27.ネクストステップ
訓練を終え自室に向かったジェイミーは、自分の部屋の扉にもたれかかっているシェリルを発見した。時刻は深夜の二時。何事かと尋ねると、特別な用はないと返された。カルロに命じられて会いに来たのだという。
とりあえずシェリルを部屋に通したあと、ジェイミーは一人、部屋の前で考える。いつもなら部屋に戻ってすぐ、浴室へと直行し汗と砂ぼこりを落とす。それが訓練のあとの習慣だ。しかしこの状況で身綺麗になることは別の目的のためのような気がしてくるし、ちょっとどきどきする。
ジェイミーは訓練の後で疲れていた。だからあれこれ考えることが面倒になり、ニックの部屋の浴室を借りることにした。しかしニックも疲れていた。おまけに彼は我慢することが大嫌いだった。だからニックはウィルの部屋の浴室を借りることにした。しかしウィルも疲れていた。しかも明日の、というか今日の朝早く、慈善団体の会合とやらに参加しなくてはならない。だからウィルはスティーブの部屋の浴室を借りることにした。
この不毛な連鎖を断ち切ったのはスティーブだった。ジェイミーが生んだ迷惑の波がスティーブにまで及んだ頃、ジェイミーはこのあと自分はどうすればいいのだろうかとニックの部屋の前で頭を悩ませていた。スティーブはその首根っこを掴み、談話室まで引きずった。
「どうするべきだろう」
真剣な顔で悩むジェイミーを見て、スティーブは確信を持った口調で言った。
「そうするべきだろう」
「いやいや、まてまて。ここを間違えたら大変なことになる」
スティーブは面倒くさいという感情をかけらも隠さない表情を浮かべた。二人で中身のない議論をしているところに、ニックとウィルが合流する。
ニックはまるで催眠にでもかけるみたいに、ジェイミーに語りかけた。
「いいかジェイミー。今夜すべての苦労が報われる。雑念を振り払って勝利だけをイメージしろ。練習通りにやれば大丈夫だ」
「練習って何だ。いや、そうじゃなくて、話が上手すぎる。何かひっかかる。俺はカルロに試されてるんだ。これは罠だ。下手なことしたらまた引き離されるんだきっと」
「落ちつけ」
どこから話を聞き付けたのか、騎士隊の同僚たちまで談話室に押しかけてきた。
彼らは皆一様にジェイミーを後押ししようとした。こんな時間に訪ねてきたんだから覚悟の上だ、むしろ何もしない方が失礼ってもんだろ、という悪魔の囁きに、それもそうだ、とジェイミーの気持ちはどんどん傾いていく。
「大体さぁ、お前これまでの人生どうしてたんだよ。毎回そうやってうろたえてたのか?」
「機会は待つものじゃなく作るものなんだぞ」
「まさか、誘い方が分からないなんて言わないよな」
口々に意見されて、ジェイミーはふと違和感を覚えた。自分を取り囲んでいる同僚たちをゆっくりと見回す。
「……え、皆いつも、自分から誘ってんの?」
同僚たちは絶句した。そして、談話室はあっという間にジェイミーの敵地と化した。
「うわ、何だろうこの気持ち。何て言うんだっけ。殺意?」
「向こうからアプローチされて当然だと思ってんの? 顔がよければ何言っても許されると思ってんの? 許さねぇよ?」
「じゃあ何、お前今、誘われたらどうしようかって悩んでんのか? 知るかよ。好きにしろよ。世界一どうでもいいわ」
ジェイミーの無自覚な嫌みに慣れているニックは一人あくびをしたあと、ソファーに沈み込み意識を手放しているウィルを、しげしげと見下ろした。
「おい、誰がこれ部屋まで運ぶんだ」
「もういいだろそこで寝かせとけば」
「こんな扱いでいいんだっけ、こいつ」
「じゃあここをウィルの部屋ってことにしよう。そうすれば解決だ」
深夜のテンションで皆おかしくなっている。唯一まともに頭を働かせているスティーブが、抑揚のない声で言った。
「約束もしてないのに急に会いに来たんだろ。それなら、何かあったんだろ。言わないだけで」
その考えを聞いて、ジェイミーはふと、昼間にシェリルがぼんやりしていたことを思い出した。
「そういえば昼間、ちょっと様子が変だった」
ジェイミーの言葉に、ニックがわざとらしいため息を返す。
「じゃあ何があったか聞いとけよ」
「聞いたよ。でも、何でもないって言うからさ」
「そうか、なら安心だ。この世の果てには『何でもない』って言葉を真に受けた者たちの墓場があるらしいがお前には別に関係ないんだろうな」
ジェイミーは葛藤していた。悩みを聞くのは別に構わない。頼られるのは嬉しい。問題はその後だ。はっきり言ってチャンスだとしか思えない。悩んでいるというのももはや布石に思えてくる。
だがカルロに言われて会いに来たというのがやけに引っかかる。これは抜き打ちテストだろうか。この状況にどう対応するかで彼女への本気度を測っているのか? その場合どちらが正解なのだろう。いや、正解など最初からないのかもしれない。大事なのは彼女の気持ちであって、自分たちは想い合っているのだから、成り行きに任せていれば何も問題無いはずだ。
ぐらぐらと気持ちが揺れまくっているジェイミーに対し、「自分から誘ってんの?」発言で気を悪くした同僚たちが意趣返しを試みる。
「別れ話だ。別れ話しに来たんだ」
「どうやって切り出そうか悩んでるから、様子がおかしいんだろ」
「やっぱり遠距離はなぁ、難しいよなぁ」
スティーブはいい加減、面倒になったらしい。同僚たちの嫌がらせで真っ青になっているジェイミーを、談話室から強制的に追い出した。
「頑張れ」
冷たいエールと共に、扉が鼻先でバタンと閉まった。
◇◇◇
シェリルはジェイミーの部屋で、手持ちぶさたになっていた。やたらと座り心地のいい椅子に座ったまま、待ちぼうけを食う。
「おまたせ」
やがて、扉の影から疲れた顔のジェイミーが現れた。その疲労困憊とも表現できる様子を見て、やはり夜中の訪問は迷惑だったかとシェリルは反省した。シェリルとて社会常識はそれなりに備えているのだ。非常識な人間だという誤解を与えないように、会いに来たのはカルロの指示なのだともう一度念押ししておくべきだろうか。いやそれより、訓練で疲れたジェイミーが疲れを癒やすことが今一番大事なことだろう。
「あの、ジェイミー。私やっぱり、帰ろうかな」
そう言って立ち上がりかけたところを、ジェイミーにまぁまぁと制される。ジェイミーはシェリルのすぐ隣に、ひとりがけの椅子を引っ張ってきた。そこにシェリルと隣り合うように腰かけたあと、真剣な顔を向けてきた。
「単刀直入に聞くんだけど」
「はい」
真面目な雰囲気に、自然に背筋が伸びる。ジェイミーはこれから重大な告白をすることを示すように大きく息を吸い、それからシェリルの顔を見つめたまま、しばらく動きを止めた。
「……何か、飲む?」
ようやく寄越された質問の内容はどこをどう切り取ってもこの空気に見合うような重大な質問とは言い難かった。しかし雰囲気に呑まれていたシェリルは、つとめて慇懃な態度で、飲みます、と答えたのだった。




