8.ビューティー
今宵、古城では怪しげな儀式が執り行われている。
窓から入り込む月明かりに照らされた女たちが輪になり、床に座り込んでいる。輪の中心には、禍々しい色合いの壺がひとつ。女たちは壺の中に詰まっている謎の液体を肌や髪にぺたぺたと塗りつけながら、真剣な顔で議論している。
「アンタレス人って本当に華やかね。遠くから見ただけだけど、髪の毛が透き通ってた」
謎の液体を頬に塗りつけながら、女の一人が呟く。別の女は液体を髪の毛に塗りつつ感慨深げに頷いた。
「目の色なんて、宝石みたいでうっとりしちゃう」
「あら、私たちも負けてないでしょ」
「そうよ、ほら、こんなにセクシー」
「脱ぐのをやめなさい、変態」
女たちは一斉に笑い声を上げる。それから麗しの貴人たちがひしめく集会に思いを馳せ、ほうっとため息をついた。
「あーあ、私もソティス様と一緒に交流会に参加したかったなぁ」
シェリルは壺の中身を腕に塗りつけながら、不機嫌な声を出した。
「私はアンタレス国に行きたい。そしてジェイミーに会いたい」
シェリルの切実な願いを聞いて、女たちは会話を数秒間途切れさせた。
「ジェイミーって誰?」
「シェリルの架空の恋人でしょ」
「へぇ」
勝手に架空の恋人にされてしまったジェイミーを想いながら、シェリルはしょんぼりと肩を落とす。落ち込むシェリルに、女たちは気遣わしげな顔を向ける。
「あんなに高そうな首飾りを献上したのに、交流会に連れていってもらえなかったなんてね」
「仕方ないわよ、シェリルは反乱軍に参加してまだ日が浅いんだから」
「そうそう。あと二、三年もすればきっと、ソティス様に気に入ってもらえるわよ」
ソティスに取り入るためにはあと二、三年も必要なのか。シェリルは女たちの励ましに、余計に打ちのめされた。
さそりの心臓を献上すればソティスの懐に入り込めるのではないか、などという恐ろしい提案をしてくれたのは、スプリング家の仲間のダミアンである。ジェイミーがくれたダイヤモンドの首飾り。彼と再会するためだと、泣く泣く手放した。というのにソティスは、首飾りにさして興味を示さなかった。
彼はそもそも、さそりの心臓というものの存在や価値を全く知らなかった。シェリルがいくら口で説明したところで、自分に気に入られたい一心ででまかせを言っているようにしか聞こえなかっただろう。いらないならそう言ってくれればいいのに、そうは言ってくれないのがあの男のずるいところだ。この怒りを一体何としてやろう。
そのうちにこっそり取り返そう。シェリルが密かに決心していたとき、暗がりからヒタヒタと足音が近づいてきた。女たちは一斉に足音のする方に顔を向ける。やがて、ビリビリに破れたカーテンの影から一人の男が姿を現した。
「お前らこんなところで何やって……。うわ、くさっ! なんだこの臭い!」
男は大げさに顔をしかめ、両手で鼻をつまむ。そのしぐさを見て、女たちは嘆かわしいと言うようにため息をついた。
「バラの香りが臭いだなんてね」
「ジェト、あんたって生まれながらの貧乏人なのね。だから高貴な香りというものが理解できないのよ」
バラの香りを放つ液体を体のあらゆるところに塗りつけながら、女たちは口々に男を非難する。ジェトと呼ばれた男はまるで未知の生物でも前にしているかのような顔をしながら、シェリルのすぐ近くに腰を下ろした。
「シェリル、この集会は異常だ。こいつらとは今すぐ縁を切ったほうがいい」
「それは一大事ね。それより、あんたもお肌のお手入れしてみる?」
頬にべたぁ、と液体を塗りつけられたジェトは、声にならない悲鳴を上げた。
夜な夜な執り行われるこの儀式は、反乱軍の一員であるイブという女が主催している。
イブの主人は、レグルス国の女王の熱烈な信者である。女王が海の底の泥を肌に塗り、その美貌を保っているという噂が流れれば、すぐにその海の底の泥とやらを取り寄せる。ごま油で体をマッサージしていると知るや、すぐに同じものを手に入れるのだ。
しかし、イブの主人は驚くほどの飽き性であった。一、二度使用しただけの泥やごま油、蜂蜜や香油は、屋敷にどんどん積まれていき、いずれ化石となる運命である。だからイブは、高価だけれどあまり使い道のないそれらの品が地層に取り込まれる前に、善意で救出活動を行うのだ。そうして発掘した品をこの崇高な儀式の贄とするのである。
あるときは顔に泥を塗り、ふむと頷く。あるときはごま油を髪に絡めて、ほぉ、と呟く。蜂蜜は厳かな顔で腹のなかに収めた。
本日、乙女たちの儀式の犠牲になっているのは、バラの香油だ。高価な品だが、女たちは湯水のごとく香油を体に塗りまくっている。
「お前らさぁ、なんか、怖いよ」
香油でヌルンとしている女たちを見渡し、ジェトは理解不能という顔をしている。
「私に用があるんじゃないの?」
シェリルが己の頬をヌルンとさせながら尋ねる。ジェトは「ああそうだった」と言って手を叩いた。
「交流会の会場近くまで、ソティス様を迎えに行こうぜ。運がよかったらアンタレス人も見られるかもしれないし。あいつら全員、髪とか目が金色なんだろ」
「全員金色ってことはないでしょ。赤とか青とか、緑もいるわよ、多分」
シェリルの言葉にジェトは瞳を輝かせる。彼はまだ、アンタレス人を間近で見る機会に恵まれていないのだ。
「すげぇな。それじゃあなおさら見に行かないと」
「今忙しいからそこら辺でぶらぶらしてて。あとで一緒に見に行こう」
ジェトは素直に頷いて、ボロボロのカーテンの向こうに消えていった。
その場にいる女たちの視線が、いつの間にかシェリルに集まっていた。香油を塗る手は止めずに、皆にやにやと気味の悪い笑みを浮かべている。この集会のリーダーであるイブが口を開く。
「あいつ、シェリルに気があんのよ。いっつもあんたの後ろに鴨の子みたいにくっついてさ」
「やめてよ。ジェトはそんなんじゃない。弟みたいなものなんだから」
シェリルが一笑すると、女たちは不服そうな声を上げた。
「でも、いっつも一緒にいるじゃないの」
「仲が良すぎるって、皆言ってるわよ」
「そうそう、なーんか怪しいわよね」
「私たち、売られた奴隷小屋が同じなの。だからなんとなくいつも一緒にいるだけ。ほら、烙印が同じ模様でしょ」
小屋にいた頃の記憶は曖昧で、シェリルもジェトもお互いのことは全く覚えていない。それでも烙印は確かに同じ店のものなのだ。シェリルが左腕を差し出すと、女たちは興味津々で烙印を覗き込んだ。
「すごいわね。アケルナー国から来た奴隷はたくさんいるけど、同じ小屋にいたっていうのは珍しいんじゃない?」
「そうなの。だから何ていうか、気が置けないのよね」
シェリルは体に塗りまくった香油をハンカチで拭き取りながらしみじみと頷いた。イブがふぅんとつまらなそうな声を出す。
「もう付き合っちゃえばいいのに。架空のジェイミーのことなんか、忘れちゃえば?」
シェリルは愕然としながら、手を止めた。
「嫌よ、そんなの。ありえない」
「シェリル、よく聞いて。ジェイミーなんていないの。ジェイミーはあなたの、夢の中の住人なの」
「違うってば!」
はいはい、わかったわかったと適当にあしらわれて、シェリルはジェイミーの存在を証明することを諦めた。
ジェイミーは確かに実在するはずだが、このまま会うことが叶わなければ、夢の中の住人と言っても大して変わりない気がする。彼との再会は、死ぬまでに果たせるのだろうか。
不安を振り払うように、シェリルはバラの香りをせっせと拭いとった。