26.奴隷所有者
ヌブ様がお礼をしたいと言うだろうから、と言って、ペレトはジェイミーを屋敷の中に誘った。ジェイミーは悩んだ。なぜなら軍の基地で、ピカピカに磨かれたラクダが待っているからだ。しかしゲレフに「一緒に遊んで」と懇願されて、なし崩しに屋敷に招かれることになってしまった。
やたらと柄物が多い、派手な部屋に通される。ペレトとゲレフと丸テーブルを囲み世間話をしていると、慌ただしく部屋の扉が開き、ヌブが現れた。
「ペレト!」
ヌブは一直線にペレトの元にかけより、彼女を抱き締めた。
「ヌブ様、申し訳ございません。ご心配をおかけして」
「話は聞いたよ。無事でよかった」
ジェイミーはヌブの取り乱し方に驚いた。まるで妻の身を案じる夫のような態度だったからだ。ヌブはひとしきりペレトの無事を確認したあと、ジェイミーに視線を向けて、目を見開いた。
「ジェイミー。君がペレトを助けてくれたのか。どうお礼をしたらいいのか」
果たしてあれは助けたうちに入るのだろうか。ジェイミーはあのときの詳細を話さなくてもいいよう、当たり障りのない言葉を返した。
そろそろラクダもしびれを切らしているだろう。約束があることをヌブに告げるが、引き留められる。
「軍には僕から説明しておくよ。とにかく、お礼をさせてくれ」
「そんな、礼には及びません」
ヌブは引かなかった。ジェイミーは何だかんだ、再び押しきられてしまった。
ペレトとゲレフは部屋を去った。ジェイミーとヌブは広い部屋で二人きりである。酒を勧められたが訓練にさしさわるからと言って断る。真面目だね、とヌブは笑った。
「ろくでもないと思ってるんだろう。奴隷に手を出すなんて」
なんとも答えにくい話を振られる。ジェイミーは愛想笑いを浮かべて、答えをうやむやにした。
「まぁ、それぞれ事情があるでしょうから……」
「信じないだろうけど、僕はペレトを本気で愛しているんだ。もちろん、僕らの子供も」
では、なぜ彼らを奴隷として所有し続けるのだろう。深入りしない方がいいことは分かっていたが、ジェイミーは考える前に疑問を口にしてしまっていた。ヌブは気を悪くした様子もなく、ジェイミーの疑問に答える。
「この国では、奴隷は結婚することができないんだ。だから僕がペレトと一緒にいようと思ったら、彼女を所有するしかない」
ペレトは元々、ヌブの同僚の奴隷だったのだが、数年前に大枚をはたいて彼女を買い取ったのだという。そうしなければ、彼女の命は同僚の気分次第で奪われる可能性もあった。おまけに、同僚は彼女を好き勝手に辱しめることができる環境にいた。ヌブはそれが何よりも癇に障ったと言う。
「でも、所有者になれば解放する自由もあなたにはあるでしょう」
解放すれば、家族になれる。ジェイミーの言葉にヌブは表情を曇らせる。
「外聞が悪いんだ。奴隷を解放することは国の体系を乱すことだと考えられているからね。それに、解放ではなく、所有されることを望まれるような人間であることを示さなければ、軍での立場も悪くなってしまう」
返す言葉に困りジェイミーは黙り込んだ。ヌブはジェイミーの困惑など気にも止めず、話を続ける。
「奴隷制ってのは、神が我々に与えた試練なのかもしれないと、時々思うんだ」
「……というと?」
一応は礼をされるためにここにいるというのに、自分は何に付き合わされているのだろうかと、ジェイミーは密かにため息をつく。
「環境と条件さえ整えば、人はいくらでも残酷になる。君だって例外じゃない。僕は君みたいにいかにも親切そうな人間が、奴隷に対しては暴君のように振る舞うところを、何度も見てきた」
「あなたもそうなんですか?」
「ペレトにとってはそうだろう。実のところ、解放した瞬間離れていってしまうんじゃないかと、疑う気持ちもある。だからこそ思うんだ。奴隷制は神が我々に与えた、試練なんじゃないかって。奴隷制はどうしたって人を横暴にしてしまうものだ。そう振る舞うことが許される環境が、整ってしまう制度なんだ。その誘惑にどうやって打ち勝つか、僕たちは試されているのかもしれない」
「何のつもりでこんな話を?」
ジェイミーが苛立ちを隠さず尋ねると、ヌブはもの珍しいものを見るような視線を向けてきた。それからなぜか、面白がるような笑みを浮かべた。
「建物を爆破したって国は変えられない。争うのではなく女王陛下に働きかけることで、少しずつでも現状を変えられると僕は信じているんだ。やり方は違うが、望んでいることは反乱軍とそう変わらない」
ヌブは前のめりになって、ジェイミーの目をまっすぐ覗き込んできた。
「ジェイミー。もし君が、この国の奴隷の扱いに思うところがあるなら、僕に力を貸してくれないか。この不毛な戦争を終わらせるために、協力して欲しい」
「協力って、どうやって……」
「アンタレス国軍は女王陛下の側につくべきだと、仲間を説得してくれ。それが無理なら、軍内部の情報をこちらに流してくれるだけでもいい。悪いようにはしない。我々はもうこれ以上、犠牲を出したくないんだ。反乱軍の奴隷たちも含めてね」
呆気にとられているジェイミーに、ヌブは追い討ちをかけた。
「僕らでこの国を変えよう。今まさに虐げられている奴隷たちが、幸せに暮らせる未来を作るんだ」
◇◇◇
日の入りと共に町には静けさが訪れたが、スプリング家のリビングには子供たちのはしゃぐ声が絶えることなく響いている。意味をなさない奇声の波にかき消されないよう、カルロとダミアンは大げさに声を張って会話していた。
「シェリルの元気がないだって!? 仕方ないな! 毎食後にジェイミー君を与えておきなさい!」
「カルロさん! ジェイミー君はそこら辺に生えてはいませんよ!」
ダミアンはリビングで騒ぎまくっている子供たちの歯を順番に磨きながら、カルロに呆れ顔を向ける。華麗な手さばきで子供たちの歯をピカピカにしたのち、それぞれの名前が書いてあるコップにそれぞれの歯ブラシを立て掛け、やれやれと額をぬぐった。
「今日、シェリルの服の袖に血がついてたんです。反乱軍の集会で何かあったんだろうとは思うんですが、あいつ、何があったか言わないんです」
ダミアンの言葉にカルロは眉をひそめる。
「隠し事か。それはちょっとよろしくないな」
「だから言ったじゃないですか、潜入するなら俺たちの方がいいって。もう反乱軍に取り込まれかけてますよ、あいつ」
「まぁ、境遇が似てる人間がうじゃうじゃいるからな、無理もない」
「大体、あいつは潜入に向いてないんですよ。すぐに情が移るんだから。こうなることは分かりきってたのに、どうしてシェリルを送り込んだりしたんですか」
「上手くいくかどうかは問題じゃない。大事なのは挑戦することだって『人生の勝者になるための8つのルール』っていう本に書いてあったんだ」
「そんな本は今すぐ捨てて下さい」
カルロは大声でシェリルの名を呼んだ。数分後、髪から水をしたたらせた姿のシェリルがリビングに現れた。
「今五人同時にお風呂に入れてるんですけど。戻ったときにあの子たちが溺れてたらカルロさんのせいですからね」
「風呂が終わったらジェイミー君に会いに行きなさい」
「ええ? 無理ですよ。演習が終わるのは深夜ですから」
軍の演習は日が落ちてから始まり、日が昇る前に終わる。仕事中に会いに行くなんて、そんな鬱陶しい真似はしたくないとシェリルが言うと、カルロは何かを考え込む素振りをした。
「じゃあ、深夜でいいから会いに行きなさい」
「何ですか急に。何企んでるんですか」
「カルロさんはなぁ、心のケアにも余念がない、できる男なのさ。お前が本来の力を発揮できるよう導いたりするなんて朝飯前だ」
「わけが分かりません」
シェリルは聞こえよがしにため息をついて、子供たちとの戦いに戻っていった。




