62.絶対に許さない
人体実験場からスプリング家の基地に舞い戻ってからというもの、シェリルはベッドに潜り込み延々とめそめそしていた。
ここに戻ってきたのはジェイミーに会うためだった。怪我が完治する前に実験場を脱出する理由など、それ以外にない。そして空気を読んで会いに来てくれたジェイミーを、シェリルは会いたくないと言って顔も合わせることなく追い返したのだ。
全て台無しだ。世界は今日で終わる。自分は災厄を振りまく新種の生き物だ。実験場で大人しく研究材料になるべきだったかもしれない。
「いい加減にしなさい」
ベッド脇にいつの間にかアメリアが立っていた。災厄を振りまくときに唱えるかっこいい呪文を考えていたので気づかなかった。
シェリルはシーツから顔だけ出し、アメリアを見上げた。
「何よ……みんなジェイミーとの仲を反対してたくせに……」
「気にしたことなんか無かったくせに。お別れくらい言いなさい。二人の関係うんぬんの前に人としてどうなの」
「いいの、私はジェイミーに嫌われたいの!」
「ああそう、ご勝手に」
アメリアは呆れたふうに首を左右に振ったあと、傷口に塗る軟膏を棚の上に置いて部屋を出ていった。軟膏の隣には無造作に置いてあるダイヤモンドの首飾り。これはこんな場所にあってはいけないものだ。ジェイミーに返すべきだ。こっそり彼の荷物に紛れ込ませておくよう双子に頼もうか。ジェイミーは怒るだろうし双子も怒るだろうが、いいのだ。シェリルは災厄を振りまく災厄女なのだから。
芋虫みたいにシーツにくるまり首飾りを睨みつけていたら、階下からダミアンの声が聞こえてきた。
「会いたくないって言ってるからさぁ……」
息が止まるかと思った。まさかまたジェイミーが来たのだろうか。結構粘るな。
シェリルはシーツを頭から被った。心臓がどきどき鳴っている。最後にもう一度ジェイミーの声が聞けるかもしれないと思って耳を澄ませていたら、再びダミアンの声が聞こえてきた。
「ねぇジェイミー君、頭に花びらついてるよ」
シェリルは一人、うう、と唸った。また会いに来てくれた。会いに来てくれた。早く帰ってくれないかな。アンタレス国軍はいつ国を出るのだろうか。全部無かったことになればいい。ジェイミーなんて居なかった。自由なんてなかった。カルロに買われたときに、これからは努力さえすれば何でも叶えられるなんて信じたのが運の尽き。小屋の中で首輪に繋がれ、母と一緒にいたときはあんなに幸せだったのに。
やがて、ジェイミーは諦めて帰ったようだ。子どもたちの声以外聞こえなくなった。シェリルは全身の力を抜き、ベッドに仰向けに転がった。
それからどれくらいの時間がたったのか、うとうとしていたら、開けっぱなしにしていた窓の外から、ガタガタと物音が聞こえてきた。驚いて身を起こし窓の方に目を向ける。双子が造ったはしごが、窓の外にかかっているのが見えた。誰かがはしごを登ってくる音がする。誰なのかはもちろん分かる。しかしどうすればいいのかが分からない。窓を閉めてしまおうかと思ったが外開きだ。
来るぞ、来るぞ、と分かっているのに、いざそれが起こると驚いてしまうのはなぜなのか。窓の外にジェイミーの顔が覗いたとき、シェリルは本当に驚いて「ぎゃー!」と声を上げてしまった。ジェイミーはそれに驚いて「わぁー!」と叫んだ。
ジェイミーは再びシェリルが叫ばないかどうか警戒しながら、部屋の中に入ってきた。シェリルは何とか彼と距離を取ろうとベッドの端に移動した。ジェイミーはためらいなく歩み寄ってきて、シェリルと反対側のベッドの端に、腰を下ろした。
「頭に花びらついてる……」
思わず口をついて出た言葉を、ジェイミーはほとんど気に留めなかった。
「何で会ってくれないんだよ」
当然すぎる疑問を寄こされる。シェリルは二択を迫られる。本心を告げるべきか。嘘を告げるべきか。
「もう好きじゃなくなったの」
「嘘だろ」
瞬時に嘘を見破られる。一瞬驚くが、数秒後には納得する。自分の今までの行動を振り返ってみれば、どこをどう切り取っても何をどの方向から見ても、シェリルはジェイミーのことが好きである。
「私、まともな人に買われてたら、死んでた」
ここ数日考えていたことをぽろりとこぼす。ジェイミーは二人を分断する見えない壁越しに、話の先を促す視線を投げてくる。
「それで?」
「カルロさんはもう元に戻せないものを、元に戻せなんて言わないもの。私がどんな目に遭っても、それが起こっちゃいけないことだったなんて言わない。だって、何も起こってないんだから。そう思えば生きていけるから。痛くないし、辛くない。そう思うことを弁解もしたくない。この感じ、分かる?」
ジェイミーは真剣な顔のまま頷いた。
「分かるよ」
それが本当なのかどうか、シェリルにはもう分からなかった。けれど最後まで説明しなければならないという使命感と、彼には知っていてもらいたいという気持ちだけで話を続けた。
「ジェイミーと出会ってから、本当の自分を理解できるようになった。無かったことにしようとしてた気持ちとかを全部、感じられるようになったの。あなたのことを知りたいと思ったときに、自分と重ねて理解しようとしてたから。だから、ジェイミーのことを幸せにできたら、私もそうなれるって錯覚してた。あなたの中に自分を見ているうちは、幸せでいられるんじゃないかって」
ジェイミーは何を考えているのか、相づちも打たず床を睨みつけている。シェリルはひとりごとを話しているような気分になった。
「だけどやっぱり、私とジェイミーは違うから。ジェイミーは国に帰るべきなのに、私、帰って欲しくないと思ってるの。こんなの矛盾してるのに。世界一幸せになってもらいたいのに。だから、会いたくなかったの。帰って欲しくないなんて、絶対に言いたくなかったのに」
シェリルはもはや腹を立ててすらいた。なぜ別れのあいさつにここまでこだわるのか。円満にさよならを言えたら、彼は心置きなく帰国できると思ったのか? それはちょっと上級者すぎやしないか。何てひどい男なんだ。帰ってしまえ。とっとと帰れ。
シェリルの念が通じたのか、ジェイミーはひとつ大きなため息をついて、頷いた。
「分かった」
そう言って、ジェイミーは立ち上がった。てっきりそのまま窓から出ていくかと思いきや、ジェイミーはシェリルが想定していた方向と逆方向に足を向けた。
そりゃそうか、別に窓から出なくても普通に玄関を使えば、とシェリルが考えているすきに、ジェイミーはシェリルのすぐそばまで歩み寄ってきて、再び腰を下ろした。
お別れの抱擁をするのだと思ってシェリルが万感の思いを込めて両手を広げた瞬間、ジェイミーが言った。
「じゃあ、帰らない」
シェリルは素早く両手を引っ込めた。
「何?」
「帰らないことにする。ここに住む」
「そんなの無理」
「いや、いけると思う」
「いい加減なこと言わないで」
動揺するシェリルに、ジェイミーは怒りさえ滲むような強い口調で言った。
「いい加減なのはどっちだよ。世界一幸せになってもらいたいなんて、よくそんな無責任なことが言えるな。飲み水は渡さないけど喉は潤せっていうのか? いいご身分だな。人生めちゃくちゃになってでも一緒にいたいと思ってる俺はどうなるんだ」
ジェイミーの主張に、シェリルは負けじと応戦する。
「だから会いたくないって言ったの。ただでさえ悲しいのに、どうしてこれ以上困らせるようなことを言うの」
「俺だってまた何年も耐えるつもりだったのに、帰って欲しくないなんて言われて、帰れるわけないだろ」
「じゃあ帰って。帰って欲しい。もう一生会わない」
両手でジェイミーの体を押して突き放そうとしても、彼は動こうとしない。それならばいつかのように逃げてしまおうと考えるも、今はまともに走ることさえできない。どうして笑顔で、またいつかと送り出せなかったのだろうか。ジェイミーがしてくれたみたいにしたかったのに。
ただ泣くことしかできなくなってしまった頃合いに、ジェイミーが頬をつねってきた。ひどい。
「一緒に幸せになりたいって思ったんだろう。だったら、諦めるなんて絶対に許さない」
元々シェリルはジェイミーに反抗することは得意ではないのだ。一対一なら丸め込まれるに決まっている。きまりが悪いやら恥ずかしいやら腹立たしいやらで、シェリルは手元にあったクッションをありとあらゆる感情を込めてジェイミーに叩きつけた。もちろんそんなものでダメージを与えられるわけはない。彼は何事もなかったかのように言葉を続けた。
「シェリルは元に戻せないものを元に戻したよ。自分が何でも出来るってこと忘れてるんだろう。思い出すまで言い続けるからな。諦めるなんて、俺は絶対に許さない」
その時、ドアをノックする音がした。助かった、と思いシェリルは「ひゃい」と間抜けな返事をした。ドアの向こうからカルロが現れた。
「あれジェイミー君、どこから……いや、頭に花びらついてるよ?」
カルロが部屋に入ってきた瞬間、ジェイミーは勇ましく立ち上がった。
「俺ここに住みます」
「は?」
「嘘ですカルロさん! ジェイミーはここに住みません!」
「え?」
「住みます。居座ります」
「追い出して下さいカルロさん!」
「まぁ二人とも落ち着きなさい」
カルロはジェイミーの肩を押して再び元の場所に座らせた。そして二人の前に両手を組んで立ちはだかった。
「まずはジェイミー君。ここに住みたいなら住んでいいよ。ただ俺たちは近いうちに引っ越すから、それを踏まえて考え直してみたほうがいい」
「引っ越す?」
ジェイミーが子供みたいにカルロの言葉を繰り返す。カルロは構わずシェリルの方を見た。
「次にシェリル。俺たちはアンタレス国に引っ越す。その体で砂漠を越えるのは無理だから、お前は怪我を治してから、後を追ってきなさい。ダミアンが一緒に残ってくれる」
シェリルは何度か瞬きしたあと、いったん、宙をながめた。それからゆっくりと視線を動かし、ジェイミーと顔を見合わせた。
「今の聞いた?」
「聞いた」
「これってどういうこと? 私たち結局、どうすればいいの?」
シェリルは呆然と呟く。ジェイミーもやっぱり呆然とした様子で、しかししっかりとした口調で、こう言った。
「結婚しよう」




