48.八つ当たり
スプリング家が経営する仕立て屋の店先で、カルロは色鮮やかな布に埋もれていた。内装を変えようと思い立ったはいいが、棚を移動させようとして、棚に詰め込んでいた生地が雪崩落ちてきたのだという。そして一気にやる気を失い、そのまま誰かが布をどけてくれるのを倒れ込んだまま待っていたらしい。
ジェイミーはカルロをせっせと掘り返しながら、シェリルは怪我が治るまでアンタレス国軍の宿舎に留まらせると伝えた。布の山から這い上がってきたカルロは、神妙な顔つきでジェイミーの手元を指さした。
「なるほど、了承しないと、その翻訳したらしき資料は見せてくれないって言うんだな。なんて姑息で卑劣なやり方を……」
「いえ、これは別に、好きなだけ見てください」
ジェイミーが資料を差し出してみせると、カルロは呆れ返った顔で、ジェイミーの背後に立っているスティーブを見た。スティーブはカルロの代わりに即座に声を上げる。
「馬鹿か。取り引きできるチャンスだったのに」
「取り引きしに来たんじゃない。話があるんです。今時間ありますか」
いいよ、とカルロは店の奥に入るよう視線で促した。ジェイミーとスティーブはダイニングへと足を運び、カルロはダイニングを通り過ぎてキッチンへと入っていった。ジェイミーはその後を追い、また、スティーブがその後を追った。
「ああ、いいよいいよ、手伝いなんて」
カルロはやかんに水を注ぎながら片手をひらひらと動かしジェイミーたちを追い払おうとした。しかしジェイミーはそれを無視して本題に入った。
「シェリルが反乱軍で何を探っているのか、教えて下さい」
カルロは驚く素振りもなく、ジェイミーの隣に立っているスティーブに視線を向けた。
「わざわざ俺に聞かなくても、シェリルから聞き出せるだろ」
「はい」
「いいえ」
スティーブの返事をジェイミーはすかさず否定する。スティーブがちっと舌打ちするのを見て、カルロは口の端を上げた。
「いいよ、別に。バレて困ることでもない。俺たちは反乱軍の長、ソティスが隠し持っている、兵器のありかを探ってる」
カルロはあっさりと暴露した。
それはおおむね、スティーブが予測し、ジェイミーに伝えていたことと同じ内容だった。
本来、軍人としての教育をみっちり受けてきたレグルス国軍が、学ぶことを良しとされない奴隷たちの集団に圧されるなど、ありえないことだ。いくらソティスに人を動かす才能があり、奴隷たちが捨て身の覚悟を持っていたとしても、そもそも奴隷の命は尊重されていないのだから、対等な戦いになるはずがない。
レグルス国軍が反乱軍に猛攻を仕掛けないのは、それをためらわせる理由があるから。
ソティスを奴隷として所有していた人物はしがない武器商人だった。彼は死の間際にソティスを解放し、自らの資産を全て、ソティスに相続させた。それは知ろうと思えば誰でも知ることのできる事実だ。そして今は亡きソティスの所有者が、生前、自らの好奇心の赴くまま、恐ろしい兵器を開発していたという噂も、知ろうと思えば知ることは難しくない話だった。
「君たちが先に兵器のありかを見つけたら、まずいことになると最初は思ってたんだけどね。今じゃもう、誰でもいいから手がかりをくれって感じだよ」
内容とは対照的に、カルロの口調はのんびりとしている。コンロにマッチで火を入れたあと、肩に手を置いて首をまわし、ふぅと息をついた。
「協力します」
ジェイミーの言葉をカルロは予測していたのか、反応は薄かった。
「それはありがたい申し出だが、この件に関して君の協力が欲しいなら、シェリルを使ってとっくにそうさせてる。何でまた今になって、そんなことを言い出したんだ?」
「シェリルの様子を聞かないんですか?」
ジェイミーは自分の声がどこか苛立っていることを自覚していた。だがカルロがそんなことを気にするはずもなく、彼は相変わらず怠そうな態度でジェイミーとの会話を続けた。
「生きてるんだろう。それ以外に知りたいことはないな」
「レグルス国軍の動向は当然、常に把握しているんですよね。俺がヌブと手を組んだこともすぐに気づいた。奴らがシェリルと接触したことにも、すぐに気づいたんじゃないですか?」
茶葉が入ったガラス瓶の容器を棚から取り出しながら、カルロはからかうような口調で言った。
「意外に抜け目ないねぇ」
「防ごうと思えば、防げたんじゃないですか?」
「奴らも馬鹿じゃない。手加減してたさ。ただの暇つぶしだったんだよ」
なぜこのタイミングで、とジェイミー自身は不思議に思ったのだが、頭の中で何かがぷつりと音を立てた。カルロの胸ぐらを掴み、壁際に勢いよく押し付ける。もし彼がそれを避けようと思えば出来ただろうというのは、頭に血がのぼっている状態でも察することができた。カルロはさして驚いた様子もなく、しかし彼のまとう空気は一瞬で変化した。
「何かな、この手は」
このままではまずいというのは理解できた。しかし頭の中に、星空の下で、カルロの役に立ちたいと呟いた彼女の顔が浮かんで、腕にますます力がこもった。
「ジェイミー、落ち着け」
スティーブはジェイミーの肩を押して、引きつった声でカルロから引き離そうとした。ジェイミーはカルロをまっすぐ見据えたまま、絞り出すように声を出した。
「シェリルは、自分が何をされたのかも分かってないんだ。あんたがそうさせてる。あんたが彼女をまともに扱ってこなかったせいで、こうなった」
それは違うと、本当は分かっていた。八つ当たりする相手を明らかに間違えているのだが、恐らく自分は今、滅茶苦茶なことをして誰かに罰してもらいたいのだろうと頭のすみのほうで考えて、折り合いをつけた。
カルロが無言で、ジェイミーの腕を掴んだ。骨がきしむような、嫌な音がした。手を引けばすぐに解放されるだろうとなんとなく分かったが、ジェイミーは引かなかった。
その時、スティーブが部屋に響き渡るくらい大きな声で言った。
「いい加減にしろ! 仕方ないだろ、シェリルは奴隷なんだ! どうなろうとこいつが気にするもんか!」
その言葉のあまりの的の外れ具合に、ジェイミーは思わずスティーブの顔を見た。スティーブの顔は真剣だった。というより、必死だった。
「こいつは奴隷を道具だとしか思っちゃいない。シェリルがどんな目に遭おうが気にするもんか。奴隷だから気にならないんだ。奴隷だから簡単に見捨てることだってできるんだ」
それはいくらなんでも無いんじゃないの、とジェイミーは思った。スティーブの空気の読めない指摘を聞いて、一気に冷静になる。ふとカルロの顔を見ると、彼は恐ろしい形相でスティーブのことを睨みつけていた。
その顔を見て、ジェイミーはパズルのピースがぴったりハマったような不思議な感覚を味わった。カルロがシェリルに対してどんな感情を持っているのか、そのときはっきり分かったのだ。
知らず腕に込めていた力が抜ける。次の瞬間、みぞおちに衝撃が走った。
息が止まり、うめき声も出ない。膝から崩れ落ちて床に手を付く。絶対に吐くと思ったが、そういえば昨日から何も食べていなかった。
ジェイミーが激しく咳き込んでいる間に、カルロはさっさとお茶を淹れて、湯気の立つカップを差し出してきた。
「ほら」
反射的にカップの中身を喉に流し込む。どうにか咳は止まったが、彼の淹れたお茶のあまりの不味さにジェイミーは衝撃を受け、しばらく立ち上がることができなかった。
やっとのことで立ち上がったときには、カルロはテーブルの前に腰掛けていた。ジェイミーの隣に立っているスティーブの手にも、カルロが淹れたと思しきお茶の入ったカップがある。一口も口をつけている様子はない。
「で、どうする?」
ジェイミーはカルロの呼びかけに、数秒遅れて反応した。
「え?」
「俺たちに協力するって言っただろう。何をしてくれるわけ?」
ジェイミーはゆっくりと視線を動かし、スティーブと顔を見合わせた。




