1.奴隷に自由を
街を覆っていた活気が、夜の闇に押し流される時刻。丸い月に照らされる古城は、祭りでも催しているのかというほどにぎわっている。
はるか昔に処刑された豪族の住まいであったこの場所は、かつての厳粛さのかけらもなく荒れ放題だ。クモの巣の張った燭台。割れたワインボトル。砂や埃に埋もれた彫像。そんなものがそこらじゅうに転がっている。
つどっているのは、左腕に烙印を持つ者ばかり。穴のあいた靴をはき、もうあせる余地もないほどにくすんだ布をまとった、奴隷たちだ。
「我々は立ち向かわねばならない。敵がどれだけ残虐で、良心を持たない、人間のふりをした傀儡であったとしても!」
その昔、贅の限りを尽くした者たちがひしめいていたであろう大広間で、奴隷たちは歓声を上げた。彼らの視線の先には、一人の男が立っている。見るからに上等な衣装をまとう男の腕にも、烙印がべったりと張りついている。
「カルディアーナ! 神の末裔を名乗るあの女の正体を、我々は知っているはずだ。奴隷を虐げ、私腹を肥やす、地獄の使い。悪魔の化身。あの女を玉座から引きずり下ろさなければ、この国に未来は無い!」
「そうだ!」
「奴隷に自由を!」
「女王を潰せ!」
荒っぽい言葉が飛び交い、広間の熱気は最高潮に達している。
異様なほど騒がしい空間で、シェリルは襲い来る眠気と戦っていた。
「おい、シェリル」
突然何者かに肩をつかまれ、シェリルはハッと我に返った。よだれを素早く袖で拭いながら、声をかけてきた男の方に顔を向ける。
「なに、急に。びっくりさせないで」
「こんなに騒がしいのによく居眠りなんかできるな。立ったままで」
「だって、毎回毎回同じ演説を聞かされるなんて退屈で……ぶ」
ボロ雑巾のような服を身にまとっている男は、焦った顔でシェリルの口をふさいだ。
「お前が演説集会に乗り気じゃないのは知ってるけどさ、気をつけろよ。下手したら女王のスパイだと疑われるぞ」
シェリルは口元に張りついた手のひらを引き剥がし、顔をしかめて見せた。
「失礼ね。私が反乱軍を裏切るわけないじゃない」
「集会の最中に眠りこけてたらそう疑われても仕方ないだろ」
「冗談じゃない。烙印があるってだけで、辛酸をなめるのはもううんざりよ。これ以上女王の思い通りにはさせないわ」
拳を握って力説するシェリルを見て、男はどことなく嬉しそうな顔をした。それから、朗々と演説を続ける人物に視線を戻した。
革命の波は容赦なく、千年以上続いてきた奴隷制を飲み込もうとしている。支配され続けてきた奴隷たちの手によって、この国は今、生まれ変わろうとしていた。
レグルス国。
世界中に名を轟かせる超大国。資源、軍事、労働、あらゆる分野で他国をしのぐこの国は今、内戦に揺れている。
奴隷階級でありながら類いまれなる商才で財を築き、のしあがった男がいる。彼はありとあらゆるものを手にしたが、卑しい生まれだと貴族たちに陰口をたたかれ、上流社会ではつまはじき者のような扱いを受けている。
彼の主人はすでにこの世にいない。奴隷としては解放された身であるというのに、左腕にこびりついた烙印が栄光を手にすることを許さない。
虐げられる者はいつしか反旗をひるがえすと、歴史は証明している。世界が膝を折るであろうレグルス国に対して、革命の旗をかかげたのはこの、奴隷の男であった。男は国中の奴隷たちを寄せ集め、特権階級にあだなす反乱軍を編制した。
長年レグルス国を支配してきた王侯貴族たちは、この男の才能をみくびっていた。指導者としての資質に恵まれていた男の元には、自由に餓えた奴隷たちが大量に押し寄せた。現在も反乱軍の規模は拡大し続けている。それはまさに、追い詰められたネズミが、死に際に限界を超えた力を発揮するかのごとくであった。
来る日も来る日も、暴動、暴動、暴動。女王が所有するレグルス国軍は、手段を選ばない反乱軍に押されていた。日に日に、そして確実に弱っている。
追い詰められるレグルス国の女王に、ある組織が目をつけた。反乱軍を制圧した暁には、ぜひとも、自分たちの金づるとなって欲しい。そんなうさんくさい提案と共に、その組織の長は困窮する女王に手を差しのべた。
「明日の暴動は三か所で行われる予定です」
埃っぽい部屋には色とりどりの布が散乱している。壁際に並ぶマネキンは作りかけの服を着せられて、追い剥ぎに襲われた風になってしまっている。哀れなマネキンたちに囲まれながら、シェリルは反乱軍の集会で仕入れた情報を報告していた。
作業台の前に腰かけて、真剣な顔で針の穴に糸を通そうとしているカルロは、眉間に寄せているシワをますます深くした。
「一日に三か所? 多すぎないか」
「全部が反乱軍が計画した暴動というわけではありません。いたずら感覚で盛り上がってる連中が最近、妙に多くて」
「冗談じゃない。また路頭に迷う子供たちが増えてしまう。そしてうちの家計が火の車と化すんだ」
カルロは針の穴をにらみながら、憂いをおびた声で呟く。作業台を挟んでカルロの正面に立っているシェリルは、呆れた顔つきでその様子を見下ろした。
「毎日毎日子供を拾ってたらお金がなくなるのは当然でしょう。少しペースを落としてくれませんか」
「反乱軍に言ってくれ。暴動が起こらなければ、死人も孤児も減るだろう。そうすれば子供たちの食費に頭を悩ませる必要もなくなる」
傭兵のような活動によって、その名を広く知られるようになったスプリング家。決して漏れるはずのない情報を盗み出し、あったはずの事実を跡形もなく消し去り、百戦錬磨の戦士をも暗殺する。あらゆる国でそんな風に噂されているこの組織には、代々受け継がれる掟のようなものがあった。それは、環境に恵まれない子供を引き取り育てるという活動に、生涯をかけて取り組むべし、というものである。
人を救うには、金がいる。こつこつと働いていたのでは間に合わないくらいに必要だ。
長年の資金源であったアケルナー国とは、金の切れ目を機に縁を切った。それから渡り鳥のような生活を続けること、一年。資金繰りが厳しくなってきたころ、レグルス国の女王に手を組むことを持ちかけたのである。
「私たちで暴動を未然に防ぎましょうよ。この国の女王様ときたら、情報をどれだけ流しても全然活用しようとしないじゃないですか」
「俺たちはまだ女王の信頼を得ていないと何度言ったら分かるんだ。一針一針、布地を縫い合わせていくように地道に情報を流して、信頼関係を築いて、懐に入り込むしかない。勝手な動きを見せたらこの半年間の努力が水の泡だ。だからシェリル、まずはこの針に糸を通しなさい」
一針一針縫う前に針の穴に糸を通すことすらできないカルロは、地道な努力をあきらめてシェリルに針と糸を差し出した。シェリルは砂粒のような穴にあっさりと糸をくぐらせて見せた。カルロは感嘆の声を上げる。
「大したもんだ」
「アメリアとダミアンは何をやってるんですか? 女王に話を持ちかけてからもう半年近くたつっていうのに、全く進展がないじゃないですか」
人をたらしこみ誘惑する腕に関しては、スプリング家の中でアメリアとダミアンの右に出る者はいない。というのにこの五ヵ月間、二人は女王どころか、女王の取り巻きたちの心をとらえることすらできていない。そのことにシェリルは最近、ひどく苛立っていた。
「どうした。やけに気が立ってるな」
「べつに何も。ただちょっと、反乱軍の集会にうんざりしてるだけです」
「毎日参加しなくてもいいんだぞ。二、三日休んだらどうだ」
「嫌です」
すねてむくれるシェリルに、カルロは困り果てた顔を向ける。
「嫌って、どうして」
「だって……」
「だって?」
「何でもないです。おやすみなさい」
シェリルは無理やり話を切り上げ、部屋を出ていった。カルロは黙ってその背中を見送りながら、腕を組んでしばらく何かを考え込んでいた。