婚姻に関すること
「ねぇねぇ。ベリーニさん」
俺はソファに座って本を読みながら、部屋の掃除をしてくれている侍女のベリーニに話しかけた。
ベリーニは王立学校を卒業して間もない十九歳。
ジャスパーより少しお姉さんだが、フワッとした雰囲気で話しやすい。
外見も太っているわけではないが、少しフワッとしていて、白い肌がモチモチと柔らかそうだ。
「何ですか?」
「ベリーニさんは陛下のお部屋も掃除するんですか?」
ベリーニは恥ずかしそうに「まだ、一度だけ」と指を一本立てた。
「陛下のお部屋は広いですし、あまり時間をかけてはご迷惑ですので、三人がかりでやっているのです。本当は侍女として一年は経験がないと、陛下にお仕えしてはいけないんですけど、人手が足りない時に、臨時で入らせていただきました」
「へぇ。そんなに広いんですか。大変ですね」
「ジャスパー様の方が大変ですよ。そろそろ執務の時間ではありませんか?」
そうだった。
同年輩の、しかも女性と会話をできるのは貴重なので、ついつい時間を忘れてしまう。
癒し系のベリーニとの時間を打ち切るのは温かくて肌触りの良いブランケットを剥ぎ取るような肌寒さだ。
俺は慌てて執務の間の小部屋に入った。
間もなくロイス四世が現れて、俺は間一髪だったと額の汗を拭う。
そして、ロイス四世と簡単に交わした挨拶に昨日の俺の失言に対する怒りは見られず、ほっと胸を撫で下ろす。
今日はロイス四世に先行して執務の間に足を踏み入れることになった。
二人が座ったところで、国王の執務が始まる。
独特の緊張感をロイス四世の一言が打ち破る。
「聞こう」
開幕の合図とともにガリュー宰相が立ち上がり、居並ぶ重役たちをジロッと睥睨する。
玉座のある御簾の方に顔を向けても腰を低くする様子は一切見えない。
「陛下。今日は、陛下のご婚姻に関することです」
ガリュー宰相の声はいつもながらに重々しい。
「婚姻?」
この手の話は……、と思ってロイス四世の顔を覗き見ると、やはりそのブレスレットの宝石と同じぐらいに顔が赤くなっている。
「そうです。現在、同盟関係にある隣国、オッフェラン帝国から皇女を陛下に娶ってもらいたいと、提案がありまして。前々からあちらからそういう話は出ておりましたが、同盟関係と言ってもまだ日が浅く、それ以前は長年敵対し干戈を交えてきた関係ですので、しばらく静観しておりました。しかし、この度、改めて正式に話がまいりまして、是非にということですので、この話を進めることとしました」
「え?進める?それは、決定ということですか」
ロイス四世の声に戸惑いが滲む。
「はい。オッフェランは今でこそ我が国の軍事力を背景に生きながらえる従属国のようなものですが、かつては強固で残忍な軍隊で周辺国を威嚇し、こちらが圧迫されている時期もありました。この度、オッフェラン帝国が皇女を差し出すと皇帝名のへりくだった親書を送ってきておりますから、無下に断ることもできますまい」
「差し出すって……」
ものじゃあるまいし、とロイス四世がボソッと言ったのは御簾の向こうに届いただろうか。
「国家間の婚姻とは、事実上の人質の提供。ですが、それで同盟関係が強固になるのもまた事実」
「そう、ですか……」
ロイス四世は表情をかげらせ、黙ってしまった。
当然だろう。
結婚は人生の一大イベント。
伴侶の存在はこれからの人生の大きなウエイトを占める。
それが、こんな風にいきなり他人に進められてしまう。
相手は文化も風土も知らない他国の女。
顔かたちも、性格さえも分からない。
名前も年齢も教えてもらっていない状態で決定と言われ……。
しかも、まだ十八歳なのに。
「何かご不満が?」
「……いいえ。けっこうです」
ガリュー宰相の問いかけ方は陛下に失礼ではないか、と俺は奥歯を噛みしめた。
ロイス四世にしてみれば、一生支え合う妻について何も知らされないまま、家臣の手で決められることを淡々と受け入れるのは難しい。
しかし、ここで重臣たちの決定に逆らって、わがままな国王と思われるのも本意ではないだろう。
苦い薬草を飲み下すような表情でガリュー宰相に了解を与えたロイス四世が可哀そうでならなかった。
重臣たちが口々に「おめでとうございます」と祝辞を述べるのをロイス四世は虚ろな表情で受けた。
それをすぐ隣で見続けるしかない時間の居たたまれなさと歯がゆさは苦痛でしかなかった。
執務が終わると、ロイス四世が部屋にやってきた。
「余はコニールを推す」
「はぁ?」




