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33.シェリルの悩み

 一昨日、反乱軍の集会に参加したときのことだ。


 シェリルは、反乱軍の首長であるソティスを、愛していると打ち明けてくれたイブのことを、説得しようと心に決めていた。ソティスに失望してしまうような嘘を吹き込んででも、彼女の恋を食い止めようと思った。彼は実際にろくでもない奴だから、そうしたって構わないと自分に言い聞かせて。それはいずれシェリルが反乱軍を裏切ったときに、少しでも罪悪感が薄れればいいという打算に他ならなかった。


 古城に足を踏み入れたとき、イブの方が先に、シェリルに話しかけてきた。彼女は真剣な顔で近づいてきて、無言でシェリルの手を引いた。誘導されるがまま入った部屋には、大勢の奴隷たちが集まっていた。


 血の臭いが鼻をついた。部屋の中央にはうつ伏せに横たわる男の姿があった。シェリルと同じ奴隷小屋で売られていた、ジェトだった。彼の背中には痛々しい、鞭で打たれた跡があった。


 ジェトの所有者は数日前に、自分の奴隷が自分に無断で反乱軍の集まりに参加しているようだと、ようやく気づいた。活動を止めるよう所有者に命じられても、ジェトは古城に足を運び続けた。だからジェトの所有者は、他の奴隷が彼の勇気に触発される前にと、見せしめとして町の広場で鞭打ちの罰を与えたのだ。


 シェリルは反乱軍の仲間たちと一緒に、泣きながらジェトの手当てをした。自分と同じ模様の烙印を見て、体を真っ二つにされたような気分になった。


 シェリルは今まで特別に意識してこなかった自分の素性を、意識し始めていた。

 シェリルは、奴隷であることが嫌だと思ったことはない。少なくともカルロに買われた日から今までの間で、奴隷であるせいで苦痛を感じたことは無かった。それでも、奴隷でよかったと思ったこともない。それは、自分の自由がカルロの良心だけで成り立っている心許ないものだと、無意識に理解していたからなのだと、今になって思う。

 こんな制度は間違っているのだろうか。そう疑問に思ったとき、初めて自分の腕にある烙印の存在を恥ずかしいと思った。


 それでもシェリルは女王のために働かなければならない。スプリング家が女王を味方につけた(あかつき)には、反乱軍を壊さなければならない。そして世の中は変わらない。奴隷制は無くならない。その事実を、今はもう、他人事だと思えなくなっていた。




 反乱軍の集会を終え、シェリルは日の光が照りつける道をとぼとぼ歩いていた。


 ジェトの傷の具合がよくない。ソティスがジェトのために用意した薬は上等なものだったが、それでもジェトは生活環境がよくないので、あまり効果が出ないようだった。


 彼にはベッドがない。もちろんふかふかなクッションも、肌触りのいいシーツもない。例えばシェリルが寝心地のいい寝具をジェトに与えたとして、そんなものを使っているだけで所有者の機嫌を損ねてしまうだろう。大抵の所有者は常に、奴隷を鞭打つ理由を血眼になって探している。だから、清潔なベッドと十分な休養は、ジェトにとっては王族の暮らしと同じくらいに縁遠かった。


 怪我の痛みに苦しむジェトの傷の手当てをしながら、シェリルはさり気なく、一緒に彼の手当てをしていたイブに忠告した。ソティスの取り巻きになることは現実的ではないし、リスクも多いと。言葉は選んだがそれでも、イブは怒ってしまった。今夜の仲間内の集会には来なくていいと言われてしまった。


 つらつら考え事をしているうちに、家にたどり着いた。

 今日はカルロに仕立て屋の店番をするようにと言われている。シェリルは作業台の前に腰かけて、服のポケットからダイヤモンドの首飾りを取り出した。存在感がありすぎる首飾りは、首から下げるにはいささか勇気のいる代物である。これはシェリルにとっては装飾品というよりも、お守りのようなものだった。


 今日もジェイミーに会いに行くべきだろうかと、首飾りを眺めながら思い悩む。会いたいけれど、会いたくない。彼もシェリルの悩みのひとつなのだ。


 作業台に頭を突っ伏してうだうだ考え込んでいたとき、ふと、ジェイミーの声が聞こえた気がした。最初は気のせいだと思ったが、彼の声に混じってカルロの声も聞こえてきたので、だんだん気のせいではないような気がしてきた。


 店の外に出て、建物を壁沿いに進む。すぐにジェイミーとカルロの姿を発見した。ジェイミーは外壁にもたれて地面に座りこんでいた。ジェイミーの正面にしゃがみこんでいるカルロが、彼の頬をぺちぺちと叩いている。


「おーい、大丈夫か?」


 ジェイミーはカルロの呼びかけに答える気力もない様子で、ぐったりとしている。シェリルは慌てて二人のそばに駆け寄った。


「ちょっとカルロさん! ジェイミーに何したんですか!」

「急にフラフラし始めたんだ。なんでだろう。俺の魅力にくらっときたのかな」


 真面目な顔で思案するカルロを押しのけ、シェリルはジェイミーの顔を覗き込む。


「熱中症ですよ!」

「ああ、なるほど」


 のんきなカルロの返事を待つことなく、シェリルは急いで水を汲みに走った。水をたっぷり汲んだバケツを二つ持って、うおおお、とジェイミーの元へ舞い戻る。そしてジェイミーの頭に勢いよく水をかけた。不意打ちの水責めに、ジェイミーは一瞬呆然となっていた。


「あの、シェリル、気持ちは嬉しいんだけど、何もそんな……」


 最後まで聞くことなく再び頭から水をかける。事は一刻を争うのだ。救ってみせる。ジェイミーの命は、この手で必ず!


「カルロさんの馬鹿! どうしてジェイミーをこんな……こんな……ボロボロのボロ雑巾みたいになるまで痛めつけたんですか!」

「ボロ雑巾はちょっと、言い過ぎじゃないかな……」


 ジェイミーの抗議の声は弱々しい。カルロは悪びれることなく肩をすくめる。


「そんなこと言われてもな。ジェイミー君の方から俺を頼ってきたんだ。文句を言われる筋合いはないだろう」


 詳しく話を聞けば、カルロはジェイミーに、三週間後に行われる二カ国対抗競技大会で良い結果を出すために何をすればいいか教えて欲しいと、頼まれたのだという。カルロは頼まれた通り長距離走の練習方法などを教えていた。すると突然、ジェイミーがフラフラし始めた、というのが事のいきさつらしい。


「真っ昼間に外を走らせるなんて、ジェイミーを殺す気ですか」

「仕方ないだろう。夜は訓練があるって言うんだから」


 とにもかくにもシェリルはジェイミーを背負って日陰に移動しようとした。何とか引っ張り上げようとするが、遠慮して全く体重をかけてくれない。結局カルロが彼を背中に担いで、三人は家の中に移動した。


 もう平気だと言うジェイミーをシェリルはソファーの上に力ずくで押し倒した。シェリルは常夏の国で育った常夏女である。熱中症の対処法はばっちり頭に叩き込んである。意気込んでジェイミーの服を脱がそうとすると、彼は全力で抵抗した。


「大丈夫よジェイミー、怖くないわ」

「助けて!」

「やめなさいシェリル。トラウマになるぞ」


 カルロに注意され、シェリルは仕方なくジェイミーの服から手を離した。

 カルロから水の入ったコップを受け取ったジェイミーは、シェリルと十分に距離を取ったうえで水を喉に流し込んだ。本人の言う通り、ジェイミーは案外平気そうだった。彼が今抱えている問題は、頭の先から足の先までずぶ濡れであることだけだった。


「長距離走の走り方なんて、レグルス国軍に聞けばいいのに。そのための合同演習でしょ。どうしてわざわざカルロさんに?」


 ジェイミーは気まずそうに視線を泳がせ、カルロを見上げた。ジェイミーの真正面に立ちはだかっているカルロが、代わりに疑問に答える。


「ジェイミー君が、ディアナの仕事を手伝う代わりに大会で入賞できるようにして欲しいって言うもんだから、俺がひと肌脱いだってわけだ」


 スプリング家の仲間の一人であるディアナは今、ウシル神官団という宗教組織に潜入している。なんでも、ジェイミーが観光がてらウシル神の神殿を訪れたとき、たまたまディアナを見かけて、彼はスプリング家がウシル神官団に潜入していることを知ったのだという。そしてたまたまジェイミーはウシル神と縁のある立場であった。だから力になれるかもしれないと、ジェイミーが自主的に、どうしても手を貸したいと、カルロに協力を申し出たのだという。


「そんな都合のいい話があるわけないでしょう」

「だよな。本当はジェイミー君が何かよからぬ事を企んでるみたいだったから、それ相応のやり方で埋め合わせてもらおうと思ったんだ。まぁそれでも、これは周知の事実だと思うが、俺は寛大な心の持ち主だからな、ジェイミー君の望みも一つくらいは叶えてやろうと思ってね。だけどお前は絶対に反対するだろう。だから俺とジェイミー君はこうやってこっそり秘密の逢瀬を重ね……」

「しますよ! 反対するに決まってるでしょう!」


 シェリルは勢いよく立ち上がり、そしてソファーの端に座っているジェイミーのすぐ隣に腰掛け、彼の両肩をつかんだ。


「ジェイミー、どうしてこんなことになってるって教えてくれなかったの。カルロさんの言うことなんか、聞かなくていいのよ」

「いや、自分でそうしたくてやってることだから」


 ジェイミーの態度は、無理やり言わされているという感じではなかった。しかしシェリルは納得できなかった。


「軍にバレたらどうするの」

「軍を裏切るわけじゃないし、それにこれは、俺の個人的な問題だから」


 そう言われてしまえばこれ以上むやみに踏み込むことはできない。それでもなんとか説得の言葉を探していると、頭上からカルロの声が降ってきた。


「おーい、シェリルさんや。ジェイミー君がどんなことを企んでたか、気にならないのか?」


 シェリルはカルロの顔を見上げたあと、ジェイミーの顔を見た。ジェイミーはどことなく決まり悪そうな顔をしている。


「ジェイミーが言いたくないことなら、聞きません。カルロさんは私たちのことには口を挟まないでください」

「はいはい、そうですか。お好きにどうぞ」


 カルロは適当な相づちを打ったあと、腕を組み、無駄に偉そうな態度でジェイミーを見下ろした。


「さて、ジェイミー君。心して聞いて欲しいことがある」

「はい」

「君はね、体力や技術に関しては、特に問題はないようだ。ど素人というわけでもないし、真面目に走れば入賞するのが絶対に不可能ということはないだろう。ただ……」

「ただ?」


 カルロは人差し指をジェイミーの鼻先に突きつけた。


「君には、信念が足りない」

「信念?」


 ポカンとするジェイミーの隣で、シェリルは嘆息する。


「カルロさん、もっと真剣にアドバイスしてあげて下さい」

「俺はいつだって真剣だ。ジェイミー君。初めて会ったときから思ってたんだが、君にはどうにもこう、情熱や必死さのようなものが足りない気がするんだ。何だ、最近の流行りか? ガツガツしないのが格好いいのか?」


 カルロの言いがかりに、ジェイミーは困惑している。


「さぁ。やる気は結構、あると思うんですけど……」

「結構? そんなことでいいのか? 勝ちたいんだろう。入賞したいんだろう。だったらもっと強欲に、他の選手を蹴散らしてでも勝ってみせるくらいの、何なら優勝してみせるくらいの意地を見せなさい。それくらいの意気込みがあってようやくスタート地点に立てる。それが勝負の世界だ」


 いまいちピンとこないのか、ジェイミーはただただ困った顔で「はぁ……」と頷いていた。

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