国王の逝去
カラス、カラス、カラス……。
窓から差し込む春の陽気にうつらうつらしていたところ、不意に肌寒さを感じて、ふと仰ぎ見た空一面を黒々と覆う凶鳥の群れ。
俺は思わず立ち上がって息を飲んだ。
首に下げている赤いルビーの魔法石。
生まれたときに両親から与えられた守り石を服の上から無意識のうちに握りしめる。
胸がザワザワ落ち着かない。
何かが起きている。
恐ろしい何かが。
「ジャスパー君、どうしたんだ?授業中だぞ。聞こえないのか?座りたまえ。ジャスパー・ベルモンド君。座れと……何だ、これは」
近づいてきた教官が窓外の異変に言葉を失う。他の学友も授業そっちのけで、こぞって窓にしがみついた。
「何だよ、これ。何か起きるのか?」
「一体、何羽いるのかしら。不気味」
口々に不安を漏らす教室にけたたましく校内放送が響き渡る。
【王立学校の生徒諸君に告ぐ。国王陛下がお隠れになった、と王宮から発表された。本日の学科は只今をもって終了とする。直ちに家路につきなさい。それぞれ陛下の御冥福を祈り、今日から三日間、喪に服すように。繰り返す。国王陛下が……】
生徒は皆、一様に暗い表情で押し黙って校舎を出た。
国王ロイス三世は四十年の長きにわたってこのリーズラーン王国を治め、国民は敬愛と畏怖の気持ちで彼をキングオブキングスと呼んでいた。
この王立学校の生徒にとって、国王とはロイス三世のことでしかなく、何なら、教官でさえ先代(ロイス二世)の治世を知らない人が多い。
国の象徴とも言うべき国王。
長年敬い、忠誠を尽くしたロイス三世陛下の死去に、きっと誰もが漠然とした不安に駆られている。
「ジャスパー様」
振り返ると、コニーが駆け寄ってきた。
「コニー」
コニール・オーセンダクス。
一歳年下の俺の可愛い許嫁だ。
二年後、彼女が王立学校を卒業したら婚儀を執り行うことになっている。
昨年、両家において正式に婚姻を決めてからは、公然と屋敷の俺の部屋に招くこともしばしばだ。
その時は年相応に二人きりの時間を楽しんでいる。
「この国はどうなってしまうのでしょう?」
「んー。まあ、何とかなるよ」
「また、それですか?……さすがに少し不謹慎では?」
コニールは声を潜め、たしなめるように言う。
それは俺の口癖のようなものなのだが、国王が死去して、「何とかなる」は確かに不謹慎だったかもしれない。
だけど、俺やコニールは知らないが、これまでも国王の代替わりは何度もあったわけで、その都度、何とかなってきたから今日のこの国の繁栄があるのだ。
それに、「不安で仕方ない」なんて言ったら、次に王位に就かれる皇太子殿下に失礼じゃないか。
「だけど、大丈夫だって。陛下がお隠れになったからって、竜騎隊の軍事力がどうかなるわけでもなし。他国は一歩たりとも、この王国の領地に足を踏み入れられないのは変わらないんだよ」
この二十数年。
ドラゴンを戦力とするようになって、リーズラーン王国と周辺国との関係は一変した。
この国はもともと峻険な山や深い森を天険として活用し、他国には見劣る兵数ながらも錬成された軍隊によって何とか周囲から独立を保っていた小国だった。
しかし、火炎を吐き、暴風を巻き起こす巨大なドラゴンを極秘裏に飼育、繁殖させ、武力としてコントロールすることに成功した瞬間から、周辺国とのパワーバランスは明確に塗り替えられた。
圧倒的な軍事力を得たリーズラーン王国は瞬く間に版図を拡大し、押しも押されぬ強国となって、他国を睥睨するように君臨している。
隣国はリーズラーン王国に攻め滅ぼされないよう、ご機嫌を窺うしかないというのが揺るぎない現実。
そして国軍の中心に位置する、百に近いドラゴンと、それを操る屈強で優秀な騎士により編成された竜騎隊は平民の憧れの的だ。
コニールは俺の説明にも浮かない顔で「んー」と小さく唸る。
その困ったような表情がたまらなく可愛い。
「それはそうなんですけど。やっぱり、風雨から身を守る屋根や壁を失ったような心細さを覚えます」
「だな。物心ついた時から、陛下はずっと陛下だったから、お隠れになるなんて考えもしなかったよな」
王国を囲む山々のようにロイス三世陛下は常にそこに鎮座しておられた。「でも、大丈夫。……コニーには俺もいるんだし」
頑張って胸を張ると、コニールはやっと「フフッ」と笑ってくれた。
不安がる許嫁を家まで送り届け、帰宅すると、黒い礼服を着た父親がいらいらした様子で俺を出迎えた。
「遅いぞ、ジャスパー。何をしていた?」
単に寄り道していたとは言いにくい雰囲気だ。
「申し訳ありません。陛下がお亡くなりになった後のこの国がどうなるか、学友と憂いておりまして」
「そうそう、そういうことだ。わしは今から王宮に顔を出してくる。長年、この国を治められた陛下がお隠れになった。まだお若いレイパード皇太子殿下は残念ながら蒲柳の質。先の争乱の時ほどではないが、国民誰しも先が見えない不安に駆られておる。この王国の一大事に、わしも何かお役に立てることがあるかもしれん。ビゼーは王軍の任務のため当分帰って来られない。お前が、わしの留守中の屋敷を守るのだ」
いつになく引き締まった顔で、帰りは遅くなる、と言い置いて父はいそいそと出かけて行った。
「何か土産物を持って帰ってきてくれるといいけど」
振り返ると妹のリーンが手に皿を持ってキッチンから出てきた。
皿にはジャガイモの素揚げが盛られている。
ホクホクの揚げたてのジャガイモがリーンの好物だ。
「リーン。そんなこと言うもんじゃありません。お父様はこのベルモンド家のことを大事に考えて、走り回っておられるのですよ」
母親にたしなめられて、リーンはつまらなさそうに首をすくめた。
素揚げを一本、フォークで口に放り込み、「あつっ」と顔をしかめる。
「ベルモンド家のこと?」
父は王宮で行われる国葬に参列しに行ったのではないのか。