39.合同軍事演習
松明の火に囲まれた訓練場で、アンタレス国軍の兵士たちは地面に転がりぐったりと空を見上げていた。生気を失っている彼らを、一応、心配そうな表情を浮かべたレグルス国軍の兵士たちが、見下ろしている。
「まさか本当にやりこなすとはなぁ」
ジェイミーの顔を上から覗き込みながら、レグルス国軍の兵士であるヌブは感心した様子で呟いた。なぜアンタレス国軍の兵士たちがそろいもそろって力尽きているのか。事の発端は、一人の兵士の勇気ある行動だった。
レグルス国軍との合同軍事演習は、観光のようなもの。これは、アンタレス国軍に属する者たちの共通認識である。情報、技術を国外に持ち出してはならない、というレグルス国軍との取り決めのために、実際に演習に参加した者たちは、その内容を自国で詳しく語ることができない。だから演習の経験者たちは、観光のよう、としか説明しようがなかった。
いくら観光のようなものといっても、ジェイミーたちは、それっぽいことを少しくらいはするだろうと考えていた。週にたった二日しか行われない演習の内容が、女王陛下を信奉する名家の訪問や、王家の功績をレリーフなどを用いて振り返る、美術品や建築物の鑑賞会だと知るまでは、そう信じていた。
さて、今年の演習には幸か不幸か、常に自分を高め学び鍛えることに意欲を燃やす、向上心と正義感の塊のような男が参戦していた。彼はジェイミーの軍学校時代の後輩で、勤勉で実直ないい奴なのだが、ちょっと暑苦しいところがある男だった。衛兵隊に身を置くその男は、レグルス国軍の機嫌を損ねないようにと軟弱な演習内容に甘んじていたアンタレス国軍の中で、キラッと存在感を発揮してしまった。
彼はレグルス国軍の結構偉い立場にある指揮官に対し、悪に立ち向かう勇者のごとき勇ましさで、直接文句をつけた。仮にも天下のレグルス国を支えるレグルス国軍なのだから、こんなケチなやり方で技術や訓練方法を出し惜しみするなど、卑怯で姑息だ、と。
指揮官は、若さあふれるその主張に対して、大人の対応をした。確かに、自分たちは間違っていた。君の言葉で目が覚めた。次の演習では、もっとまともなことを共有できるよう、計画を立てるよ、と。
そして迎えた演習の日。レグルス国軍から提示されたのはありえない負荷の訓練内容。走って、壁のような障害物を乗り越え、懸垂して、射撃して、仕組みはよくわからないが高性能であることは分かる機械で吊るされた長いロープを一分以内によじ登って、重りを持ってスクワットして、鉄棒に逆さにぶら下がって腹筋して、そしてまた走って……。一連の動作を途切れることなく行い、どれだけ短い時間で三周できるかを競えというのだ。
レグルス国軍が普段行っている訓練を全く知らないアンタレス国軍は、最初、本当に彼らは普段からこの内容をこなしているのだと、一瞬信じた。スティーブでさえ表情を引き締めて、いい記録を出そうとやる気を出していた。
しかし途中で、ああ、これはただの嫌がらせなんだな、と気づいた。なぜ気づいたのかといえば、レグルス国軍の人間は誰一人として、訓練に取り組もうとすらしていなかったからだ。
とはいえ、ここでレグルス国軍からの挑戦を投げ出してしまったら、自分の立場もわきまえずレグルス国軍に噛み付いてしまった暑苦しいあいつの面目が大変なことになる。副団長はもうすでに、将来が楽しみすぎるあいつに目をつけてしまっているというのに。それに、ここで白旗を上げてしまうのはさすがに、悔しいという思いもあった。
かわいい後輩のために。そして自分たちの尊厳のために。ジェイミーたちは頑張った。血反吐を吐く思いで、アンタレス国軍の兵士たちの三分の一ほどが、なんとか課題を達成した。基本的に戦闘力を要求されない衛生隊などは、一周こなす前に脱落していた。
ジェイミーはどうにかこうにか、三周きっちり、やりきった。そして仲間たちと共に、訓練場で抜け殻になっていた。へばっているジェイミーのすぐそばに腰を下ろして、ヌブが言った。
「見直したよ。悪いけどちょっと見くびってたんだ、君のこと」
ジェイミーは寝転がったまま、顔だけヌブの方を見た。
「本当は、普段はどんなことを?」
「知りたい?」
「いや、もういいや。どうでも……」
酸欠で頭がよく働いていない。今何を聞いたところで理解できない。ジェイミーは片腕で視界を遮って、呼吸を整える作業に徹した。
「それにしても、あの二人はアンタレス国軍の中では群を抜いてるね。確かマークと、スティーブだっけ?」
ヌブが騎士隊の精鋭である二人の名を口にする。恐らく二人が軍の中で最初に課題を達成したのだろう。声を出すのも億劫なので、いちいち確認はしなかった。軽く頷くだけの返事をする。ヌブは気にせず話を続ける。
「だけどやっぱり僕は、君に一番感心してるんだよ。僕に相談もせずに、ウシル神官団と接触するなんて。意外に大胆なことするんだね」
ジェイミーは、ヌブがそう言ってから数秒間は、彼の言葉の意味を理解していなかった。ゆっくりと言葉の内容を飲み込んだあと、ようやく視界を覆っていた腕を持ち上げ、上半身を起こしてヌブの顔を見た。
「今、何て?」
「ああ、慌てなくていいよ。アンタレス国軍がウシル神官団と懇意にするのは、別に構わない。ただ、そういうことはちゃんと報告してくれないと困るんだ。君はレグルス国軍の大事な情報源なんだから」
そこまで聞いてジェイミーはやっと、疲労でにぶっている頭を無理矢理にでも働かせる必要があることを理解した。昨日ウシル神官団を訪れたことが、もうバレている。ということはこれは、どういうことだ。
「俺を監視してるのか?」
「まさか。ただ、僕たちの情報源は君以外にもいるってことを、あらかじめ言っておくべきだったね。陛下の力になりたいという人間は、どんな組織にも、どんな場所にもいるということをぜひ、覚えておいてくれ」
つまり、神官団の中にレグルス国軍と通じている者がいたということらしい。そいつに神殿の訪問を見られたのだとしたらこれは、まずい事態ではないだろうか。
ヌブはジェイミーの表情の変化を面白そうに眺めながら、言葉を続ける。
「君と一緒にいた男、スプリング家のダミアンだろ? あの一家、陛下にしつこく言い寄って金をせびってるって知ってるか? どこで知り合ったんだ? 君がスプリング家に協力してるのか? それともスプリング家が君に協力してるのか?」
ジェイミーはなんとか頭を働かせ、言葉を返す。
「俺は、あの人たちのことは大して知らない。何年か前、陛下が興味をもっておられたが、スプリング家には全く相手にされなかった。あの日は偶然、神官団の訪問の予定がスプリング家と重なったんだ」
「じゃあ、反乱軍にいる君の彼女があの日、神殿に忍び込んでたのはどういうわけだ? これも偶然かな」
ジェイミーは思わず歯がみした。一番知られたくないことを知られてしまっている。
「彼女のことは関係ないだろう」
ヌブはふっと口の端を上げて、小動物に向けるような、泰然とした視線を向けてきた。
「そんなわけないだろう、ジェイミー。あの奴隷のこと、調べたよ。鍛冶屋の主人がいるが、大して工場の仕事はしてないみたいだな。じゃあ、あの奴隷の本当の仕事は何なんだ? 君はあの奴隷と、どこでどうやって知り合ったんだ」
だんまりを決め込むジェイミーに、ヌブは再び何かを問いかけようとした。だがその前に、二人の元に鋭い声が飛んできた。
「おい」
声のした方を見ると、そこには険しい顔をしたスティーブが立っていた。スティーブはジェイミーたちから五、六歩離れたところから、こちらを睨みつけている。
「まずいな。聞かれてたか」
ヌブは大して困っていないふうな口調でそう言って、肩をすくめた。スティーブはヌブには見向きもせずに、大股でジェイミーのそばに歩み寄ってきた。
「今の話、本当なのか」
「え?」
「レグルス国軍の情報源だって話。お前、軍の情報をこいつに流してたのか」
噛みつかんばかりの勢いで問われて、ジェイミーはとっさに口をつぐんだ。その反応を見てスティーブは舌打ちし、来い、とジェイミーに短く命じた。ジェイミーが立ち上がるのと同時に、ヌブも立ち上がった。スティーブはその瞬間、ヌブに勢いよく詰め寄った。
「こそこそと動き回って、レグルス国軍はそんなに暇なのか。自分の庭でおままごとするのは勝手だが、人の部下をお前らのお遊びに巻き込むのはやめろよ」
「君が無能なのを僕のせいにしないでくれ。部下に裏切られるような上司だったことを、まずは悔やんでみたらどうなんだ」
スティーブはヌブのことを思い切り睨みつけたあと、行くぞ、とジェイミーに声をかけて、その場を去ろうとした。しかしすぐに立ち止まり、再びヌブの方を振り返った。
「言っておくが、スプリング家には俺たちも迷惑してるんだ。奴ら女王陛下の興味を引くためにジェイミーを利用しようと、偶然を装ってこいつのことをあっちこっち追いかけ回してる。変な勘繰りはするな。いい迷惑だ」
ヌブは目を細め、スティーブのことを注意深く見つめた。腕を組み、何かを考え込んでいる様子だ。
「まぁ、今のところは、その話を信じるよ」
「それと、お前がジェイミーの彼女だと思ってるあの女な、こいつのストーカーだ。しつこく言い寄られてるだけで、知り合いでも何でもない。どういうわけだかこいつの行くところにはどこにでも出没する。善意でアドバイスするが、あの女のことは真面目に調べるだけ時間の無駄だからな」
スティーブはそう言い切ると、今度こそヌブに背を向けて、ジェイミーを連れて訓練場をあとにした。




