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32.冥界王

 レグルス国の国土は、人が住んでいない地域も含めアンタレス国の三倍以上の広さを誇る。人口にいたっては十倍以上だと言われている。アンタレス国とは比較するのもおこがましいほどの大国だが、共通点もある。両国とも、多神教なのだ。


 地域によって信仰する神が違い、国民に人気のある神、ない神、というのも存在する。レグルス国はその長い歴史の中で、人気のある神を信仰する神官団のほうが、王家より強い権力を持った時代があったと言われている。アンタレス国も他人事ではないが、現在は国王の人気が高く、人口も少ないため、分裂の危機は免れている。


 一方のレグルス国は、長年この広い土地をまとめることに苦労してきた。王家が権力を持ち続けるためには、信仰を味方につけることは必須である。そして各地の神官たちも、権力が欲しければより絶大な人気を誇る神を味方につける必要がある。


 だからこの国ではあちらこちらで、神がアレンジされている。神官たちは自分たちが信仰する神と、国民に人気のある神を合体させて一柱の神にしたりして、より強い権力を手に入れようとしている。


 そして王家も、自分自身を最強の神の末裔(まつえい)のように仕立てあげることで、国民に畏敬(いけい)の念を抱かせようとしている。自分たちはあの神の血を引いているとか、あの神の血も引いているとか、ありとあらゆる神の血を引いていることにして王家の影響力を維持しようとしているのだ。


「教えて、ジェイミー君。この国の女王様はどんな神様の血を引いていると言われてるの?」


 アメリアに問われて、ジェイミーは考え込む。


「確か天空の神、太陽神に、月の神、戦争の神と、あとは……」


 スティーブが助け船を出す。


「冥界神と葬祭の女神」

「ああ、そうそう」


 アメリアはずい、とジェイミーに顔を近づける。


「それじゃあ、教えて、ジェイミー君。この国で国民に最も人気のある神様は誰?」


 ジェイミーが答える前にスティーブが口を開く。


「冥界神でしょう」

「お前いつからジェイミーになったの?」


 ニックの皮肉をスティーブはさらりと無視する。


 レグルス国の死生観は独特である。死を、人生というサイクルを構成する一つのプロセスとしてとらえているのだ。だから彼らにとって死後の世界というのは、現世と同じようにとても重要だ。

 死後の世界の環境は現世でどのような行いをしたかで決まるという。だから王侯貴族ではない、選ばれし者ではない庶民の魂を、等しく公正に裁く冥界神の存在は、レグルス国民にとってとても大切なものだった。


 ジェイミーは嫌な予感に眉をひそめた。アメリアがなぜこんな話をするのか、読めてきたのだ。


「あなたに一つ、お願いがあるの」

「断ります」


 再び、ジェイミーが口を開く前にスティーブが声を上げた。アメリアは動じることなくスティーブに視線を向ける。


「あら、どうして?」

「ジェイミーはハデスの血を引いていません。役には立ちませんよ」


 ジェイミーの母の、夫。ハデス伯爵は、アンタレス国の神話を信じるならば、冥界王ハデスの子孫である。


「私たちはね、冥界神を信仰するウシル神官団を味方につけたいの」


 ウシル神官団とは、冥界神ウシルを信仰する一団である。ウシルは国民からの絶対的な人気を誇っている神であり、王家がウシル神官団を目障りに思っていることは、よそ者であるジェイミーでも容易に想像できるほどだった。王家を恐れぬ反乱軍も、ウシル神官団には一切手を出していない。


 だからスプリング家は今、ウシル神官団を味方につけようと企んでいる。スプリング家がウシル神官団を味方につければ、女王はスプリング家を(ないがし)ろにはできなくなる。そうカルロは考えているらしい。


 とはいえ、歴史ある宗教組織は数ヵ月やそこらで懐柔できるものではない。王家が恐れるほどの力を持っている組織なら、なおのこと。


「ジェイミーはあなた方の力にはなりません」


 アメリアの説明を聞き終わってすぐ、スティーブが念を押すように言った。アメリアはすっと目を細め、スティーブを見据えた。


「なぜ?」

「騙されませんよ。ジェイミーがウシル神官団と接触したら、アンタレス国軍は女王にも反乱軍にも警戒されることになる。得をするのはスプリング家だけでしょう」


 スティーブの言葉を聞いて、ジェイミーは考えを巡らせる。


 思い返してみれば、この国に入国してからしばらく、レグルス国軍の人間に「君はウィレット家のジェイミーなのか、結婚したのか、どうして名前が変わったのか」等、聞かれることが多かった。ただ単にアンタレス国の貴族との繋がりが欲しくていろいろ詮索しているだけだとジェイミーは思っていた。だがもしかすると、ウシル神官団に一目置かれているであろう冥界王の子孫を、彼らも味方につけておきたかったのかもしれない。


 しかしスティーブが言った通り、ジェイミーはハデスの血を引いていない。スプリング家もそのことを承知しているはず。とすると彼らの本当の狙いは――。


「リリーですか」

「え?」


 アメリアはジェイミーの問いに、目を見開く。


「俺を足がかりにして、リリーを利用するつもりですか」


 レオの存在をスプリング家が把握しているかどうかは分からないので、一応伏せておいた。ジェイミーの言葉の意味を理解したらしいアメリアは、ここに来てはじめて、超然とした空気を引っ込め口もとに苦笑を浮かべた。


「はっきりさせておく。私たちスプリング家は、ウィリアム王子を敵に回すつもりはない。だからあなたの妹には、絶対に手を出さないと約束する。それに、弟がいることもちゃんと知ってる。だけどスプリング家が他人の子供を危険に巻き込むことはあり得ないわ」

「どうなってもいいのはジェイミーだけってことか」


 ニックの言葉を聞いて、アメリアはわざとらしく困り顔を作った。


「ひどいこと言うのね。でも要は、そういうこと」

「そもそもたった三週間で、俺に何ができるって言うんですか」


 ジェイミーにはどうしても、自分にウシル神官団を味方につけるほどの価値があるとは思えなかった。アメリアはジェイミーの疑問に、やけに優しい口調で答えた。


「これは私たちスプリング家の理念なんだけど、人の心を動かすものは、金、権力、先導者の三つ。彼らは金と権力をすでに持っている。そしてあなたはまさに、私たちが求めてる最後のピース、先導者よ」


 ジェイミーはスティーブを見た。スティーブは首を横に振った。二人の意思疎通を遮るように、アメリアが言葉を続ける。


「あなたが協力してくれたら、シェリルも喜ぶ」


 ぴたりと動きを止めたジェイミーのすぐそばで、スティーブが舌打ちする。


「騙されるなジェイミー。お前の説得をするのにシェリルを連れてこないなんておかしいだろ。この話を知ったら反対するって分かってるから連れてこないんだ」


 スティーブに負けじと、アメリアもジェイミーに語りかける。


「言ったでしょう、ジェイミー君。情報が漏れてるの。あなたとシェリルの関係は、レグルス国軍に筒抜けだった。だからそこを利用された。これがどういうことか分かる? 反乱軍にレグルス国軍とつながっている人間がいるということよ。シェリル以外の」

「だから、ジェイミーはレグルス国軍と手を組んではいません。そもそも、ジェイミーとシェリルの関係を女王にバラしたのはあなた方でしょう。身内がアンタレス国軍と親密なら、女王の関心を引ける」

「平和ボケしてるあなたたちに特別に教えてあげる。戦争の最中は、情報は銃よりも強力な武器になる。私たちは女王に、シェリルがスプリング家の人間だということを知らせていない。知らせればその情報は反乱軍との交渉材料になってしまうから」


 ジェイミーは軍学校で学んだことを思い返した。長引く戦争で行われるのは命の交換だ。捕虜と人質の交換。人質と情報の交換。そしてその情報がまた人を殺す。


「内通者はシェリルの正体に気づいているんですか?」


 ジェイミーの問いに、アメリアは難しい表情を返す。


「分からない。潜入が長引けば、しっぽを掴まれるリスクは高くなる。女王はシェリルのことなんか簡単に切り捨てるわよ。そうなったとき、スプリング家はあの子を見捨てるわ。それが私たちのやり方」


 だから早くこの馬鹿げた戦争を終わらせなければならない。戦争を終わらせるためには、スプリング家が女王に雇われる必要がある。そしてそのためには、スプリング家がウシル神官団を味方につける必要がある。


 ジェイミーは悩んだ。シェリルの安全を盾にされては、断れない。しかし自分がウシル神官団と接触すれば、レグルス国軍と反乱軍の恨みを買ってしまうだろう。そうなればアンタレス国軍に帯同している者たちにも危険が及ぶ。


 スティーブは絶対に断れと忠告してきた。するとアメリアは、反乱軍が裏切り者をどんな風に罰するか事細かに説明し始めた。


 困り果てるジェイミーを救ったのは、ニックであった。


「タダで引き受けるっていうのは、割に合わないよな」


 その言葉で言い争う者たちの注意を集めたニックは、少し考え込んだあと、アメリアに視線を向けた。


「だからさ、こういうのはどう?」

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