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36.攻防

 ジェイミーは困惑していた。

 ウィルが行く手を(はば)んでいるせいで、神殿の中に入れないからだ。


「もしかして……俺たちの邪魔をするためにそこに立ってるのか?」

「スティーブの指示だ。悪いけどここは通せない」


 ウィルは申し訳なさそうな表情を浮かべて、そう言った。ジェイミーの背後でダミアンが舌打ちする。


「いや、通してもらう。そこをどけ」

「できません」

「手段は選ばないぞ」

「ではこちらも、力を尽くします」


 声色から察するに、ダミアンは脅しではなく本気でウィルに忠告していた。しかしウィルは腰に下げた剣を抜く素振りすら見せず、少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべるだけだった。


 ジェイミーは早々に諦めの境地に至っていた。ジェイミーたちは武器を持っていないということを抜きにしても、ウィルの隙をつくことはできないと、試すまでもなく分かっていた。

 つまり、計画は失敗に終わったということだ。しかしジェイミーはそのことよりも、ウィルが自分ではなくスティーブに協力しているという事実に地味にショックを受けていた。俺と仕事とどっちが大事なんだ、と内心思った。


 ジェイミーの表情から何かを読み取ったのか、ウィルは諭すような口調で語りかけてきた。


「僕は別に、ジェイミーとスティーブを天秤にかけてこんなことしてるわけじゃないよ」

「分かってる。上官の命令に忠実なのは、いいことだ」

「そうじゃない。これ以上危険の種が増えるのが嫌なだけだ。ジェイミーが神官団と親しくしたら、女王と反乱軍はリリーとレオを利用して後に続こうとするだろう」


 もしかしなくてもこれはスティーブの入れ知恵であるとジェイミーは確信した。スティーブはジェイミーがスプリング家に協力することをよく思っていない。だからウィルを利用して自分の思い通りに状況をコントロールしようとしているのだろう。


「俺が何もしなくても、女王か反乱軍がリリーたちに接触する可能性はあるだろう」

「だからニックとスティーブが今、交渉してる。宣教に協力するのと引き換えに、アンタレス国軍に帯同している人間をいざというとき保護してもらえるように」


 何て素晴らしい考えだ。

 ジェイミーは感心しつつ、腑に落ちなかった。そもそもスプリング家に協力するようジェイミーに勧めてきたのはニックである。ウィルはともかく、ニックがスティーブの口車に乗せられるとは考えにくい。一体奴は何を企んでいるのか。


「じゃあ、スプリング家がアンタレス国の人間を守れば文句はないだろう」


 ジェイミーとウィルは同時にダミアンを見た。ウィルが口を開く。


「そんなことができるんですか」

「少なくとも神官団よりは役に立つ。いいか、俺たちはアンタレス国と敵対したいんじゃない。女王を味方につけたいんだ。だからそこをどけ。代わりに婚約者を守れと言うなら、とことんやってやる」

「口だけならいくらでも言えるでしょう」


 ウィルは少々、頑固なところがある。今はリリーの安全がかかっているのでなおさら意思は固いようだった。一方のジェイミーは今さら、気持ちが揺らいでいた。シェリルの安全と家族の安全と、どちらかを選べと言われても、そんなことはできない。


 しかし、曲がりなりにもジェイミーたちは国民を守るために訓練を積んだ軍人である。いざとなればリリーやレオやレイチェルや、その他の同行者たちのことを、一丸となって守り抜くことに異論のある者は一人もいないだろう。


 だがシェリルはどうだろう。彼女のことは、誰が守るのか。演習が終われば、彼女の身に何が起こってもそばにいてやることすらできなくなる。だったら今、やれることをやるしかない。


「ウィル、頼む、通してくれ」


 ジェイミーが懇願すると、ウィルはわずかにたじろいだ。その隙をダミアンは見逃さなかった。


 目の端で何かが蝋燭(ろうそく)の光を弾いた。それがナイフだとジェイミーが認知したときには、ウィルはすでに剣を抜いていた。ダミアンは一瞬の隙をついて、ジェイミーの首にナイフを突きつけた。


◇◇◇


 ニックと大神官は契約を交わそうとしていた。法的な方法ではなく、宗教的な儀式によって。乳香の煙や香辛料の甘ったるい香りが部屋に充満している。神官たちはニックと大神官を取り囲んで、何かの呪文を唱えている。


「止めたほうがよくない?」


 ディアナが小声で尋ねてくる。

 シェリルは握りしめた手に汗がにじむのを感じながら、立ち尽くしていた。止めるべきだしそれができるのに、どうしても行動に移せない。


「止めるからね」


 ディアナが最終確認するように呟いて、ポケットから黒い玉を取り出した。シェリルはその手をとっさに掴んだ。


「シェリル?」


 不審げな顔を向けられても、シェリルはディアナの手を離さなかった。そのまま儀式を見守り続ける。やがて、儀式が終わった。これでニックとウシル神官団の契約は成立した。ニックがウシル教の宣教に協力する代わりに、神官団は奴隷を保護する活動の規模を大幅に拡大する。


 シェリルはほっと肩の力を抜いた。ディアナの視線には気づいていたが構わなかった。一度結んだ契約は、契約者が生きている限り、何があっても履行しなければならない。ウシル神官団は法律よりも宗教的な慣習を優先する。たとえそのせいで、人の命が奪われることになるのだとしても。


「ちなみに、私がジェイミーの説得に失敗したらどうなるんですか」


 ニックの疑問に、大神官は穏やかな声で答えた。


「ミイラにします」

「いいですねぇ、身が引き締まりますよ」


 ニックはヘラヘラと笑いながら、片手を差し出した。大神官が握手に応じる。そのとき、部屋の外からバタバタと足音が聞こえてきた。現れたのは、ジェイミーとダミアンだった。


 ダミアンは握手を交わしているニックと大神官を見て、一瞬で状況を理解したようだった。彼は顔色を失い、それから、近くの壁にごつんと頭を打ちつけた。

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