お忍びの外出で家族を見返す
「やっぱり、やめましょうよ」
「今さら、どうしたんだよ、ジャスパー。君らしくもない」
「そう、おっしゃいますが、ばれたら大変なことになりますよ」
馬車の窓には、少しずつ見慣れた景色が現れて、俺はどうにも落ち着かない。
「ばれたらも何も、侍従長には伝えてあるんだよ。何を怖がってるの?」
「それ、本当ですか?どうして侍従長の許可が下りたのか分かりませんけど、私が恐れてるのは、そこらの人にばれたらってことです」
レイと俺は二人で馬車に乗って王宮の外に出ていた。
御者以外に護衛のない、お忍びの外出だ。
そして間もなく目的地に到着する。
「ばれないって。ばれようがないよ。そりゃ、国王専用の豪華な馬車なら目立つけど、こんな何の飾りもない地味な馬車に国王が乗ってるなんて誰も思わないし、そこらの人は余の顔を知らないんだから」
「そうでしょうか」
「そうだって。それに、ばれたって……」
レイはいたずらっ子のような目で俺を見た。「何とかなるって」
「あ。それ……」
俺の口癖だ。
しかも、何となく俺の言い方を真似している感じがして恥ずかしい。
俺がすねた顔をすると、レイは今まで見たことがないぐらいに楽しそうに笑う。
「そうだ、これ」
レイは右腕に着けていたブレスレットを外して、俺に手渡す。
俺は一度押し頂いてからブレスレットを見つめる。
「これって……」
「やっぱり、この一つ以外はイミテーションになっちゃったんだけど」
レイはブレスレットに並べられた五つの赤いルビーのうちの一つを指差す。
確かに良く見ると、その一つだけ他とは違う輝き方をしていた。
透明度が高く、表面がつややか。
目を凝らして比べて見れば他のものは少し輝きが鈍い。
しかし、一見しただけでは違いは判別できない。
「いただけるんですか?」
ブレスレットの内側に描かれた賢者の杖とドラゴンの羽の王家の紋章にドキッとする。
この紋章が描かれたものは手にすることすら畏れ多い。
「そうだよ。誕生日のお祝いと友情の証としてね。勝手に売り飛ばしたら、不敬罪だからね」
レイは楽しそうに窓の外を眺める。
「誕生日ってご存じだったんですか?」
「もちろん。余と十日違いだから覚えやすい」
「私は何もできませんでしたのに」
十日前。
国王の誕生日を祝う食事会は華々しく挙行された。
その陰で俺にできたのはコニールたちと庭園の草花で花束を作ったぐらいだ。
俺は国王にプレゼントするものを何も持っていない。
「花束をもらったよ。重臣たちのおべっかより、よっぽど嬉しかったな。」
今日はいつになく、レイの口数が多い。
俺が困っているのが楽しいのか、お忍びでの外出が珍しいからなのか、友人の家に遊びに行くというのが初めてだからなのか。
おそらく全部だろう。
受け取ったブレスレットを左腕にはめながら、俺は、レイがこれだけ喜んでくれるのなら、家族が驚いても腰を抜かしても仕方ない、と割り切った。
やがて、懐かしい実家の前に馬車が止まると、苦い思い出が胸に去来する。
異腹の双子に選ばれたときの父の落胆ぶりと憤りは忘れられない。
門の黒い鉄柵が刺々しい感じがして、手に触れるのも勇気が要る。
「へぇ。これが、ジャスパーが育った家かぁ」
レイは俺の横に並び立った。
「王宮と比べてはいけませんよ。伯爵家としては普通の大きさですし、家族五人が暮らすには十分な広さです」
「狭い、だなんて言ってないじゃないか。しっかりした門構えだし、あちらの庭園は手入れが行き届いてる」
「そう言っていただけると母が喜びます。花を育てるのが趣味なので」
道路を往来する人々の視線が気になる。
俺が異腹の双子として王宮に入ったことを風のうわさで知っている人もいるだろう。
そういう人に気軽に話しかけられると言葉に窮する。
いつまでもこうしていられないと俺は門を開いて中に入り、石畳を歩いて玄関ドアに向かった。
ドアは外に向かって開かれており、近寄ると微かに慣れ親しんだ実家のにおいがして、不意に目頭が熱くなる。
そこは拍子抜けするぐらいに何も変わっていないベルモンド家の玄関だった。
時間の感覚が歪んだような気がしてくる。
ここを出たのはいつだったろう。
まるで、今朝、王立学校に登校して、授業を終えて帰ってきたような気分になる。
あれからもう三か月以上経っているはずなのに。
一瞬、何と声を掛ければ良いか逡巡した。
勘当された身で「ただいま」は違う気がする。
しかし、「ごめんください」は余所余所し過ぎる気もする。
「こんにちはぁ」
間の抜けた挨拶をしてしまった。
自分の家なのに、「こんにちは」はおかしかったか。
同じことを思ったのか、レイのクスクス笑う声が後ろから聞こえてくる。
「はい。どちら様?」




