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23.ご機嫌とり

 大きなベッドの上で、ソティスとその取り巻きの女たちが知恵の輪のように絡まり合っている。全員泥のように眠りこけていて、部屋には酒の臭いが充満している。日が落ちているとはいえ、あらわな姿に居たたまれなくなったシェリルは、彼らにそっとシーツを被せた。


 ソティスたちが飲む酒の中に睡眠薬を仕込んだのはシェリルである。部屋に散らばった空の酒瓶を見るに、彼らはしっかりと薬を盛られてくれたようだ。なぜそんな暴挙に出たかというと、ソティスに献上した首飾りを取り返すためだ。


 シェリルは今日、ジェイミーとの関係を修復するためにはこれ以上のミスは許されないことを悟った。そしてもうすでにミスを犯してしまっていることに気づいた。首飾りをソティスに譲ったなんてことがジェイミーにバレたら、もうおしまいだ。だからバレる前に無かったことにしようと思い立ったのである。


 カルロには無駄な危険を冒すなと言われるだろうが、ジェイミーにもカルロにも、バレなければ問題はない。なんて完璧な計画。シェリルは忍び笑いしながら抜き足差し足で、部屋の目立つところにこれみよがしに置いてある金庫に近づいた。


 手提げランプで手元を照らしながら、あらゆる技術を駆使して鍵をいじり回すこと数十分。重い扉が開いた。頑丈な鉄の箱には金銀財宝が詰まっていた。が、首飾りは入っていなかった。


 せっかく苦労して開けた鍵を元に戻し、今度はベッドの上で寝息を立てているソティスとその取り巻きたちの首元を念入りに調べる。なるべく余計な部分は見ないようにしながら慎重に一人一人確認するが、やはり目的のものは見当たらない。


 そろそろ悪態でもつきたくなってきたというところで、何かがランプの明かりを弾いた。目を向けて見れば、床の上にまるでごみくずかのように、真っ赤なダイヤモンドが転がっていた。シェリルはよっぽど、眠っているソティスの顔に芸術的な落書きを施してやろうかと思ったが、なんとか踏みとどまり、首飾りを拾い上げこっそり部屋を出た。


 部屋を出てすぐ、人の気配を感じた。急いでランプの火を吹き消して耳をすます。ひたひたと床を踏みしめる音が聞こえてくる。まさか、つけられていたのだろうか。足音はゆっくりと、しかし迷いなくシェリルがいる場所に近づいてくる。


 ここで逃げたら自分は怪しい者ですと宣言するに等しい。シェリルは相手に見つかってしまう前に、こちらから堂々と出向いてしまうことにした。


 足音がする方へ歩みを進める。廊下を曲がった瞬間、人とぶつかった。


「……びっくりした。シェリル?」


 ランプを持ったまま目を丸くしているのは、所有者の美容コレクションを盗みとる名手、イブだった。イブはシェリルの手にぶら下がっている首飾りを見て、硬直した。


「嘘でしょ、あなた、ソティス様の物を盗んだの?」


 シェリルは慌ててイブの腕を引き、ソティスの部屋から離れた。廊下の端に二人で収まり、声を潜める。


「聞いて、イブ。これは私の、唯一の財産だったの。ソティス様のお役に立てるなら手放しても惜しくないと思ったけど、実際は取り巻きの首元を飾るだけで、ソティス様は身につけてもくれない。そんなの、悔しくて」


 シェリルの言葉を聞いて、イブは疑るような眼差しに同情の色を滲ませた。


「そうね、言いたいことは分かる。彼女たちがつけあがるのはソティス様が何でも与えて甘やかすせいだって、私もずっと思ってたの」


 シェリルは密かに冷や汗を拭った。なんとかごまかせたようだ。


「イブは? ここで何してるの?」


 イブは表情を緊張させたあと、頬を染めてうつむいた。シェリルがその顔を覗き込むと、彼女は意を決した様子で顔を上げた。


「シェリル。私……私ね……。ソティス様のことを、本気で愛してるの」


◇◇◇


 首飾りを取り戻した翌日。

 ジェイミーの機嫌を取るべく、シェリルは今日もアンタレス国軍の宿舎に赴いた。ジェイミーと話していて判明したことだが、彼は首飾りがソティスの手に渡っていたことをとっくに知っていた。幸いなことにジェイミーは首飾りのことに関してはあまり腹を立てていなかった。もはや諦められているだけかもしれない。


 今日は良いことでもあったのか、ジェイミーの機嫌はよかった。それだけでシェリルの人生の問題は、大半が解決したようなものだった。しかしひとつ問題が解決すれば、また次の問題が現れるものだ。シェリルは昨日偶然に鉢あわせた、イブとのやりとりを思い返した。


 イブは昨晩、ソティスに夜這いを仕掛けようとしていた。彼女は何としても、ソティスの取り巻きの一人になりたいと思い詰めている。それほどまでにソティスのことが好きなのだという。


 シェリルはイブとは半年ほどの付き合いだが、今まで彼女のそんな素振りを見たことは一度も無かった。イブは、反対されると分かっていたのだろう。彼女の恋は報われるはずがない。ソティスを信奉している者たちもシェリルと同じように考えるだろう。彼は恋愛関係に誠実ではなく、それを恥じてもいない。


 何とか彼女の目を覚ます方法は無いものかと、シェリルは一晩中知恵を絞った。しかしシェリルがイブを説得することは、カルロと双子が「ジェイミーのことは諦めろ」とシェリルを説得したことと同じなのだ。イブを説得することの難しさは、シェリルが一番よく分かっている。


「話聞いてる?」


 考え事に夢中になっていたシェリルは、ジェイミーの声にハッとして顔を上げた。


 今シェリルはアンタレス国軍の宿舎の談話室にいる。やたらと荘厳な刺繍が施されたソファーに、ジェイミーと隣り合って座っている。ジェイミーは困った顔でこちらを見ていた。シェリルは急いで笑顔をつくり、頷いてみせた。


「もちろん。競技大会で長距離走に出ることを、ニックに勝手に決められちゃったんでしょう」

「すごいな。考え事しながら人の話も聞き取れるとは」


 からかうようなジェイミーの声に、嫌みっぽさや不機嫌は含まれていない。シェリルは密かにほっと胸をなでおろす。


「ごめんなさい。昨日よく眠れなくて」

「さっきからずっとぼんやりしてるけど、何かあったの?」


 シェリルは昨夜の出来事を口にしかけて、思いとどまった。イブの恋を話の種にするのは、なぜか気がとがめた。


「何でもない。気にしないで」

「気にしないでって言われると、余計気になるんだけど」

「本当に、何でもない。ねぇジェイミー。この国では走る競技は人気があるって、知ってた?」


 話題を変えるために仕向けた話は、運よくジェイミーの興味を引いた。


「そうなんだ」

「そうなの。だから多分、ジェイミーが走る日は見物人がたくさん来るわよ」


 はるか昔、この国では、王の活力と自然には密接な関係があるとされていた。王の力が衰えれば、自然の恵みも衰えると考えられていたのだ。だからその時代の王は即位して三十年経つと、自らの力が衰えていないことを証明するために民衆の前で儀式を行った。その儀式のひとつが、走るというものだった。

 もし儀式を満足に行えなかった場合、国民は王の命を奪っても構わないという論理がまかり通っていた。なぜなら肉体が衰えた王は、自然の枯渇を招くからだ。そんな時代の名残か、今でも走る競技に関して国民の関心は高い。


「それでね、どうしてその儀式は無くなったと思う?」

「さぁ、何で?」

「王家が、自分たちは冥界神であるウシル神の血を引いていると言い出したからよ。ウシル神は冥界の神で生と死を繰り返すのが当たり前の神様だし、農耕の神でもあるから、国王の肉体が衰えることは自然なことだし、そのせいで実りが減ることは無いってことで、国民は納得したの」

「この国の王家は確か、太陽神の末裔じゃなかったっけ?」

「そうなの。太陽神に、天空の神に、月の神と、戦争の神と、葬祭の女神の血も引いてる」

「手当たり次第か」

「この国で王様をやるなら、これくらいやらなくちゃ」


 ジェイミーとの会話はそれなりに弾んだ。しかし話の内容は当たり障りのないものばかりで、二人の間には微妙な距離があった。一年以上顔を合わせていなかったので仕方がないが、それ以外にも、踏み込んだ話ができない理由があることをシェリルはちゃんと理解していた。


 あと三週間で、アンタレス国軍は演習を終え、この国を去る。それはすなわち、再び二人が離れ離れになるということで、その事実をどう切り出したものかと、お互いに迷っているのだ。


 長い間会えないことは確かに辛かったが、楽しい時間が終わってしまうことを考えるのはもっと辛かった。


 自分たちは本当に大丈夫なのだろうか。シェリルはあらためて、二人の関係の行く末に、言いようのない不安を覚えた。

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