40.内緒話
宿舎の談話室に足を踏み入れてすぐ、スティーブはソファーにどさっと体をあずけて眉間を押さえた。
「ったく。あんな挑発、もっと上手くあしらえよ」
「へとへとだったし、不意打ちだったし」
「言い訳をするな!」
「はい」
ジェイミーはしおらしく頷いたあと、スティーブの向かいに腰を下ろした。何か頭の中で高速で計算しているらしいスティーブに、恐る恐る声をかける。
「バレたかな」
「何が? 俺の指示でレグルス国軍に情報を流してたってことが?」
「いや、そうじゃなくて」
「そうじゃないのかよ」
スティーブはジェイミーが何を心配しているのか察したようで、聞こえよがしにため息をついた。
「いいかジェイミー。お前は多分、女王の不服を買った。だからもう、ヌブの提案を逆手に取って情報を操作することはできない。信用を失ったからな」
「不服を買ったって、どうして分かるんだ」
「ヌブはわざわざ俺に聞こえるように訓練場でお前を問い詰めた。俺のことを話題に出して注意まで引いて、お前がレグルス国軍に情報を流してるって話を聞かせようとしてた。つまり、もう用済みってことなんだろう。多分、神官団と接触したことが相当気に障ったんだ。腹いせにお前を孤立させようとでも思ったんだろ」
ヌブの真意は分からないが、スティーブの予想が大きく外れているということはないだろう。しかしジェイミーが危惧しているのは、このままではシェリルの正体がバレてしまうかもしれないということだった。そこに意識をとられて気が散っているジェイミーの思考を、スティーブはパンと手を叩くことによって、一旦止めてみせた。
「よく聞け。問題は、スプリング家がこのことをどう思うかだ」
スプリング家は今のところ、損しかしていない。神官団の協力は得られず、しかし神官団と接触しようとしたことは、女王にバレている。おまけに彼らは、ジェイミーがレグルス国軍と手を組んだことを知っている。
スティーブは数秒間考え込んだあと、再び口を開いた。
「今からシェリルに会いに行けるか?」
「ああ」
「全部話せ。正直に。それから口裏を合わせとけ。さっきヌブに対して俺が言ったことが嘘だってバレないように。アピールするんだ。全力で。俺たちのせいじゃないって!」
「まぁ、そうするしか、ないよな……」
ジェイミーは両手で頭を抱えた。いろいろ策を練りはしたが、結局すべてが裏目に出たわけだ。そしてしわ寄せは全てシェリルが引き受けることになる。
「そう気を落とすな。挽回のチャンスはまだ二週間もある」
それはつまりあと二週間しか彼女と自由に会えないということだ。その現実だけでもジェイミーには辛いものがあった。とはいえ、悩んでいても事態がよくなるわけでなし。ジェイミーは重たい体を持ち上げて、砂と汗にまみれたうっとうしい服を脱ぎ捨てるべく、自室へと向かった。
反乱軍の集会所である古城で、シェリルはジェトの怪我の手当てをしていた。所有者にムチで打たれたあとがまだよくならないジェトは、上の服を脱いで古びたソファーにうつぶせに横たわっている。シェリルは家からこっそり失敬してきた薬を、彼の背中に塗りひろげる。
「お前の所有者はさ、こんなに高い薬勝手に持ち出して怒んないの?」
痛みに顔をしかめながらジェトが不安げな声を出す。シェリルは綺麗な布で傷を覆いながら、頷く。
「怒っても、気にしないし」
「ムチで打たれないの?」
「打たれたことないの」
「へぇ。ついてるな」
殺されそうになったことはあるけど、とはもちろん言わない。シェリルは上半身を起こしたジェトの体に包帯を巻いたあと、古びたソファーにジェトと隣り合って座った。
「痛み止めは? 必要なら用意できるわ」
「いいよ。今日、イブがくれたから」
そうなの、とシェリルは平静を装って相づちを打った。ジェトはシェリルの動揺に気づいただろうが、あえて気づかなかったふりをして、うん、と頷いた。
ソティスに恋い焦がれていることをイブに打ち明けられてから、シェリルと彼女の間には見えない溝ができてしまっていた。協力する姿勢を見せなかったせいか、イブはシェリルに対して、怒っているようだった。
シェリルが反乱軍で親しくしていた者たちのほとんどは、いつも輪の中心にいるイブのことをリーダーとして慕っている。なので、イブと仲違いしたシェリルは今、反乱軍で孤立してしまっていた。
ジェトだけは、普段通りにシェリルと接してくれている。でもシェリルはあまりおおっぴらに彼と話さないように気をつけていた。そうしなければ、ジェトまで同じ扱いを受けてしまう。
シェリルは真新しい包帯に包まれたやせっぽちの体を見つめて、思わず提案した。
「懲らしめてあげようか」
「え?」
何ヵ所も縫い直したあとのある服に袖を通そうとしていたジェトは、動きを止めてシェリルを見た。シェリルはジェトの顔を、まっすぐ見据えた。
「あんたの所有者、懲らしめてあげようか。もうムチ打ちなんて、できないくらいに」
ジェトは困惑していることを隠すように、不自然な笑みを浮かべた。
「そんなことしたら、殺されるだろ」
「大丈夫。上手くやるから」
ジェトはしばらくシェリルの表情を窺っていたが、やがて何事もなかったかのように、袖を通しかけていた服を身につけ始めた。
「ジェイミーはさ、お前に乱暴したりしないの? 殴ったり、怒鳴ったりとか」
急にジェイミーの名前が出てきたので、シェリルは少し動揺した。
「しない……」
ジェトはボロボロの服をきちんと身にまとったあと、にやりと笑った。
「ついてるな、お前」
それは、妬みや嫉みではなかった。賛辞のようなものだった。必要なものを必要なだけ与えてくれる所有者。恐怖ではなく安心をくれる恋人。最初は同じ場所にいて、同じ扱いを受けていたはずなのに。
「薬、塗ってくれてありがとな」
ジェトはそれだけ言って、シェリルの元を去った。




