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60.激励の花びら

 合同軍事演習の最終日。図書室に集まった騎士たちの前にスティーブが立っている。


「いいか、今からトラブルを起こした奴は全員首だ。あとは帰るだけだってのに何か仕出かすような奴は俺の部下にふさわしくない。この場では俺が法でお前らはそれに従うことしかできないということを徹底的に頭の中に叩き込め」


 あと数時間で国を出るというタイミングで、スティーブは入念に部下たちを(しつ)けていた。その様子をソファーの上でだらけながら見ていたニックが、小声で言った。


「あいつ本性隠さなくなったな」

「この一ヵ月でありあまる余裕を根こそぎ持ってかれたんだろ」


 ニックとの会話に応じた騎士に対し、別の騎士が声をかける。


「元々余裕のなかった奴を見ろ。抜け殻みたいになってるぞ」


 彼が視線を向けた先には、どんよりとした空気をあからさまにふりまくジェイミーがいた。同僚の声が聞こえているのかいないのか、腕に抱いている弟を見下ろしていたジェイミーは、緩慢な動きで顔を上げ、自分の妹の方へ視線を向けた。


「リリー、さっきから何やってるんだ」

「昨日、ウィルと一緒にレグルス国軍が開いた送別会に参加したってもう言ったけどどうせ覚えてないでしょ。そこで大量の花束を送られたんだけど、荷物になるから、花びらだけ集めて持って帰ろうと思ってるの」


 美しい花々の花弁をぶちぶち引きちぎりながら、リリーは言った。不運にも彼女の頼みを断りきれなかった騎士たちが、リリーと同じように花びらを摘み取りそれをバケツに入れるという作業を黙々と繰り返している。さっきから目の前で繰り広げられていた光景なのに、ジェイミーは今になってやっとその状況を認識した。


「花びらだけ持って帰ってどうするんだよ」

「旅の間、枕元に飾って眠れるでしょ?」

「……何で?」

「兄さん、私が綺麗な花びらに囲まれながら眠ることに理由が必要だと思ってるわけ?」


 信じられない、という顔を向けられて、ジェイミーはああ、はいはいと適当に納得したふりをして見せ、再び弟の方へ視線を戻した。


 レイチェルはリリーとバケツをはさんで向かい合い、彼女の寝床を彩る計画に付き合っていた。やっと家に帰ることができる喜びを噛み締めながら無心で花びらを引きちぎっていたが、すぐ隣から発せられる暗い空気に耐えかねて、とうとう声を上げた。


「シェリル様とはもうご挨拶なさったんですか?」


 レイチェルの言葉をきっかけに、部屋の空気が一瞬で冷え込む。レイチェルは非難を込めた周囲の視線に気づかないふりをして返事を待つ。ジェイミーはあからさまなつくり笑いを浮かべて、疑問に答えた。


「あー、なんか、もう会いたくないって言ってるらしくて……」


 知っている。なぜならレイチェルは、ジェイミーがスプリング家の青年にそう告げられているのを横で聞いていたからだ。


 レイチェルがわざわざこんな意地の悪い質問をする理由を彼はどう思っているのか? どうでもいいのだろうか。レイチェルの発言の動機に興味はなくとも、彼女に対しては絶対に違うだろう。わざわざアンタレス国軍一行が出国する日に間に合わせて、彼が堂々と会いに行ける場所に戻ってきた彼女のことを、どう思っているのか?


「それ、本当だと思います?」


 さらに問いを重ねると、ジェイミーは明らかに傷ついたような顔をした。


「一応、会いに行ったんだけど。でも結局、顔も見せてくれなかったんだ」

「そんなのひどい」

「いや、そんなことないよ。大怪我したんだから、人と会うのが負担なんだ、きっと」


 自分に言い聞かせるように言ったあと、ジェイミーはレイチェルの視線から逃れるようにうつむいた。


 レイチェルは平然とした顔を貫いていたが、内心は、はらわたが煮えくり返りそうなほどの怒りに満ちていた。


 彼女は弱気になっても仕方がないと言える目に遭った。ジェイミーのことを思えばこそ、ここで終わりにするべきだと考えているのかもしれないし、それはその通りだと思う。レイチェルだけでなく、ジェイミー以外は全員、彼女の思いを汲むべきだと思っている。だから誰も彼を励ましたり強引にでも会いに行けと説得しようとしたりしない。


 確かに、少し思った。ようやくチャンスが巡ってきたと。自分は彼女のように彼をわずらわせたりしない。彼女のように彼をほったらかしにしない。彼のことを第一に考える。彼のことを何よりも優先する。きっといつかこの想いに気づいてくれる。きっといつか自分のことを好きになってくれるだろう。そんな期待を持ち続けられる日々が、また戻ってくる。


 馬鹿馬鹿しすぎて涙が出てくる。彼女を刺したのが自分の短剣であることを考える。自分のせいじゃないと分かっている。もしレイチェルの短剣がなくても彼女は刺されていた。古城で助けてくれた彼女のことを考える。あのとき彼女が自分を助けてくれたのは、完全な親切心からではなかったかもしれないと自分に言い聞かせてみる。


 良心なんてくそくらえ。自分は世界の愛と平和を守るために生まれた女神ではないのだ。でも、このまま元の生活に戻ったあと、どうやって胸を張って生きていこうか。どうやって自分自身のことを誇りに思って生きていけばいい?


 レイチェルは目の前の、花びらでいっぱいになったバケツを見た。とっさにそれを両手で抱え、立ち上がり、ジェイミーの頭の上でひっくり返した。


 そんなことをすれば当然、こうなるだろう、と言えるようなことが起きた。花びらはきれいに舞うかと思いきや、塊になってどさっとジェイミーの頭に直撃した。彼は花びらにまみれ、レイチェルのことを見上げ、疑問に満ちた視線を寄こしてきた。部屋は静寂に包まれ、息をする音すら聞こえない。


 レイチェルはバケツを床に投げ捨てて、まっすぐジェイミーに向けて告げた。


「私なんか、私なんか、ずっとジェイミー様のことが好きだったのに!」


 レイチェルの行動に驚いているのはその場にいる全員だったが、レイチェルの言葉に驚いているのは、その場でただ一人だけだった。


「…………え?」


 ぽかんとしているジェイミーから、レイチェルは彼の弟を奪い取った。レオを近くに座っている騎士に預け、それからジェイミーの腕を掴み、引っ張り上げる。


 ジェイミーはレイチェルの意図を察して立ち上がった。しかし、その場から動こうとはしなかった。


「ほら、行けば? さっさと行けば?」


 レイチェルが背をぐいぐい押しても、まだためらっていた。


「あの……レイチェル」

「走れ!」

「はい」


 腹の底から叫ぶと、彼はようやく部屋を飛び出していった。


 再び部屋の中には静寂が訪れる。レイチェルはしばらく肩で息をしたあと、ゆっくりと振り返り、呆気にとられてこちらを見ている、ウィル、ニック、リリーを見た。


「言ってやりましたよ」


 震える声で呟いたあと、今度はもっとはっきりと、声を張った。


「どんなもんですか。言ってやりましたよ。計画通りに、言ってやりましたよ!」


 数秒ののち、三人ははっと我に返った。


「か、かっこいい。かっこいいよ、レイチェル!」

「輝いてるよ、レイチェルちゃん!」

「素敵よ、レイチェル様!」

「ありがとうございます!」


「おーい、誰かジェイミー連れ戻せ」


 無情なスティーブが部下に命じる。


 そのとき、レグルス国軍の兵士が一人、部屋に現れた。


「ニック・ボールズはいるか」


 挨拶もなくぶしつけに問うてくる。ニックは不機嫌そうに眉をひそめた。


「要件による」

「女王陛下がお前と話をすることをお望みだ。今すぐ来い」


 有無を言わさぬ主張に、誰もが不穏な空気を感じ取った。

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