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38.かわいい人

 やたらと前衛的にデザインされた、医務室にて。

 ベッドに横たわるウィルを不機嫌な顔で見下ろしているのは、衛生隊に所属するロイドである。普段は備えている能力を最小限しか発揮せず、必要最低限の仕事しかしたがらないロイド。そんな彼でもさすがに王弟が倒れたとあっては頑張らざるをえない。しかし、今彼が不機嫌な空気をかもし出しているのは、やらなければならない仕事を増やされたからではない。


「過労と寝不足と熱中症と脱水症のフルコース。死にたいの?」

「さっきまで平気だったんだけど、急にめまいが……」

「ここ最近体に力入んなかっただろ。それ、平気って言わないから。他にも熱中症になった奴はいるけどさ、こんなになるまで外出歩いてた奴はいないから。自分は不死身だとか思ってんの? いい加減やばいかもしれないって思わなかった? こんだけ弱った後で僕にどうしろっての?」

「ごめんって」


 ロイドはひとしきりウィルに説教したあと、厳しいまなざしのまま周囲を見回した。


「スティーブは? どこいったの。あいつの管理が悪いんだよ。大体騎士隊は毎日毎日馬鹿みたいに筋トレだの走り込みだの乗馬だのどうなってんだよ何を目指してるんだ最終的にどうなりたいんだ」

「あいつも反省してるし、落ち込んでるから……」


 ジェイミーがやんわりとロイドをなだめている横で、シェリルは先程までのスティーブの落ち込みようを思い返していた。

 人を人とも思っていないのかと勝手に想像していたが、あのショックの受け方からみて、彼にも一応感情というものが備わっていたようだ。会議があるとかでウィルが目を覚ます前に部屋を出ていったが、去り際、ウィルは本当に大丈夫なのかとロイドに何度も確認していた。責任を取らされることを恐れるような繊細さは彼には無いような気がするので、多分本当に心配していたのだろう。


 ロイドが水分補給のタイミングやら睡眠の大切さやら延々と説いている最中、ウィルは突然、上半身を起こした。


「おい、聞いてなかったのか。最低三日はベッドにへばりついとけよ。お前はベッドと一体化してこの部屋の主となれ」

「ああ、うん」


 ロイドの無茶苦茶な命令に適当に相づちを打ったウィルは、部屋の入り口に視線を向けた。そして何やら困った顔をしながら、そちらに向かって呼びかけた。


「リリー?」


 ウィルが呼びかけて数秒後、扉がゆっくりと開いた。隙間から、リリーがそろそろと顔を出した。顔だけ出して、なぜか部屋の中には入ってこない。


「スティーブが、忙しいから代わりにウィルの様子を見てきてくれって。だって、私は婚約者だから、そうするのが普通だもの。だから……」


 出だしから小さかったリリーの声は、しりすぼみに小さくなっていく。それに対してウィルは、シェリルも思わずはっとしてしまうくらいの、優しい声を返した。


「そうなんだ。ありがとう」


 リリーはしばらくドアの影に隠れていたが、やがて部屋の中に入ってきた。彼女はベッドのそばまでぎこちない動きで歩み寄り、それから、意を決したように口を開いた。


「じ、自業自得よ」

「リリー」


 ジェイミーがたしなめるような声を出す。ウィルがすかさずそれを遮る。


「いいんだ。リリーの言うとおりだから」


 リリーはかすかに唇を噛んだあと、再び口を開いた。


「私のことを、いつまでも子ども扱いするからこうなるの」

「そうだね。ごめん」

「私だって、ウィルの力になれるのに」

「知ってるよ。ずっとそうだった」 


 今のウィルはリリーに何を言われても頷き続けるだろうと、シェリルは思った。彼は話の内容よりも、リリーと会話を続けることに気を配っているようだった。ウィルの努力のかいあってか、むすっとした顔で足元を見つめていたリリーは、ようやく彼女の婚約者と目を合わせた。とたんに、ガラス玉をはめ込んだような彼女の瞳に、涙が溜まっていった。


「すごく悪いの?」

「まさか、すぐ良くなるよ」


 即答したウィルの背後でロイドがわざとらしく咳払いする。ウィルは若干頬を引きつらせつつも、笑顔のまま言葉を続けた。


「そういう意気込みはある」


 リリーの瞳からはとうとう涙がこぼれ落ちた。


「私のせいかも。私が大嫌いって言ったせいで、ウィルに悪いことが起きちゃったのかも……」

「そうだとしたら、誇っていいよ」


 笑い混じりのウィルの返答を聞いて、リリーはベッドのふちに腰かけて、彼の首に抱きついた。


「ごめんなさい」


 この瞬間のウィルの反応は、シェリルから見てなんとも不思議なものだった。彼はリリーを抱きとめたりはせず、かといって抱擁を受け入れていないわけでもなく、どこか困ったような表情を浮かべていた。


 一方のリリーはとても分かりやすかった。婚約者との仲直りを終え、すっかり機嫌を直した彼女は、部屋に入ってきたときと同一人物とは思えないほど自信に満ちあふれた様子で立ち上がった。それから部屋の面々に向けて、自分はウィルの婚約者だから、自分こそが彼の看病をするべきなのだと主張し始めた。それを聞いたジェイミーたちの表情が凍りつく。シェリルはジェイミーたちがなぜそんな反応をするのか分からなかった。元々悪かったウィルの顔色が、心なしかさらに悪くなっている。


「リ、リリーちゃん。君ほどの人が手ずから看病なんかしたら、ウィルは気が休まらないんじゃないかなぁ」

「私は婚約者だもの。気が休まらないわけないわよね、ウィル」

「あ、あぁ、うん……」

「リリー、看病っていうのは意外と難しい技術が要求されて……」

「ねぇ兄さん。私には看病なんてできないって、そう言いたいの?」

「まさかぁ」


 三人の狼狽(うろた)えぶりから見て、リリーの看病の腕は相当なものらしい。シェリルは少し考え込んだあと、三人に無言の圧を与えているリリーの腕を引っ張って、部屋のすみの方に移動した。


「ウィルは多分、あなたに弱ってるところを見られたくないのよ」


 考えに考え抜いて編み出した説得の言葉をシェリルが小声で告げると、リリーは納得いかないという顔を向けてきた。


「ウィルはそんな見栄っ張りじゃない」

「でもやっぱり、好きな人には強いところを見せたいんじゃない? きっと。たぶん。おそらく」

「好きな人?」

「あと、かわいい人」

「かわいい人……」

「それに、綺麗で、美人で、あとは、優しくて」


 考える隙を与えないように畳み掛ける。リリーは愕然とした様子で口元に手を当てている。


「大変。それ、全部私のことだわ」


 純真な瞳でリリーが呟く。あともうひと押しだと、シェリルは言葉をひねり出す。


「いくらウィルが心の広い人でも、あなたの前ではかたなしよ」

「ええ、そうよね。そこを見落としてた」


 リリーは目からウロコが落ちたというような顔で頷いた。

 結局、リリーはウィルの看病を諦めた。シェリルはアンタレス国の未来を救った。

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