22.話し合い
とにかく話をしてみろというあまり役に立ちそうにないスティーブの助言に従って、シェリルはジェイミーのあとを追った。うしろ姿を見つけ、駆け寄る。とりあえず隣に並ぶが、表情を窺う勇気も声をかける勇気も出ない。
しばらく二人で並んで歩いていると、ふいにジェイミーが足を止めた。シェリルも機械の兵隊のようにガシャンと足を止める。二人で前方を見つめたまましばしの沈黙を続けたあと、ジェイミーが呟いた。
「大人げないかな」
「え?」
「俺、もしかして大人げないかな」
シェリルはゆっくりと視線を移動させ、ジェイミーの横顔を見る。何度か瞬きしたあと、慌てて首を横に振った。
「いえ、まさか、そんなこと。ジェイミーは大人らしいわ。う、うわぁ、大人らしい! こんなに大人らしい人見たことない!」
早口でまくしたてると、ジェイミーはなんともいえない表情でシェリルを見返してきた。
「話し合おうか」
「いいわね、話し合い。話し合い大好き!」
二人は宿舎の中にある小さな会議室に移動した。無駄に芸術的な形をした椅子に隣りあって座る。
ジェイミーは机に肘をついて、頬づえをついたままだんまりを決め込んでいる。この沈黙はそっちから話を切り出せという無言の圧力なのだろうか。シェリルはジェイミーに好意的に受け止めてもらえるような言葉をいろいろと考えた。
何か、場の空気がゆるんでしまうような、抱腹絶倒の、画期的な、前人未到の、鮮やかな言葉はないものだろうか。うんうんと知恵を絞るシェリルの隣で、ジェイミーは低い声で吐き捨てた。
「むかつく」
シェリルの肩はびくりと跳ねた。まだ何も言っていないのにむかつくとはどうしたことか。
「何が……?」
自分でも驚くほどに、発した声が弱々しい。ジェイミーはますます不機嫌そうに顔をしかめた。
「俺に会いに来たんだろ」
「しょ、そうよ」
噛んだ。もちろんジェイミーは笑ってくれなかった。
「スティーブが……」
ジェイミーは何かを言いかけて、それから口をつぐんだ。シェリルは辛抱強く続きを待った。どれくらい時間がたったのか、ジェイミーが再び口を開いた。
「スティーブが俺より賢いのは知ってるよ。あいつがいなきゃ、こうして話もできなかったかもしれない。でも会えない時間を耐えてきたのは、あいつじゃないだろ」
シェリルは機は逃さぬとばかりに頭を縦にぶんぶん振る。
「ええ、そうよね。全くその通りよ」
「俺に子供ができたって吹き込まれたらしいけど、本当かどうか確かめようとも思わなかったのか? 反乱軍にいることがあいつにバレたあとも、会いに来なかったな」
「それは、だって、落ち込んでたから……」
「本当に? 悪いけど、その気になれば会えたのにそうしなかったことがもう理解できない。俺はどんなに顔を見たいと思っても何から手をつければいいかも分からなかったのに。それなのにスティーブは……」
「ごめんなさい。あのとき、目が合ったとき、逃げるべきじゃなかった」
「あいつと同じになんてなれないよ。でもそうならないと一緒にはいられないんだろ」
「ごめんなさい。ジェイミー、ごめんなさい。許して」
シェリルは半泣きになって謝った。ジェイミーはひるんだような表情になったが、それでも許すとは言わなかった。
「俺の代わりなんていくらでもいるんだろ」
「そんなわけないって分かってるくせに」
「大人げないかな」
「大人らしいわ」
ジェイミーは不機嫌な空気を醸し出したまま、シェリルの顔をじっと見つめた。それから、秘密を打ち明けるみたいに、小さな声で囁いた。
「ずっと、会いたかった」
シェリルは本気で反省していた。ジェイミーがこれほどまでに不満を抱えていたとは正直、考えていなかった。
「私、ちゃんと努力するから。だからまだ不満があるなら今、全部話して」
ジェイミーは長い時間をかけて考え込んだあと、あいも変わらずぶっきらぼうな口調で言った。
「むかつく」
「それはもう分かった」
「言い足りなくて」
「また会ってくれる?」
「そうするしかないだろ、好きなんだから」
「私も好き」
「どうだか」
つけ入る隙がない。
ジェイミーのご機嫌取りは意外にも難航しそうだ。しかしシェリルはそのことを面倒だとは思わなかった。本人には絶対にこんなこと言えないが、ジェイミーにわずらわされるという貴重な体験に、感動しているほどだった。
◇◇◇
「遅刻だぞジェイミー」
宿舎の中にあるやたらと広い会議室に、騎士たちが勢ぞろいしている。等間隔で並んだ椅子に座っている騎士たちは、遅れて会議室にやって来たジェイミーににやにやと意味深な表情を向けている。ただ一人、会議室の前方に立っているスティーブだけは厳しい顔だ。
苦言を呈したスティーブに対し、ジェイミーは目を合わせることなく「悪い」と言葉を返した。そして、さっさと空いている椅子に腰かけた。部屋の中にはどことなく気まずい空気が漂ったが、スティーブはそれ以上は何も言わなかった。
「お前あの子と関わると非行に走るよな」
ジェイミーが座った場所の真後ろには、ニックがいた。ニックはさっそく身を乗りだし、からかい混じりに声をかけてきた。ジェイミーは振り返ることなく淡々と会話に応じる。
「複雑な家庭環境のせいだ。恋愛が下手なのも道端でつまずくのも全部親のせい」
「もしお前が家庭環境に左右されるような人間だったら今ごろ大変なことになってるよ」
「大変なことにはなってる。完全に情緒不安定だ。いい加減嫌になってきた」
「それが恋の力だ。窓の外を見ろ。ほーら、世界が輝いて見えるだろう?」
「俺をからかうのはそんなに面白いか?」
「静かに聞け!」
スティーブが投げた書類を留めるためのクリップは、的確にニックの額に直撃した。二人が静かになったのを見届けたあと、スティーブは会議を再開した。
三週間後、レグルス国軍とアンタレス国軍の二か国対抗競技大会が行われる予定である。乗馬や剣術など、様々な技術を競い合い、両国の親交を深め技術を高め合うことが目的の催し物だ。そこで今日、誰がどの競技に出場するか決めなくてはならない。
レグルス国軍が用意したやたらとよくできた資料を眺めながら、ニックが声を上げる。
「こんなもん、全部ウィルにやらせればぶっちぎりだろ」
ジェイミーたちより前の方に座っているウィルは、複雑そうな表情で後ろを振り返る。
「同時に始まる試合もあるみたいだけど」
「やれるさ、お前なら」
騎士隊は運動が得意な者たちを意識的に集めた集団である。よって、割り振られた競技の数が他の隊よりも多い。その競技全てをウィルに任せるというニックの考えはあまりに非現実的だが、しかし、騎士たちは密かに期待していた。
アンタレス国とレグルス国が交流を始めてから十六年余り。アンタレス国軍はまだ一度も、この競技大会で勝利を収めたことがない。今年こそは。そんな野望を抱いているのは、一人や二人ではなかった。なぜなら今年は、ウィルがいる。スポーツ大国と呼ばれるレグルス国に勝つことも夢ではない。
ほんのりと勝利を確信していた騎士たちを、スティーブが谷底へ突き落とした。
「ウィルは試合に出せないよ」
瞬間、会議室は騒然となった。
「はぁ!? 何でだよ!」
「どうしてそんな残酷なことができるんだ!」
「ウィルの唯一の取り柄を奪うなんて!」
「今こそウィルが輝く一生に一度のチャンスなのに!」
騎士たちは口々に文句を垂れるが、非難の的になっているスティーブは涼しい顔を崩さない。
「本音を隠せ子供たち。ウィリアム君が泣いてるぞ」
「泣いてないから」
スティーブは落ち着き払った態度で、ウィルが試合に出られない理由を説明した。二か国対抗競技大会の主催者はレグルス国の女王であるカルディアーナである。そしてウィルはカルディアーナ女王に、大会の主賓として招かれているのだ。
誰もが予測した通り、いの一番に不平を口にしたのはニックだった。
「主賓だぁ? お前いつの間にそんなに偉くなったんだよ。何様だ。どこぞの国の王族か」
「ああそうだ。正体を隠してて悪かったな」
ウィルが投げやりに言葉を返す。
ウィルを頼れないなら勝ち目はない。今年もどうせ負けるに違いない。騎士たちの闘志は瞬く間に急降下し、誰もが悲観的になってやる気というやる気を失った。




