうしても行ってみたいという余のわがままを聞いてもらいまして、お邪魔しました」
「陛下?国王陛下?」
母も大きく口を開けて先ほどの老婆と同じように、奥へ駆けて行く。「あなた!あなた!」
「ちょ、ちょっと。母さん!」
この国の王が来ているのに、玄関に置き去りにするなんて、何を考えているんだ。
そう思っているところに、背後でレイが吹き出すのが聞こえた。「申し訳ありません。陛下をお待たせするなんて」
「いやいや。突然、余が前触れもなく来たらこうなるんだね。面白い」
レイは楽し気に玄関の中を見渡した。「これは先代だね」
玄関の壁に掛けられている一人の男性の肖像画をレイはしげしげと見つめた。
確かに、それはレイの父親、ロイス三世の在位三十年を記念して描かれた肖像画の写しだ。
「我が家は遠くではありますが、王家の血を引いているということを誇りにしておりまして、王室への畏敬の念はかなり深いものがあります」
「それは、ありがたいこと。そうか。余とジャスパーは遠い親戚でもあるのか」
「本当にそうなのかは深く追究しないことにしています。そうだったら良いな、ぐらいのことです」
「それなら、ジャスパーにもあの力があるかもしれないな」
「あの力?」
「あれ?ジェイ兄?」
背後から現れたのは妹のリーンだった。
学校帰りのようだ。「どうしたの?もうクビになったの?」
「馬鹿言うな。それよりも、こちらはロイス四世陛下だぞ。ご挨拶を」
「へ?ロイス四世陛下?嘘?」
「こんにちは。ロイス四世です。って、自分で名乗るのは変な感じ」
「えー!すごい!我が家に国王陛下がご来駕って」
「ジャスパー。そろそろお暇しようか」
レイがいたずらっ子のような目で俺を見た。
今日のお忍びでの外出は、俺が異腹の双子を引き受けたときの両親の様子を話したのがきっかけだった。
父親に叱られ、勘当されたと聞いたレイが急に「今から、ベルモンド家に行きたい」と言い出したのだ。
その狙いは俺にも良く分からない。
「そうしましょう。私はこの家に上がることは禁止されていますので」
俺としては父親と顔を合わせるのは、できることなら避けたかった。
罵倒されたことに対してのわだかまりがまだ心に積もっている。
「そ、そんな困ります。すぐに両親を呼んでまいりますので」
リーンが慌てている。
こういうリーンはあまり見たことがない。
「良いのです。これをお渡しください」
レイは懐からカードを取り出した。
“ジャスパー・ベルモンドは余の唯一無二の友。良き友を得て、余の人生はたちまちに豊かになった。ロイス四世”
そう書かれているのを見た瞬間、俺の目からじわっと涙が溢れた。
お世辞や社交辞令であったとしても、レイのその手がこの言葉をカードにしたためたのだ。
その事実に俺は生きてきた甲斐を感じた。
自分以外にこんな栄誉に浴した国民がいるだろうか。
もう思い残すことはない。
俺は自分の一生をもってレイに尽くそう。
そう胸に深く刻んだ。
両手で受け取ったリーンはカードをひっくり返して、「わっ」と声を上げた。
そこには、王家の紋章である賢者の杖とドラゴンの羽の模様が大きく描かれている。
国民はこの紋章に最高の敬意を示さなくてはならないと王立学校では厳しく指導されている。
リーンは急に膝を折って恭しくカードを掲げた。
「では。ご家族の皆様によろしく」
レイは颯爽と踵を返して玄関を出て行った。
俺もその頼もしい背中を追う。
あのカードはベルモンド家の末代まで語り継ぐ家宝となるだろう。
額装されて、応接間にでも飾られるはずだ。
勘当息子が家宝をもたらした。
これで、少しは家族を見返してやれたかな、と俺は胸が空く思いだった。




