気楽な次男坊
「陛下がお隠れになって、政務に携わる人間が刷新される可能性があるってことよ。もちろんガリュー宰相が中心に座って引き続き取り仕切られるだろうけど、陛下をお支えする年老いた重役の中には、この機に職を退く人が出てくるかもしれない。その代役をお父さんは狙ってるわけ。それで今までのしがない領地経営に汲々とするだけじゃなく、名誉と権力のある政務中枢の椅子を勝ち取ることができるかもしれないと思ってるのよ」
「マジ?父さんって、そこを狙える地位にいるわけ?」
「お父さんが、良く言うじゃん。わしにも皇位継承権はあるんだって。寂れたとは言え、このベルモンド伯爵家は遡れば王家の血を引いてるからね。誇り高きベルモンド家の復興。お父さんの悲願が成就すればいいんだけど」
リーンは皮肉っぽく、どこか他人事のようにベルモンド家の置かれた状況を分析する。
この一歳下の頭脳明晰な妹の言葉は、聞く者の心をヒヤッとさせるところがある。
「リーン」
母親に再度ジロッと睨まれて、リーンは「はい、はーい」と自室へ引き上げていった。
俺は王国の現状と今後について知りたくて、彼女を追って部屋に入った。
博識の妹から少しでも知識を得て、今度コニーと会う時に良い格好をしたい。
質素な鏡台とベッドだけと言っても良い、年頃の女子にしては飾り気のない部屋だ。
「しかし、父さんも大変だよな」
ベッドに座って窓の外を眺めながらジャガイモを食べるリーンに声を掛ける。
「本当に。結果は見えてるのにね」
「え?見えてるの?」
驚く俺にリーンはあきれ顔を左右に振って「ジェイ兄さぁ」と言う。
俺はリーンからジェイ兄と呼ばれている。
ビゼー兄さんのことはビー兄だ。
「平時にも取り立ててもらえないのよ。いわんや、陛下が亡くなられた、この混乱期をや。今、必要とされるのは家柄より能力よ」
俺はリーンの発言にドキッとして慌ててドアを閉める。
こいつ、今、自分の父親のことを能無しと言いやがった。
いくら怖いものなしの末娘でも、言ってはいけないことがある。
とても母さんには聞かせられない。
俺はリーンの勉強机の椅子に座り、立ててあった本を意味もなく開く。
「陛下がお隠れになって、何となくなんだけど、不安だよな。実際は喪が明けたら、みんなまたいつもの日常を繰り返すんだろうけど」
「四十年間も頂点に立ってた人が消えたのに、何も変わらないなんて、つまんなくない?」
「おい!」
さすがの俺も肝が冷える。
こんなこと、家の外の誰かに聞かれたら、不敬罪で訴えられかねない。「さっきから発言が不謹慎だぞ。外でそんなこと絶対に言うなよ」
俺は声を潜めつつ、努めて重い口調で妹を叱る。
「何?ジェイ兄まで、そんなこと言うの?」
普段から好奇心旺盛なリーンは口を尖らせる。「それより、ジェイ兄ってお父さんが言ってた先の争乱って覚えてる?」
俺が生まれたころに起こった内戦。
この動乱の中で功績を上げたガリュー宰相がやがて位人臣を極め、王国の内政と外交を司るようになったと聞く。
しかし……。
「生まれてすぐだぞ。覚えてるわけないだろ」
「だよね。ジェイ兄は今朝のことも覚えてないような気がするけど」
「はぁ?」
今、ものすごく馬鹿にされた気がする。
「あの内戦のことって歴史って言うには最近の出来事すぎるし、だけど、王国のタブーみたいなところがあって、大人もあんまり話してくれないし、実際に何があったかは良く分からないよね」
「ああ。確かに良く分からない」
分からないことと言えば、もう一つある。「なぁ。蒲柳の質って何?」
「病弱ってことよ。そんなことも知らないの?」
「あ、ああ。そうだった、そうだった。しっかし、レイパード皇太子殿下も大変だよな。病弱なのに、俺と同い年の若さで一国の治世を任されるなんて」
「ほんとに。片や、同い年でも胃腸が丈夫ってことだけが取り柄の、斜陽貴族のお気楽次男坊。片や、生まれながらにして次期国王の肩書きを背負わされて、十代で本当に国王にされてしまう病弱な皇太子殿下」
「何てお気の毒」
俺は気楽な次男坊の笑顔でリーンの部屋を出た。
父が帰ってきたのは明け方だった。
精も根も尽きた、それこそ幽界から出てきたような青白い顔で、玄関脇の椅子に腰かけて、靴を脱ぎながら寝てしまったようだ。
それを見つけた母親が、こんなみっともない姿を使用人に見られてはいけないと俺を叩き起こし、寝室に担がせた。
父親の吐く息の酒臭さに目がくらみそうだ。
「やることは、やった。やったぞ、わしは」
ベッドから半身を起こし、それだけを叫ぶように言うと、父はそのままぐったりと倒れ、すぐにいびきをかき出した。
正体不明になるまで酔っぱらって、何が「やることは、やった」のか。
まだ寝足りない俺はいらいらしながら自分の部屋に戻った。
目が覚めてしまった。
ため息をつきながら、ベッドに横たわると、意外にすんなり眠りに戻ることができて、次に起きたときには思わず自分に笑ってしまった。
二度寝ができるなんて、国王が死んでも世界は平和だ。
いつまでもこの平和が続いてほしい。
王宮からの使者がやって来たのは喪明け前日の夜だった。