28.プラント
招かれるまま、シェリルは部屋の奥に足を踏み入れた。部屋の奥には芸術的なデザインが施された、大きな格子窓があった。格子窓の前を陣取っているやたらと大きなソファーに、二人で並んで座る。
ジェイミーが宿舎の保管庫から飲みものを取ってきてくれたので、しばらく二人でぼんやりと格子窓を眺めながら、グラスを傾ける。夜が深いこともあり、辺りはしんと静まりかえっている。ときおり別の部屋から誰かが話をしている声が聞こえてくる。長いこと二人でただただ喉を潤したのち、ジェイミーがふと呟いた。
「何かあった?」
「え?」
心地よい沈黙にジェイミーの控えめな声が重なった瞬間、シェリルはなぜか、いたずらがバレてしまったときような、後ろめたい気分になった。そしてその気持ちを何が何でもジェイミーには悟られてはいけないと思った。
「何かって?」
「こんな夜遅くに訪ねてきたのは、何か理由でもあるのかと」
「さっきも言ったけど、ただのカルロさんの気まぐれなの。ごめんなさい、疲れてるのに」
「いや、いつ来てくれてもいいんだけど、何か話したいことがあるなら、聞くから」
そう言われると何か特別な話をしなければならないような義務感にかられる。しかし特別な話というと、今自分が置かれている状況ゆえに重苦しい話題しか思い浮かばず、数週間しかこの国にいないジェイミーにそんな話をぶつけてもいいものかと思案に暮れる。
黙り込むシェリルの反応をジェイミーはどう思ったのか、グラスを持っていない方のシェリルの手に、自分の手をそっと重ねてきた。それからシェリルの反応を見るように、指を絡めてきた。シェリルはその動きに倣うように、彼の手をぎゅっと握りしめた。
ジェイミーが、持っているグラスをサイドテーブルに置くのを見て、シェリルもほとんど無意識にその行動に続いた。彼が身をかがめて顔を近づけてきた瞬間、シェリルは重要なことを思い出しジェイミーの肩を押し返した。
「そうだ! 話したいこと、ひとつあった!」
「…………何?」
シェリルはうつろな顔のジェイミーと一旦距離をとり、ソファーの上で向き合った。
「聞きたいことがあったの。ジェイミーって、名前が変わったの?」
「名前? 名字は変えたけど、何で知ってるの?」
アメリアがアンタレス国軍の名簿を調べることになったいきさつをかいつまんで説明する。ジェイミーはなるほどと苦笑しつつ、名前が変わった理由を話して聞かせてくれた。
ジェイミーの母である伯爵夫人の懐妊が発覚したのは、シェリルがアンタレス国を離れて約ひと月たった頃だった。
ジェイミーとリリーは当初、夫人の妊娠自体を疑っていた。何しろタイミングが良すぎた。ジェイミーが爵位を継げなくなり、伯爵家の跡継ぎがいなくなってすぐのことである。まさか妊娠したことを装ってよそから赤子を盗んでくるつもりではないだろうかと、ジェイミーとリリーは、特にジェイミーは疑っていた。
産まれた子が男の子だと聞いたとき、ジェイミーは、やはり伯爵は跡継ぎ欲しさにどこかから子供を調達してきたのだと思った。しかし弟と対面したとき、その疑いはあっけなく崩れ去った。レオは幼い頃のリリーにそっくりだったのだ。
めでたく伯爵家に本物の跡継ぎが誕生した。その日からジェイミーの戦いが幕を開けた。
ジェイミーは母のことをそれなりに愛しているが、信用はしていない。伯爵のことは愛してもいないし信用もしていない。そんな二人に、小さくてか弱い弟を任せていいものだろうかという考えが、頭から離れなくなったのだ。
ジェイミーは自他共に認める実家嫌いであったが、レオが産まれてからは可愛い弟の無事を確かめるため、毎日のように屋敷に顔を出すようになった。あまりに屋敷に顔を出すので、夫人が「もう住めば?」と呆れ顔で言ったくらいだった。
家族が領地に戻る時期、ジェイミーは「レオだけは王都に残していってくれ」と懇願した。一応、ジェイミーに対する負い目があるのか、それとももう面倒くさくなったのか、伯爵夫妻はレオを残して領地に帰っていった。それからジェイミーは王都に残ったリリーと共に弟をかまい倒していたのだが、レグルス国での軍事演習に参加するよう国から命令が下り、屋敷に通い続けることができなくなった。
レグルス国軍との演習は観光のようなものだと軍では認知されている。だから演習に参加する者は、自分で費用を出すなら家族や婚約者などを同伴してもいい決まりになっていた。特に、レグルス国で王族や貴族と交流する機会のある者は、妻や婚約者を連れることは必須だった。公の場には配偶者や婚約者、恋人と参加するべきという考え方は、アンタレス国と同様レグルス国にも存在するからだ。
ウィルがリリーを連れていき、ジェイミーもレグルス国へ行くとなると、レオはどうすればいいのか。ジェイミーが連れていけばいいのだが、産まれたばかりの赤子を連れて安全な旅をするには金がかかる。レオを飢えさせるわけにはいかないので乳母は絶対に必要だし、彼女の旅費も、さらには彼女の子供の旅費もジェイミーが負担することになる。過去のシェリルとのなんやかんやで減給されたジェイミーにとっては、ちょっと苦しい出費だった。伯爵はさすがに、産まれたばかりの跡取りを国外に連れていくことには反対するだろうから、頼れない。
そこでジェイミーは考えた。アンタレス国軍には、労働者階級のための支援制度がある。持っている資産にもよるが、労働者階級であれば任務に関わる旅費は、同伴者も含め全て国が負担するという制度である。
ジェイミーは伯爵家の跡継ぎではなくなったものの、法律上はウィレット家の息子ということになっていた。リリーに気をつかってそのようにしていたのだが、弟が産まれたことによりいろいろハイになったジェイミーは、家族との絆を捨て金を選んだ。ウィレット家と法的な関係を断ち、名前を曾祖母の名であるジェイミー・プラントに改めたのである。
思惑が見え見えだから、補助金の申請は通らないだろうと思っていたが、通ってしまった。こうしてジェイミーは大手を振ってレオと共にレグルス国に行くことができるようになった。伯爵夫妻には国を出てから手紙で事後報告した。ちょっとした誘拐である。
この暴挙はニックとウィルを大層驚かせた。言ってみればこれは、ジェイミーから伯爵夫妻への、遅まきな反撃であったのだ。




