21.突撃
夕方、シェリルは意を決してアンタレス国軍の宿舎に忍び込んだ。ジェイミーの活動時間はよく分からないが、気温は下がるが空はまだ明るい、一日の中で一番活動しやすいこの時間帯に寝静まっているということはないだろう。
堂々とした足取りで宿舎を進む。シェリルの顔を見て驚愕している通りすがりの軍人たちに、ジェイミーの居場所を尋ねてみる。彼らはあっさりと、ジェイミーは談話室にいると教えてくれた。そのうえ親切にも談話室の前までシェリルを案内してくれた。何という警戒心のなさだろう。警備のゆるさに呆れかけたシェリルだったが、一人が放った言葉を聞いて、そんな気持ちはかき消えた。
「早く会ってやってよ。喜ぶよあいつ」
彼の言葉には、旧友が尋ねてきたことを喜ぶというよりも、行方知れずになった家族が生還したことを喜ぶ、というくらいの深刻さが含まれているようだった。
案内してくれた軍人の指差す先。開け放たれたドアの向こうに、ジェイミーの姿があった。彼は小さな赤ん坊をあやしていた。
「ほら、レオ、言ってごらん。ジェイミーって。簡単だよ」
「ちょっと兄さん、そんな難しい発音を強要してレオの可愛いお口がもつれちゃったらどうするの?」
ジェイミーのかたわらに立っているのは、彼の妹のリリーだ。リリーはジェイミーから弟を奪い取り、腕の中に向かって猫なで声で語りかけた。
「レオ、リリーお姉ちゃんよ。ジェイミーの数百倍も簡単な名前よ。リリーって言ってみて。ほら、せーの……」
「ずるいぞリリー」
あくびをしている小さな弟をジェイミーとリリーが取り合っている。二人の争奪戦を終息させたのはニックだった。ニックはレオを素早く保護したあと、厳しい口調で言った。
「恥を知れ! 欲にまみれた大人どもめ! 災難だったなレオ。お前を醜い争いから救い出したのはニックだ。もう一度言う。お前を救ったのはニック――」
「あ、ふざけんな!」
「レオ、今助けてあげるからね!」
苛烈な争いが繰り広げられている部屋の前にシェリルは立ち尽くす。話しかけるタイミングを完全に逃してしまった。
困り果てていると、肩を叩かれた。いつの間にかすぐ隣にスティーブが立っていた。
「何やってんの、こんなとこで」
スティーブは言いながら、談話室の様子を一瞥する。それから肩を脱力させた。
「呑気だよな。こんな状況だってのに」
言いたいことは分かるが、この状況でのんきでいられることはある意味才能ではないだろうか。そんなことを頭の片すみで考えながら、シェリルは今のうちにスティーブと話をつけてしまおうと思い立った。ローリーに手紙を送ることをカルロが了承したと伝えると、スティーブは興味なさげに頷いた。
「ふーん」
「ふーんて、何よそれ。私たちが協力するのが当然みたいに」
「いや、案外御しやすいんだなって。もっと手強いと思ってたから、ちょっとがっかりした」
「はぁ?」
シェリルはあんぐりと顎を落とす。それから、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「何を企んでるのか知らないけど、スプリング家を暇潰しの遊び道具にするのはやめてよね」
「あんたらの都合に配慮する義理なんかないだろう。それに、君の方がもっとたちが悪いと思うよ。ジェイミーと会うことをカルロがどうして許したのか、全く分からないわけじゃないんだろう」
熱くなった頭に冷や水を浴びせられたような気がして、シェリルは口を閉じた。そうだ。アンタレス国軍とつながりを持つことは、女王と反乱軍を出し抜くことに役立つのだ。ジェイミーもやはり、スプリング家の策略のための、駒のひとつに過ぎなかった。
「あー、そんな顔するなって……」
やばいと思ったのか、スティーブはシェリルの肩に手を置いてきた。
「ねぇ兄さん、あそこにいるの、シェリルじゃないの?」
シェリルとスティーブははっとして部屋の中に視線を向けた。レオの争奪戦をしていた三人とばっちり目が合う。
スティーブはシェリルの肩からぱっと手を離した。それがこの状況で、最良の選択だったかどうかシェリルには分からない。分からないが、ジェイミーの表情は愉快という感情からかけ離れていた。つまり不愉快そうだった。
「うわぁ、まじでこの国に居たのか。疑って悪かったなぁ、ジェイミー」
ニックはレオを片腕に抱いたまま、もう片方の手でジェイミーの肩をバシバシと叩いている。
ジェイミーはにこりともせず、まっすぐシェリルの方に近づいてきた。シェリルはまず最初にどんな言葉を口にするべきか考えた。ごめんなさい、はいい加減しつこいだろうか。調子どう、は調子に乗り過ぎか?
悩みに悩んでいるシェリルのかたわらをすり抜けて、ジェイミーは部屋を出ていってしまった。すれ違いざまに「ごゆっくり」と嫌みっぽい言葉を投げられて、シェリルは硬直した。
ジェイミーの背中を見送ったあと、呆然としながらスティーブの方を振り返る。
「どうしよう」
「さぁ?」
他人事みたいにスティーブは肩をすくめる。シェリルは藁にもすがる思いでスティーブに詰め寄った。
「その賢い頭を使ってよ。どうすればいいの?」
「知らないよ、ジェイミーの機嫌のとり方なんて」
嘘ではないようだ。スティーブの表情は、心なしか戸惑っているように見えた。




