34.ウシル神官団
必要ないと言うジェイミーを説き伏せて、シェリルは軍の宿舎までジェイミーを送ることにした。
隣を歩くジェイミーを見ながら、シェリルは自分の見立てに間違いはなかったと満足していた。ずぶ濡れになってしまったジェイミーに店の商品を適当に選んで着てもらったのだが、よく似合っている。
見惚れたまま歩いていたら砂に足を取られた。とっさにジェイミーが腕を掴んでくれて、事なきを得た。君がいるとシェリルが使いものにならなくなる、というカルロの言葉を体現してしまっている状況に、なんともいたたまれなくなる。顔が赤くなっているのが自分でも分かった。
「ありがとう」
「とんでもない」
ジェイミーは当たり前のようにシェリルの手を握ってきて、そのまま何事もなかったかのように歩き出した。
あと何回こうやって二人で並んで歩けるだろうかと、シェリルは急に感傷的な気分になった。ジェイミーはこうやって少しずつ距離を詰めようとしてくれるが、そうされるとシェリルは距離を詰められたぶんだけ逃げたいような、落ち着かない気持ちになる。
おかしな話、今ジェイミーに見限られたらさぞかし辛いだろうが、さぞかし安心できるだろうと思うことがある。ジェイミーが国に帰ってしまう日のことを考えると怖いのに、別れ際に「もう二度と会わない」と言ってくれないかと、どこかで期待する気持ちもある。
とりとめのない会話を続けていたら、軍の宿舎に着いた。寄っていくかと聞かれて、なぜか断ってしまった。別れ際、無性に抱きしめてもらいたかった。
◇◇◇
ウシル神を祀る神殿。砂漠の真ん中にぽつんと佇むその建物は、組織の影響力を考えれば、存外に慎ましい外観だと言わざるを得ない。長方形に切り出した石を積み上げただけの塔門は、ジェイミーの目には建物というより、ただのオブジェのように映っている。しかし主神殿はここから離れた場所にあるというから、目の前の建物だけを材料にウシル神官団に対する評価を下すのは尚早だろう。
そもそも、この質素な建物にウシル神官団の大神官が滞在しているのは、ここからラクダに乗って数十分の場所にある建物に、ウィルが滞在しているからだ。この国のありとあらゆる団体はウィルと交流を持ちたがったが、それはウシル神官団も例外ではなかった。
ウィルはもうすでに神官団の夜会に参加したことがあって、大神官と顔を合わせていた。ウィルが言うには、大神官はウィレット一族に興味を持っているというようなことを、それとなく匂わせていたらしい。ウィル自身はその事実が特別な情報であるとは、特に考えていなかったようだ。
しかし一昨日の夜、状況が変わってしまった。シェリルの安全のためにも、スプリング家の信頼を得るためにも、ジェイミーは何としてでも大神官の心を掴まなくてはならない。
「建物の中には前にも説明した通り、俺たちの仲間のディアナがいる」
神殿の前でひるんでいるジェイミーの背後で、双子の片割れであるダミアンが声を上げた。ジェイミーは振り返って、口を開く。
「あの、やっぱりスティーブかニックか、同行させるわけにいきませんか」
「あいつらを同行なんかさせたら小ざかしいやり方で自分たちの得になるように状況を引っかき回すに決まってる」
なんという的確な指摘だろう。確かにあの二人はジェイミーの手に余る。そして頭がよく回る。
それに対してジェイミーは、謀の才能がない。単独で神殿に乗り込み自分一人で何もかも完璧にこなすというのは、ちょっと無理があるような気がしていた。
「心配しなくていい。俺もついてくから」
「そうなんですか?」
「中にはシェリルもいる。念の為に忍び込ませといた。やる気出るだろ? びしっと決めてやれ」
強めに背中を叩かれて、思わず咳き込む。やる気が出るというより、シェリルを目の端にちらつかせて脅されているような気がするが。多分脅されているのだろうが。
ここに来る前に何度も確認した計画の内容を、ジェイミーは念のため頭の中で反芻する。
ウシル神の信者はそのほとんどが、レグルス人である。しかし神官団はウシル神の教えを国内だけでなく、国外にも広めたいと考えている。ところが困ったことに、レグルス国は国交を嫌う。そのため、国の文化は独自の発展を遂げている。だからウシル神の存在はレグルス国以外の国の文化になかなか馴染まない。
一方のハデス神は、アンタレス国だけにとどまらずいくつかの国に信者が存在し、閉鎖的なレグルス国にもその名前と存在を知る者は多くいる。同じ冥界の神でも知名度は全く異なるのだ。
そのためウシル神官団は、ハデス神の子孫だと言われているウィレット家に興味を持っている。ウィレット家と交流すれば、その人脈に便乗してウシル神の知名度を高め、教団の規模を世界に広げられるのではと淡い期待を抱いているらしい。
ジェイミーがハデス伯爵への口添えを申し出れば、よほどの下手をしない限り、神官団は興味を示す。つまり、交換条件を提示するチャンスである。交換条件とはもちろん、ウシル神官団がスプリング家の協力者となることだ。これがスプリング家が考えた計画だった。
うまくいく気がしない、とジェイミーは改めて思った。ジェイミーはウィレット家の血を一滴も継いでいない。そして伯爵はジェイミーの言うことなど聞かない。
それでも引き受けてしまったのは、ニックが「案外何もかもうまくいくかもしれない」と言いだしたからだ。スプリング家に協力する代わりに、競技で入賞できるようにしてもらえばいい。そうすれば貸し借りはなしだと、あとになって冷静に考えてみれば全く釣り合わない提案までしてきた。
シェリルのために協力するべきか、軍のために突っぱねるべきか、悩みに悩んでいた最中での親友の勧めである。あのときは何故かニックの言うことが妙案に思えて、その提案に頷いてしまった。
もうやるしかないと、ジェイミーは腹をくくった。塔門をくぐり地下へと続く階段を降りる。大人が二人並んで歩ける程度の幅がある階段の壁には、等間隔に燭台が設置されていて、蝋燭には火が灯っている。天井が太陽の光を遮ると、暑さがぐっと和らいだ。
足音を反響させながら階段を下りきったジェイミーとダミアンは、神殿の入り口に立ちはだかる人物を見て目を丸くした。
「やぁ、ジェイミー」
笑顔で片手を上げる男を前に、ジェイミーは呆然と呟いた。
「ウィル。何やってるんだ」
「仕事」
なぜか帯剣しているウィルは、簡潔にそう告げた。




