59.メッセージ
女王陛下が話をしたいと言っている、とヌブは言った。もう謁見はすませたが、そんなことを理由に断れるわけがない。
言われるがまま女王のもとに向かおうとしたら、どこからともなくウィルが現れて、ジェイミーの後をついてきた。彼は女王に招待されて慰労会に参加していた。どうやらジェイミーがやけを起こして会場を破壊するとでも心配して、こっそり離れた場所から監視していたらしい。
女王はとても気さくで愛想の良い人だった。玉座にふんぞり返ることもなく、自分の前にひざまずく必要もないと言い、彼女の世話をする奴隷たちにも親切に接していた。
女王の話は、ニックがウシル神官団と結んだ契約についてだった。彼らはあの日結ばれた契約を反故にすればニックの命は無いと言っていたかもしれないが、それは事実ではない。ジェイミーはウシル教の宣教に手を貸す必要はなく、彼らも約束は守らない、と彼女は言った。
その話を聞いて、ジェイミーはようやく気づいた。ウシル神官団のもとには今、反乱軍の活動に全てをかけていた奴隷たちが集まっている。ニックとの契約により神官団が奴隷の保護にかける予算は以前よりも多くなっている。彼らはソティスよりもさらに、女王にとって厄介な存在だ。そんな団体の活動にジェイミーが協力したら、どうなるか。
「契約は契約です。協力する理由がなくとも、協力しない理由もありません」
ジェイミーが言うと、女王の笑みは少しだけぎこちなくなった。
「アンタレス国軍を内戦に巻き込んでしまうことになり、大変申し訳ないと思っています。これ以上迷惑をかけることはできません。我が国の問題には、我が国の人間が取り組みます」
選択肢を与えているようで、女王の口調は抵抗する隙を与えないものだった。それでもジェイミーが頷かなかったので、女王のそばに控えるヌブが口を開いた。
「ジェイミー、陛下は、君が以前人体実験場を見学したいと言っていたことを知って、ぜひ力になりたいと考えておられる」
彼はそれが、ジェイミーにとってどれほどの意味を持つ事なのか、分かって言っているのだろうか。
返す言葉を失ったジェイミーの隣で、ウィルが口を開いた。
「陛下、アンタレス国は、レグルス国の友好国です。我々は敵対していないと、兄に報告することに異論はないでしょう」
女王は再び、親しみのある雰囲気を笑顔にそえて、ウィルの問いに答えた。
「もちろん、今後も変わらず、両国は良好な関係を築き続けると、私は確信を持っています」
「では、このような含みをもたせた取り引きはやめましょう。お互いに裏をかこうと必死になるあまり、表にある明らかな事実に気づけなくなっているようです」
「明らかな事実?」
「この国で最も力を持っているのは、女王陛下、あなたです。ジェイミーの選択一つで解消できる懸念なら、あなたの選択一つで解消できます。奴隷との抗争を終わらせるために必要なことは、私の友人を追い詰めることでは無いはずです」
女王は、ウィルの言葉によって考えを変えたというよりも、ウィルが苛立っているという事実によって、ジェイミーを説得することを諦めたようだった。
女王との話を終え宿舎に戻ろうとしていたジェイミーにウィルが言った。
「実験場の中に入りたい?」
頷けば協力してくれるのだろう。しかしわざわざ尋ねるということは、それが望ましくないことだとウィルは思っているからだ。
ジェイミーは誰かに引きずられてでも実験場の中に入りたかった。そうすれば彼女に会えるし、顔を見たせいで離れがたくなっても、苦しんでいる彼女を置いて国を去らなければならないことが余計に辛くなっても、全て人のせいにできる。
自分の意思では怖くてとても会いに行けない。向こうから会いに来て欲しいとまで思っている。自分がこれほどまでに臆病だと今日まで知らなかった。
「ジェイミー!」
そのとき、離れた場所から名を呼ばれ、ジェイミーはそちらに顔を向けた。見れば、ニックがこちらに向かって手招きしている。
ジェイミーとウィルは顔を見合わせたあと、ニックの呼ぶ方へ足を向けた。
実験場の奴隷たちが出品した美術品の数々は、つたないものから類まれな才能を感じさせるものまで様々だった。どれも丁寧に工夫をこらし展示されていて、壁にかかっている絵画の額縁などは、それも作品の一部かと思えるほど見事な品であった。
壁にずらりと並んだ絵の中の一つ、一枚の油絵の前で、ニックは足を止めた。ジェイミーとウィルはそれを見て、息を呑んだ。
その絵は、技術的には見事だったが、題材は一貫性がなく奇妙だった。
机の上に中途半端に敷かれた青の布。わざとしわを寄せてある布の上には、空のバケツが転がっている。その隣にはなぜかスープの入った器が描かれている。そのすぐそばには光の反射までしっかりと描き込まれた懐中時計。珊瑚らしきものがあしらわれた髪飾り。小ぶりな鉢に植えられたトマトの苗。そしてそれらの小道具に囲まれるように、首飾りが描かれている。その首飾りを実際に見たことがある者であれば、実物をこの上なく正確に再現していると賛辞を贈るに違いない。
ウィルが口を開く。
「なんか……とてつもないメッセージ性を感じる」
「だろ?」
ニックが頷く横で、ジェイミーはしばらくその絵に魅入っていた。それから、我に返って、両手で額縁を掴んだ。
「おー、待て待て。何するつもりだ」
「盗む」
「何をどうしてそういう結論に至ったんだ」
ニックに押し留められ、ジェイミーは急く気持ちを抑え会話に応じた。
「覚えてるだろ。スプリング家は暗号を使ってやり取りする。だからスティーブがシェリルに絵を描かせまくって暗号を解読しようとしてた」
「この絵が暗号だって? そりゃお前へのメッセージではあるだろうけど……」
「だったらこの絵は俺のものだ」
油絵を抱えたまま三人でぎゃーぎゃー騒いでいたら、通りかかったレグルス国軍の兵士が言った。
「それ欲しいの? いいよ、持っていきなよ」
彼が言うには、気に入った作品は勝手に持っていっていいことになっているらしい。権利はどうなっているんだ、と思ったが今はそれどころではない。ジェイミーは急いでスプリング家の秘密基地へ足を運んだ。ウィルとニックもついてきた。
仕立て屋を訪ねると、彼らは輝く笑顔でジェイミーたちを迎え入れてくれた。どうやら女王に雇われ金銭面に余裕ができたことで、彼らは人格が変わったらしい。
ダミアンが高貴な香りのするお茶を三人に出そうとするのを遮って、ジェイミーは油絵を彼の眼前にさらした。ダミアンはそれを見て、目を見開いた。
「これは……」
「暗号ですか」
ジェイミーが前のめりになって真剣な顔で問うと、ダミアンは絵画から顔を上げ、やはり真剣な顔でジェイミーを見つめ返した。
「ただの油絵だ」
「え」
脱力するジェイミーから、ダミアンは油絵を取り上げた。そしてナイフを手にして、綺麗に描かれた絵の表面をガリガリ削り始めた。
それなりに時間をかけて仕上げたであろう作品が破壊される様をジェイミーは為すすべなく見つめる。ダミアンが削り取った絵の具の下から、シェリルが書いたであろうメッセージが現れた。ダミアンはそれを読んだあと、少し離れた場所で子どもに字の書き方を教えているカルロに、声をかけた。
「カルロさん、シェリルが最先端の傷口の縫合技術を身につけたそうです。恩恵にあずかりたかったら、今すぐ迎えに来いって」
カルロは顔を上げ、頬杖をついて考え込んだ。
「最先端の技術かぁ。欲しいなぁ……」
ダミアンは呆れた様子で首を左右にふった。
「これだよ。いつまで経っても甘いんだから」
「あたし迎えに行ってくるー」
買い物に行ってくると言うような感じで、アメリアが部屋を出ていった。カルロがそれを止める様子はない。アメリアの後ろ姿を見送ったあと、ジェイミーはダミアンの方に視線を戻した。
「シェリルはここに戻ってくるんですか?」
「実験場から連れ出すのはちょっと手間なんだよね。あそこは警備が厳しいから。でもまぁ、アメリアなら明日までには連れ戻せるだろ」
ジェイミーは手近にあった椅子に、呆然と腰を掛けた。それからダミアンが淹れてくれたお茶に口をつける。カルロが以前淹れてくれたお茶とは比べ物にならないほど美味だった。




