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61.最後のカード

 自分だけが女王に呼ばれるということはすなわち、ウシル神官団と結んだ契約のことについて何かしらの圧力をかけられるということだろうと、ニックは理解していた。


 あれはもともと遊び半分で結んだ契約だった。ニックは個人的に奴隷制の廃止を支持していたし、ジェイミーはシェリルのために何かしたいとふにゃふにゃ言っていたし、それならこれくらいやってもそれほど深刻な問題にはならないだろうと言えるような、ギリギリのラインを攻めたつもりだった。


 はっきりいってニックは、こんな契約でレグルス国を変えられるとは思っていなかった。反乱軍はどうせレグルス国軍には勝てない。次に奴隷の側に立つのはウシル神官団だ。彼らの活動に少しだけ加担できればそれでよかった。ジェイミーが慰労会で女王に捨て台詞でも吐いて、彼女をイラッとさせられれば気分も晴れる。そんな程度の策略が、まさかこんな事態を招くとは。


 女王との謁見には、スティーブとウィルがついてきた。スティーブは、ニックが女王の機嫌を損ねないよう、見張っておかなければと思ったのだろう。そしてウィルは、自分が唯一、彼女に対する抑止力になり得ると自覚していたのだろう。ニックはニックで、得意の話術で乗り切るつもりで王の間に足を向けたのだ。それが三人が部屋に入るやいなや、玉座に座る女王は愛想笑いすら見せることなく、ニックを見て「ニック・ボールズか」と尋ねてきた。はい、と答えれば、次に帰ってきた女王の言葉は「殺せ」という単純な命令だった。


 次の瞬間には背後から腕がまわりニックは首を締められていた。頭上も手のひらで押さえられ、一秒もあればあの世行きである。


 ニックは今自分が殺されそうになっていることよりも、自分の両隣に立っているスティーブとウィルが、この瞬間まで自分たちの背後にその男が立っていることに気づかなかったことに驚いていた。


「悪いね、君には何の恨みも無いが、これが俺の仕事だから仕方ない」


 全く悪いと思ってないだろ、と思わせるような軽い口調でカルロは言った。彼の腕に力が入る前にニックは慌てて声を上げた。


「ちょっと待て! 俺が死んだら人類の3%くらいは悲しむだろうがその中にはローリー国王も含まれてるからな!」


 言いながら、3%? どこからそんな数字が出てきたんだ? と世界一どうでもいい疑問が頭をよぎる。

 幸運なことにニックの言葉は女王の意思に迷いを生じさせた。彼女は片手を上げてカルロの動きを制止した。


「お前はあの男の寵愛を受けているのか?」


 首を締められていて頷けないが、代わりにスティーブとウィルが必死の形相で頷く。女王は信じがたいという顔で、ニックのことを改めてじっくりと観察した。


 女王と同じで、ニックも驚いていた。確かに契約者が命を落とせばその瞬間に神官団との契約は無効になる。ジェイミーの説得に失敗したのだから、あとは神官団の神官長か、あるいはニックを殺すしか、第二の反乱軍の誕生を防ぐ方法はない。つまり彼女は、ニックを殺せば全て解決するし、当然のように、国同士の問題になどなるはずがないと認識しているのだ。一介の労働者が国王に一目置かれるなど信じられないという感情がひしひしと伝わってくる。


 しばらくして女王は腑に落ちたというように呟いた。


「男娼か」

「違う」


 即答したニックの後ろで、カルロが声を上げた。


「ご安心下さい陛下。我々が手を組んだからには、あの悪魔はもはや警戒に値する存在ですらありません」

「いや、あいつは姑息でずる賢く悪知恵の働く油断ならない怪物だ。警戒しすぎるということはない」

「考えすぎです、あんな奴は陛下の手にかかればちょちょいのちょいです」

「お前の意見は聞いていない。流砂作戦に変更しよう」

「しかし」

「私の手となり足となるんだろう? 自分の役割を果たせ」


 カルロはしばらく渋っていたが、結局、ニックを解放した。


「流砂作戦とは……?」


 スティーブが尋ねる。嫌な予感しかしない。女王はまるで大仕事でも終えたかのように、玉座の背もたれに体を預け、横に手を差し出した。側に控えていた奴隷がすぐさま彼女の手をとり、腕をマッサージし始める。同じく女王の側に控えていたレグルス国軍の兵士であるヌブは、その様子を確認したあと、一歩前へ足を踏み出した。


「こういうことだ。君たちは予定通り出国し、国へ帰る。しかし不運にも旅の途中で荷車の一部が流砂に沈んでしまうんだよ。貴重な水を失い、急いで引き返すが可哀想に、全員過酷な砂漠の暑さに命を奪われてしまうんだ」


 ぽかんと口を開けたまま話を聞いていた三人の中で、一番早く状況を理解したのはスティーブだった。


「ジェイミーが神官団の宣教に協力できないように、事故を装ってアンタレス人をまとめて殺すのか?」

「アンタレス国が異変に気づくのは一ヵ月後。一行が国に戻っていないとレグルス国に知らせが来るのはさらに一ヵ月後。その頃には君たちの亡骸は骨になって砂漠に転がっている」

「馬鹿げてる。奴隷たちが再集結することを防ぐためだけに、全員殺せるはずがない。生まれたばかりの子どももいるんだぞ。あんたたちはスプリング家と契約してるんだろう」

「実際に殺す必要はない。同行者たちの安全がどうなるかは、君たちの心がけ次第だ。君たちの祖国に、一行が不慮の事故で行方不明になったと思わせられたら、それでいい」


 スティーブが再び問いを投げかける前に、カルロが馴れ馴れしくスティーブとニックの間に割り込み二人の肩を抱いた。


「いやぁ、嬉しいね。生涯君たちと一緒にこの国で暮らしていけるとは。今まで色々あったけど、これからも仲良くしよう」


 わざとらしい笑顔を向けられ、ニックはそこに何かしらの忠告が含まれていることを感じ取った。ここで抵抗しないことが、これ以上状況を悪くしないための最善策なのだろう。


 まさかノリで結んだ契約がこんな事態を招くとは。というかジェイミーだけこの国に置いて帰れば万事解決なのでは。いや、それじゃあローリーが黙っていないか。全員死んだことにすれば何もかもが闇の中……。そこまでニックが考えていたときに、スティーブが再び口を開いた。


「陛下、流砂作戦は上手く行きません。ローリー国王は我々が意図せず内戦に巻き込まれたことをすでにご存知です。それに加えて我々が偶然事故に遭い全員行方不明になったなどと聞けば、今以上に厄介なことになりますよ」


 会話は終わったとばかりにそっぽを向いていた女王は、ゆっくりと視線をスティーブに向けた。


「奴がこの国の現状を知るはずがない」

「ご存知です。手紙を送りました」

「あ」


 カルロが声を漏らした。女王はスティーブに向けていた視線を、ゆっくりとカルロに向けた。


「手紙など、送れるはずがない」

「もちろんです、陛下! 彼は私の嘘にまんまと騙されて、手紙を祖国に送ったとずっと思い込んでいたようです。全く、可愛いですねぇ」


 はははは、と笑いながらスティーブの頭をわしわし撫でまわすカルロ。スティーブはその手を鬱陶しげにはねのけながら、なおも言い募った。


「嘘です、陛下。こいつは息をするように嘘をつく道化です。手紙は確かに送りました」

「送ってないって言ってるだろう。送ったふりをしたんだよ。バーカ、バーカ」

「誰が馬鹿だ!」


「おだまり!」


 女王の一喝で二人は静かになる。女王は肘掛けに腕を置き頬杖をついて、何かを考え込んでいる。


 彼女の頭の中では今、天秤がゆらゆら揺れていることだろう。カルロの話に賭けるか、スティーブの話に賭けるか。もしローリーが現状を知っているのであれば、ウシル神官団を警戒している場合ではない。アンタレス国軍一行を国内に閉じ込め行方知れずになったことにしても、いずれローリーはその事実を突き止める。


 彼女の思考を遮るように、スティーブが声を上げた。


「陛下、恐れながら、あなたには外交の才がありません」


 女王は見るからに不機嫌な表情を浮かべた。当然である。しかしスティーブは構わず言葉を続ける。


「メルガ島を金貨二千枚で購入。マシム山を金貨五千枚で購入。価値のない土地を我が国にいろいろな理由で高額で売りつけられていますね。あなたの責任ではありません。ローリー国王は外交に長けているのです。国交を必要としないレグルス国とは相性が悪い。しかしダイヤモンド鉱山の売買をきっかけに縁が出来てしまい、長年苦労していらっしゃるでしょう」

「なぜお前が我が国の土地の売買記録を知っている。あれは暗号化して保管していたはずだ」


 スティーブが女王の質問に答える前に、カルロが声を上げる。


「陛下、彼は元気が有り余っているようです。私が部屋の外でちょちょっと疲れさせてきましょう」

「奴隷の分際で私に指図をするな」

「仰せのままに」


 はははは、と笑いながらカルロはスティーブの脇腹をつねった。スティーブは「い゛っ」と変な声を出したが、しかし彼はくじけない。


「大金を払い続けている間は外交は上手くいくでしょう。しかしそれは本来、必要のない出費です。一括で終わらせる方法があります。ローリー国王はスプリング家を欲しがっている」


 いやぁ、とカルロは奇妙な声を出した。女王はそこで初めて、興味深げな表情を見せた。彼女はウィルの方へ顔を向け、尋ねた。


「殿下、彼の言うことは事実ですか?」


 カルロとスティーブによる両極端な思念を送られているウィルは、無言の圧に辟易しつつ頷いた。


「ええ、事実です」

「それなら話は早い」

「ああ、陛下、どうかそれだけは……」


 カルロの情けない声が響く部屋で、女王ははっきりと告げた。


「ウィリアム殿下、あなたにスプリング家を差し上げよう」


 この流れは想定外だったのか、スティーブが固まった。ウィルも同様である。


「私に? 兄ではなく?」

「私は元々、このような組織は必要としていなかったのです。金の無駄だと思っていたが、ちょうどいい。彼らをあなたに預ける代わりに、我が国と貴国との、緩衝材になっていただきたい。今回の演習で生じた我々の不手際を、全て水に流すよう兄君を説得して下さい」

「陛下、何ということを……。私とあなたの仲ではありませんか」


 弱々しい声を出すカルロに、女王は冷たい視線を向ける。


「奴隷には過ぎる報酬をすでに払っただろう。お前は私の手となり足となり働くと誓ったな? なら、役に立て。金は払う。今まで散々に払い続けてきた外交費と比べれば、はした金だ」

「あの悪魔への対処なら、私にお任せ下さい。何も組織ごとアンタレス国に明け渡さずとも」

「なぜ私が奴隷の助言に従わねばならん」


 心底憎々しげに言ったあと、女王は片手を振ってニックたちに部屋を出る許可を出した。

明日は最終話とエピローグを同時に更新します。

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