近衛兵団副団長コールマン
「陛下。なりません」
ガリューが呆れ顔を左右に振る。「臣に頭を下げられるなど、威信に傷が付きます」
「良いのです。そんなことよりも、失火の責任は誰にあるのか、その者にどういう処置を行ったのか、教えてください」
「失火は警備の者の煙草の火の不始末で、その者は既に極刑に、一族にも重い罪を処しております」
「極刑……。責任者は誰なのですか?煙草の火の不始末ということですが、兵糧庫のそばで煙草を吸って良いことになっているのですか?」
部屋の中の末席で誰かが立ち上がった。
「ひ、ひ、兵糧の管理は農政長官の私の務めです。で、ですので、謝罪文を、宰相に提出しております。士気につながりますので、王宮内での煙草は全域で認めております」
農政長官は急に自分の責任について問われ、あたふたしている。
声が裏返ってしまっていて、言葉もスムーズに出てこない感じで、緊張で倒れないか心配になる。
「謝罪文を書くだけで、あなたは許されて、庶民は重税を負うのですか?あなたのこれから三か月間の俸給の一割を返納してください。それから、兵糧庫や宝物庫の付近ではどんな小さな火でも取り扱うのは禁止してください。他にも燃えて困るものがあるところでの煙草は禁止します」
「陛下」
ガリューが失笑とともに意見する。「燃えて困らないところは王宮内にはございません」
皮肉ともとれるような言葉を笑いながら口にするとは、国王陛下に対して失礼だろう。
やり場のない怒りに俺は玉座の肘掛けを無言で握りしめた。
「では、今日から王宮内では全域で煙草を禁止します。喫煙する区画をいくつか設けて、そこでのみ喫煙することを認めます」
「陛下。そのようなことを行っては、家臣の士気に関わります」
レイの本気を悟ったのか、ガリュー宰相の声が急に引き締まる。
「家臣の士気も大事ですが、庶民の暮らしや気持ちも大切です。兵糧を庶民の血肉だと思えば、できるでしょう。それから……」
「まだ何か?」
ガリュー宰相の隠しきれない呆れと不満が、その声に明確に宿る。
「竜騎隊の訓練場所が一つ余っていませんか?」
「訓練場所?」
「ここからそう遠くないところで五年前に新たに訓練場所に追加した丘陵地がありますね。どういう経緯かは詳しく知りませんが、そこを所有者から購入し、国庫に収め、竜騎隊の訓練場所として指定はしたが、その後、一度も竜騎隊の訓練に使われたことはないとか。何故なら、そこは居住区域にほど近く、また、ドラゴンが飛ぶには手狭で、戦闘訓練を行うと、周辺に住む民家に被害が出る可能性が高いからだそうな。そんな危険な場所を竜騎隊の訓練場所として購入すること自体がおかしいと思いますが、今さらそこを蒸し返しても仕方ありません。私が言いたいのは、そのような土地を遊ばせていては勿体ないということです。いっそ、市中の豪商にでも売り払い、そのお金で飢える国民に施しを与えてはいかがでしょうか?」
あっ、と俺はレイの横顔を見た。
この訓練場所とは、先日竜騎隊の基地に視察に行く途中にレイがマッコリーに質問していた土地のことに違いない。
あれから、レイはこの土地のことを密かに調べていたようだ。
「いかに陛下のお言葉とは言え、竜騎隊にまつわる事柄に簡単に変更を加えることは承服いたしかねます。竜騎隊は我が国の軍事の要。竜騎隊の圧倒的な軍事力あってこそ、この王国の繁栄が守られるのです。その竜騎隊の実力の高さゆえに、竜騎隊は前線での活動を行う部隊でありながら、国王直轄の近衛兵団に組み込んでいるのではありませんか。その丘陵地が何の役にも立っていないとおっしゃるのは、竜騎隊として国のために命を捧げる兵士にあまりに酷では……」
「勘違いしないでください、ガリュー宰相」
レイは立ち上がって、ガリュー宰相と御簾を挟んで対峙した。「私は竜騎隊を否定しているのではありません。竜騎隊の訓練場所だろうが国王の被服だろうが、使うあてがないものを作るのは勿体ないと言っているのです」
俺はただ呆然と隣に立つレイを見上げた。
侍従長から執務の時間においては一度着席したら、終了まで立ち上がってはならないと言われていた。
それで御簾の向こう側に並ぶ重臣たちに、どちらが国王でどちらが異腹の双子が分かってしまう可能性があるから。
しかし、今、ガリュー宰相に対して物怖じするどころか、一歩も退かない意志を示し論陣を張るレイの気迫に圧倒されて、俺は何もできなかった。
後ろの小部屋に控える侍従も何も言ってこない。
「一言、よろしいでしょうか」
ガリュー宰相とは別の方角から雄々しい声が上がった。
「何じゃ、コールマン。貴様、近衛兵団副団長の分際で陛下と臣の間に割って入る気か。差し出がましいわ」
ガリュー宰相はレイに対して溜め込んでいたどす黒い怒りをぶちまけるようにコールマンに向かって声を荒げた。
「恐れながら、現在、近衛兵団団長マイラスは怪我の治療のため一時的に職責を返納しており、副団長の私に近衛兵団の統括の役目が任されております。竜騎隊も近衛兵団の一部隊。臨時ではあれ、現在は私の統括下にございますゆえ、発言の許可を求めた次第」
コールマンの落ち着いた口調での筋道立った説明にガリュー宰相も歯噛みをするだけだ。
「ではコールマン副団長。あなたの意見を聞かせてください」
レイの指名を受け、コールマンは緊張を感じさせず、とうとうと喋り始めた。
「陛下のご指摘の通り、あの丘陵地は竜騎隊の活動に何の役にも立っておりません。一度も訓練を行ったこともなければ、ドラゴンが羽を休めたこともありません。あの地に集まった複数のドラゴンが一斉に飛び立ったら、その時に巻き起こす暴風で近くの家々が吹き飛ぶのは必定。国民を守るための竜騎隊が、そのような場所で訓練を行い、国民に怪我をさせては本末転倒。しかしながら、訓練場所として管理は怠ることができず、木々の剪定や、雑草の刈り取り、境界の管理など、隊士に無駄な仕事が発生しております。もともとあの地はどこぞの公爵家の所領であったようですが、その懐具合に問題ができたゆえ、竜騎隊の訓練場所という名目で半ば強引に王国に買い取らせたという噂もございます。庶民に年貢の特別徴収を行う前にできることがあるとの陛下の御指摘、ごもっともと思慮いたします」
ガリュー宰相の言葉にならない、唸るような喉の音が肉食獣の威嚇のように聞こえて、俺は生きた心地がしない。
「ガリュー宰相。余の意見も踏まえ、もう一度検討してはいただけませんか?」
「陛下の、思し召しとあらば……」
ガリュー宰相は悔しそうに閉会を宣言し、重い足音を立てて執務の間を出て行った。
扉が閉まる音と同時にレイがその場に崩れ落ちた。
拍子に玉座に腕がぶつかり、ブレスレットから赤い宝石が一つ外れて、跳ねた。
「陛下!大丈夫ですか!陛下!」
俺は咄嗟にレイの上体を腕に抱え、懸命に呼びかけた。
血の気なく、ぐったりしているレイの目に光がない。




