14.交渉
シェリルとスティーブは今、真顔で向かい合っている。椅子が無いので、二人で薄汚れた床に座っている。
イブたちが気を利かせて二人きりにしてくれたのだが、この朽ちかけた部屋で二人きりになって、いい雰囲気になるというのは至難の技だろう。人影が減ったことで部屋の不気味さは着々と増している。
泥を全て洗い流し真の姿に戻ったシェリルは、迷いに迷った末、スティーブに尋ねた。
「どういうこと?」
スティーブはそれはそれは面倒くさそうな顔で、非難がましい声を出した。
「説明しなきゃ分かんないの?」
そう言ってスティーブがこぼしたため息を、シェリルは一生忘れることはないだろう。理解力のない子供を相手にしているような、とにかく本当にだるそうなため息をついたのだ。
「世の中馬鹿ばっかりで、いい加減嫌になる」
「それは大変ね。お気の毒さま」
スティーブは愛想笑いのひとつも返すことなく、淡々とシェリルに事の次第を説明した。
シェリルの姿を反乱軍の本拠地で見かけたというジェイミーの主張は、アンタレス国軍の中では気のせいだったということで片付けられているという。だがスティーブは、ジェイミーの話を信じた。ジェイミー本人にはそれを伝えていないが、シェリルを見たという話を聞いた瞬間に、頭の中で一つの仮説を立てた。
シェリルが反乱軍にいるということは、スプリング家がこの国で暗躍しているということ。少なくとも内戦には関わっているはずだとスティーブは考えた。
二年前、花に誘われる蝶かというくらいにジェイミーに夢中だったシェリル。それが、ジェイミーと目を合わせた瞬間に逃げ出したと言う。心変わりをしたにしてもそこまで必死に逃げる必要はない。ひと言も言葉を交わせないのは、反乱軍にいることがバレるとまずい、理由があるせいだ。
スティーブは一旦話すのをやめて、意地悪く口の端を持ち上げた。
「女王の回し者なんだろ?」
ずばりと正体を言い当てられたシェリルは、目を見開いてしまわないように細心の注意をはらった。
「深読みしすぎよ。私はただ、奴隷制に不満を持ってるだけ」
「あー、はいはい。そういうの面倒だから、省略してくれる?」
「スプリング家が反乱軍に味方してるとは思わないわけ?」
シェリルの問いに、スティーブは冷めた声を返す。
「アケルナー国と手を切って、スプリング家は新しいパトロンを探してるんだろう。反乱軍に君が潜入してるんだから、スプリング家は女王に金をもらってるってことになる」
「でも、ソティスも大金持ちよ。どうしてソティスに雇われてるって思わないの?」
「何日か前にソティスとちょっと話したけどさ、あいつ、内戦を終わらせるつもりなんか無いみたいだな」
シェリルは今度こそ、驚きに目を見開いてしまった。
女王とソティス。財産だけなら、女王の方が格段に金を持っている。だが自由に動かせる金は恐らく、ソティスの方が多く持っている。アメリアとダミアンは当初、ソティスと手を組む方が金になるとカルロに提案していた。双子の提案に対し、カルロはスティーブが今言ったこととほとんど同じ言葉を返したのだ。
ソティスは実際のところ、王家を失脚させることに後ろ向きだ。反乱軍が内戦に勝利してソティスが国を治めることになれば、国民の不幸は全て彼の責任になってしまう。弱者に味方する英雄として崇められる今が、彼にとっては一番楽しい。おまけに、彼は武器商人だ。戦争が長引けば長引くだけ儲かる。
そう。戦争には金がかかる。膨大な資金を終わるかどうかも分からない争いにつぎ込んだあげく、後に残ったのが親を失った子供たちでは、笑えない。スプリング家が目指すべきはあくまで子供たちを救うことで、金持ちになることではない。そこのところを忘れるなと、カルロはいつも口うるさいくらいにシェリルたちに説いてくる。
だからスプリング家は女王を選んだ。ソティスに味方して内戦を長引かせることに注力してしまったら、シェリルたちは金と引き換えに、せっかく手に入れた生きる意味を、失ってしまう。
スティーブがそこまで読んでいるかどうかは分からないが、スプリング家が女王の味方についていることには確信を持っているようだった。
「まぁ、スプリング家がどっちの味方かなんて正直、どうでもいい。単刀直入に言うけど、俺はスプリング家の手を貸りたくてここに来た」
スティーブが言うには、アンタレス国軍は今、女王と反乱軍、どちらに味方するべきかわからず困っているらしい。だから国王であるローリーの助けを借りたいが、あいにく連絡手段が無い。
突然本題に入ったスティーブを、シェリルは釈然としない思いで見つめる。
「どっちの味方につけばいいかなんて、もう分かってるでしょ。さっき自分で言ってたじゃない。ソティスは内戦を終わらせるつもりなんか無いって」
「俺はそう思うけどさ、上の奴らは俺みたいな下っ端の言葉には耳を貸さないしな」
「もし手紙を送れたとしても、手紙が届く頃には、演習は終わってるわ」
「そんなことは当然、陛下は配慮して働きかけて下さる。演習中に起こることくらいは、自分たちでなんとかするよ。それに俺はさ、別に本気で陛下に助けを求めたいわけじゃないんだ。上の奴らに無能扱いされたままってのが気に障るだけで」
シェリルは悩んだ。カルロは絶対に嫌がるだろう。ローリーに手紙を送るなど。今度こそ本気でレグルス国は諦めて別の国に引っ越すと言い出すかもしれない。答えに困ったシェリルは、ひとまず話題を変えることにした。
「ところでスティーブ。あなた、私の似顔絵を持ってるそうね」
「ああ、これ?」
シェリルはスティーブがポケットから取り出した似顔絵を見て、唸った。目の前にあるのが、スプリング家がわざとアンタレス国にばらまいたシェリルの似顔絵だったからだ。スプリング家の存在を隠すためにばらまいた似顔絵が、巡り巡って厄介な客人を招いてしまう結果になるなんて、なんという皮肉。
「まさか、持ち歩いてるの? それ」
「ああ、ジェイミーがね」
「ジェイミーが?」
「本のしおりに使ってるのを見かけたから、拝借してきた」
「へぇ……」
額縁に入れろとは言わないが、もう少し扱い方を考えて欲しい気もする。喜んでいいのか悲しんでいいのか微妙な気分になっているシェリルにかまうことなく、スティーブは話を続ける。
「カルロにアンタレス国とは関わるなって釘を刺されてるんだろ」
全くこの男は、これだけ察しがよくては、さぞ人生がつまらないことだろう。シェリルは一足飛びに話を進めるスティーブを恨めしく見つめる。
「カルロさんはローリーと関わることを嫌がってる。だから私、きっと明日には反乱軍を辞めさせられるわ」
「そうか。それは残念」
スティーブはとくに機嫌を損ねることも食い下がることもなく、もう話は終わったとばかりに立ち上がって、服についた埃を払った。シェリルは慌てて立ち上がる。
「もう諦めるの?」
「まだ諦めて欲しくないの?」
半笑いで返ってきた言葉に、シェリルは口ごもる。てっきりジェイミーを盾に脅してきたりするのかと思っていたので、拍子抜けしてしまった。
「ジェイミーは元気?」
こっそり誘いをかけてみる。
シェリルの悪あがきにスティーブが気づかないはずがない。スティーブはあからさまに、呆れた声を出した。
「あいつに会いたいなら自分で会いに行きなよ。俺を巻き込まないでくれる?」
「私と会ったこと、ジェイミーに話すの?」
「話して欲しいの?」
「ねぇ、どうしてそんなに性格がねじ曲がってるの?」
シェリルの憤りを、スティーブは涼しい顔で受け流す。
「明日には反乱軍を辞めさせられるんだろ。ジェイミーに話したって結局会えないんじゃ、さすがにあいつも、気の毒だし」
そう言われると立つ瀬がない。シェリルはなんだかもう、投げやりな気分になった。
「私だって一応、努力はしてるのよ」
「そうか。じゃあもし君が女王の回し者だったとして、俺にそれを見破られたせいで姿を晦ますことになるんだとしたら、そうなる前に伝えておきたいことがある」
「何?」
スティーブはいやに愛想のいい表情で、シェリルを見下ろしてきた。
「ジェイミーさ、子供ができたんだ」
シェリルはスティーブの言葉を頭の中で反芻してから、ゆっくり口を開いた。
「え、ジェイミーの子供?」
「そう。予定外だったらしいんだけど、それでも相当可愛がってる。君がもたもたと努力してる間に、ジェイミーは一児の父になったってわけ」
シェリルの脳裏に浮かんだのは、野に咲く花のように可憐なレイチェルと、子供を抱くジェイミーの姿。呆然とするシェリルの肩に、スティーブは気遣わしげに触れる。
「あいつの性格からして、責任は真っ当に取ると思う。今はばたばたしてるけど、多分近いうちに。まぁ、何ていうか、残念だったね」
スティーブは全く心のこもっていない口調でそう言って、シェリルの肩をぽんぽんと叩いた。彼の言葉は、シェリルの頭の中で何度も反響して、やがてストンと心の中に落ちてきた。