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29.不器用な恋人たち

 ジェイミーの話を聞いて、シェリルはどんよりと落ち込んだ。


「ごめんなさいジェイミー。私のせいでその日暮らしのじり貧生活になってしまったのね」

「誰がじり貧だ。そこまで言われる筋合いないだろ」


 シェリルは夜なべをするジェイミーを想像して涙をぬぐった。そしてふと、ある人物の姿が頭に浮かんだ。ジェイミーの隣で針仕事をする、レイチェルの姿である。


「レイチェルは?」


 シェリルの問いにジェイミーは首をかしげる。


「レイチェル?」

「乳母はもういるんでしょう。じゃあどうしてレイチェルも連れて来たの?」

「ああ、ジーナは自分の子の世話もしなきゃいけないからね。もう一人子守りを雇った方がいいって、リリーがいつの間にか誘ってたんだ」


 レイチェルはちょうど、行儀見習いの受け入れ先を探していた。一度レグルス国を訪れてみたいと考えていたらしく、良い機会だからとレオの子守りとして名乗りを上げたのだという。


 ずいぶん助かってる、と話すジェイミーを見て、シェリルの胸の中にはもやもやとした気持ちが充満した。シェリルはちゃんと覚えている。レイチェルの初恋はジェイミーだったと、リリーが話していたことを。


 さりげなくその話を振ってみると、ジェイミーは照れくさそうに頬をかいた。


「ずっと昔のことだろ。よくある話だって」

「よくあるの?」

「え……いや……? まさか、ないよ」


 慌てて否定するジェイミーを見て、シェリルは愕然とした。この焦りよう。同じようなことをとがめられた経験が、過去にもあったと見える。


 こうしてはいられない。シェリルは"男を虜にするためのアメリアルール"なるものを実践することに決めた。アメリアの言うことには、初心者は身体接触がもたらす手っ取り早い効能を最大限利用すべし。さすれば幸福が訪れん。


 シェリルは流れるような動作でジェイミーの膝の上に横乗りになった。ジェイミーはびっくりしていたが、嫌がりはしなかった。近距離から非難がましい視線を投げると、青の瞳が動揺するように揺れた。


「もしかして、妬いてる?」

「そうよ」


 即答すると、ジェイミーの口元に複雑そうな笑みが浮かんだ。


「会えない間俺がどんな気持ちでいたか、分かりもしないくせに」

「何もしないの?」


 ジェイミーの濡れた髪が、額に張りついていた。それを指でなぞりながら呟くと、ジェイミーはきょとんと目を丸くした。


「え?」

「私たち今、暗がりで二人っきりよ。それなのに、何もしないの?」


 答えを聞く前に、首筋に口づける。ジェイミーはしばらくの間微動だにせずされるがままになっていたが、突然、サイドテーブルに置いてあった酒瓶を素早く掴んで中身を透かし見た。それを見てシェリルは驚いた。瓶はほとんど空になっていた。


「何杯飲んだ?」


 恐る恐るといった声でジェイミーが尋ねる。シェリルはぼんやりする頭で考える。


「さあ、数えてなかった」


 ジェイミーは何か言いかけて口を閉じ、再び何か言いかけて、やっぱり口を閉じた。そして、酒を何杯飲んだか懸命に思い出そうとしているシェリルの唇をふさいできた。

 迷いなく舌が入ってくる。アルコールの苦味が何もかもを痺れさせるようだった。ジェイミーに完全に身をまかせていたシェリルは、彼の指が胸元のボタンを外しにかかったとき、なんとか力をふりしぼってその手をやんわりと掴んだ。


「あの、ジェイミー」

「……もしかして、吐きそう?」

「違う。寝そう」

「は?」

「寝そう。すっごく眠い」

「はぁ?」


 ジェイミーの膝の上の居心地のよさよ。素晴らしい寝床を発見してしまった。昨晩よく眠れなかった上にいい感じに酒に酔っていて、シェリルは今すぐにでも意識を手放してしまいそうだった。


「頑張れ、耐えろ、耐えるんだ」


 軽く頬を叩かれるが、手つきが優しすぎてなんの役にも立ちはしない。ジェイミーの肩を枕にして瞼を閉じる。ふわりと石鹸の香りがした。


「冗談だろ……」


 そんな囁きさえ、シェリルにとっては子守唄のように心地いいものであった。


 髪の毛や頬をくすぐるような感触によって、シェリルの意識は浮上した。目覚めたとき、真っ先に目に入ったのは自分を見下ろす不機嫌な顔だった。シェリルはいつの間にかベッドの中にいて、やたらと肌触りのいいシーツにくるまっていた。窓の外はすでに明るい。眩しさに思わず目を細める。


 ベッドのふちに腰かけているジェイミーが、重々しく口を開く。


「何でこうなったか、覚えてる?」

「覚えてる……」


 へぇ、と低い声が返ってくる。シェリルはゆっくりと周囲を見回す。


「いま、何時?」

「十ニ時」


 ジェイミーの答えに、シェリルは飛び起きた。今日は洗濯当番なのだ。しかし焦りは表に出せなかった。ジェイミーが禍々(まがまが)しい空気をかもし出していたからだ。


「あの、ジェイミー」

「何」

「もう帰らなきゃ」


 部屋の中は太陽の熱のせいでひどく暑く、何もかもを脱ぎ捨ててしまいたいほどだった。が、ジェイミーの視線は体の芯から凍てついてしまいそうなくらいに冷え冷えとしていた。


 何か食べてから帰れば、と有無を言わさぬ声で提案されて、シェリルはジェイミーと共に宿舎の食堂に向かった。通りすがりの軍人たちに、意味ありげな視線を向けられる。シェリルはすれ違いざまに注がれる視線の理由を想像して無意味に消耗した。しかし、この状況で一番割りを食っているのは恐らくジェイミーである。


 生暖かく見守られるという苦境を乗り越え、やたらと豪奢な食堂の前にたどり着く。真っ先に目についたのは、食堂のど真ん中で言い争うリリーとウィルの姿だった。言い争うと言っても、リリーが一方的に何かまくし立てている様子だった。ウィルはそれをなだめようとして彼女の手を掴んだが、リリーは「触らないで」と言って彼の手を振り払った。


「大っ嫌い!」


 力を込めて叫んだリリーは周囲には目もくれず、入り口に立っているシェリルとジェイミーの間をすり抜けて、食堂を飛び出した。


 その場に居合わせた者たちはリリーの後ろ姿を見送ったあと、同じく彼女の後ろ姿を見送りながらポカンとしているウィルに、再び視線を戻した。

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