19.カルロ先生の問診
カルロの手には、スティーブの首に繋がった縄が握られている。もう片方の手には綺麗に研がれたナイフ。向かい合って座るジェイミーとカルロの周囲には、元気いっぱいの子供たち。さらには子供たちに行儀というものを教え込もうと奮闘しているアメリアとダミアン。
シェリルと再会して一時間余りでこの状況ができあがった。一週間後には自分は空でも飛んでいるかもしれないとジェイミーは思った。
ジェイミーがのんきに考え事をしている間に、カルロがスティーブの首に巻きついている縄をナイフで切った。スティーブはカルロに命じられるまま、先程までシェリルが座っていた場所に大人しく腰を下ろす。
「助けようとするフリくらいすれば?」
小声で文句を言ってくるスティーブを、ジェイミーは無視した。シェリルへの気持ちを、スプリング家の拠点を探り当てるために利用されたことに対しての、無言の抗議である。
「物騒な国に閉じ込められて焦る気持ちは分かるけどね、俺たちを巻き込まないでくれるかな。こんなところで油売ってないで、演習に集中しなさいよ」
カルロの言うことはもっともだ。しかしスティーブが素直に「わかりました」と頷くわけもない。
「アンタレス国軍を助ける機会を、差し上げましょうか」
スティーブは偉そうな態度で、偉そうなことを言い放った。ジェイミーは自分の耳を疑った。カルロ、アメリア、ダミアンの三人は、なんだこいつ、という顔をしている。
カルロが口を開く。
「何? 助けて欲しいの?」
「はい。我々は今、祖国と連絡を取れず困っています」
「そんなに堂々と困っている人間を見るのは生まれて初めてだ」
「あなた方も今、困っているんじゃないですか」
スティーブの言葉を聞いて、カルロたちは顔を見合わせる。
「そりゃあ、君たちの訪問ははっきり言って迷惑だが、別に困るってほどのことでは……」
「なぜ反乱軍をさっさと消してしまわないんですか? やろうと思えばできるでしょう。なぜしないんです?」
「どうして俺たちが反乱軍を消さなきゃならないんだ?」
カルロは話がさっぱり分からないというように、怪訝な顔をしている。ジェイミーは黙って二人の話を聞きながら、スティーブが何をしようとしているのかについて考えを巡らせた。
以前、スプリング家がアケルナー国に拠点を構えていた頃は、彼らは国王に仕えていた。スプリング家のスタンスがここ一年で大きく変わっていないのであれば、彼らは今、女王に仕えているということになる。
そしてスティーブが言うように、ひとつの疑問につき当たる。なぜスプリング家は反乱軍を放置しているのか。
「女王に取り入ることに手こずっているんじゃないですか? だからまだ、彼女の益になるようなことはできないんでしょう。女王が自分たちを雇う動機を、無くしてしまうわけにはいかないでしょうから」
「想像力が豊かだね。騎士よりも喜劇役者の方が向いてるんじゃないか?」
カルロはあくまでしらを切り通すつもりらしい。しかしジェイミーはスティーブの執念深さをよく知っていた。
「女王もソティスも、俺たちを味方につけようと必死になっています。今この国の命運を握っているのは、我々アンタレス国軍だ。だからチャンスを差し上げましょうかと言っているんです。女王よりもソティスよりも先に、我々を味方につける、チャンスを差し上げます」
確かに状況だけ見れば、アンタレス国軍は選べる立場にあるように見えるがしかし、ジェイミーは思う。レグルス国軍、反乱軍、スプリング家に、アンタレス国軍。この中で一番頼りなくて弱っちいのは、もしかしなくてもアンタレス国軍ではないだろうか。
スティーブがそのことに思い至らないはずがない。思い至りながら、この堂々たる態度。ジェイミーは素直に彼の心の強さに感服した。
カルロは天井を見上げながらしばし考え込んでいた。それから視線をゆっくり移動させ、ジェイミーを見据えた。
「ジェイミー君。そもそも俺たちがことあるごとにアンタレス国に利用されるのは、君とシェリルの無謀な恋路のせいだと思うんだ」
「無謀、ですか」
「俺たちはまず君との話にけりをつけたい。シェリルにどれくらい本気なのか、できるだけ具体的に教えてくれ。それによって対応の仕方を考えよう」
ジェイミーは閉口する。
海よりも深くとか山よりも高くとか、そういうことだろうか。
「具体的にと言われても」
「例えばだ、遠征中の遊び相手が欲しいだけなら、自信を持ちなさい。名乗りをあげる人間はいくらでもいる。俺たちが用意したっていい」
「遊びよりはもう少し、真剣なような気がするんですけど……」
「ああ、分かった分かった。君が真面目な人間だってことはちゃんと知ってる。でも別に、今すぐ神殿に飛び込んで結婚したいとまでは思ってないんだろう?」
ジェイミーは結婚という単語を聞いて、しばし思案した。自分の気持ちの行方を探り、最終的にたどり着いた結論に愕然とする。
「思ってなくも、ないかも知れません」
この状況で、そんな風に考えられる自分が怖い。青い顔のジェイミーを見てカルロは一瞬動きを止めたが、すぐに気を取り直した。
「いいんだいいんだ。よくある話だ。久しぶりに顔を合わせてテンションが上がってるんだろう。でも君もねぇ、今のままじゃ何かと不便だろう。別れろとまでは言わないが、何というかこう、うまい具合に分散させることもできるんじゃないかなぁ。意味分かる?」
「いや、一人でもう、手一杯です」
「分かる、分かるよ。そういうポリシーは大事だ。だけど人間、反対されれば意地になってしまうものだろう。今はただ冷静さを欠いてるだけで、いざ一緒になってみたらそこまで好きじゃなかったなんてことも、あり得るんじゃないかなぁ」
ジェイミーは再び思案する。
正直ここ最近は弟の世話に夢中で、シェリルとの関係に疑問を持つ暇もなかった。では暇であれば冷静に向き合えるのかと考えてみるが、冷静になったら自分の現状を嫌でも直視しなければならなくなるわけで、そうなったら一緒にいられないことが余計に辛くなるだけだろう。それが怖くて弟の世話に没頭していた部分もある。いざ一緒になってみたら、なんて、ジェイミーにとってはもし金塊を掘り当てたらどうする、と聞かれているのと変わりない。
「そうなってしまうほうが、まだましというか……」
「いや、いいんだ、想定内だそんなの。ずばり聞く。君はシェリルのために死ねと言われたら死ねるのか?」
そんな質問に「はい」と即答できるような人間は、間違いなく信用ならないだろうとジェイミーは思った。しかしふと、自分の過去を振り返ってみて、彼女のために命を張ったことが何度かあるな、と気づいた。
その事実に今さら、ぞっとした。自分ではある程度の場所で踏みとどまっていたつもりだったのに、実際はとっくに引き返せないところまで来てしまっているということに今やっと気づく。
真っ青になって固まってしまったジェイミーを見て、カルロはゆっくりと、片手で口元を覆った。
「ああ、これは、参ったな……」
いかに医療技術が進んだレグルス国でも、恋の病を治療する術は、まだ見つかっていないという。




