13.泥パーティー
「どうせそんなことになるだろうと思った」
これが、ジェイミーに顔を見られてしまったと正直に白状したシェリルに対して、カルロが放った言葉である。続いてカルロはこう言った。
「罰として一週間外出禁止」
一週間の刑期を終え久々に反乱軍の集会に参加したシェリルは、拍子抜けした。何に拍子抜けしたのかというと、一週間経っても反乱軍の内情が全く変わっていなかったことに対してである。
本当は少し、期待していたのだ。誘拐されていたレイチェルを逃がしたのは自分であると、明らかになってしまっていることを。そしてその噂が最終的にジェイミーの耳にまで届いてしまえばいいと思っていた。
いつの間にかもぬけの殻になっていた部屋を見て、レイチェルとシェリルを監禁した奴らは不審に思ったはずだ。しかし奴らは、ウィルが古城に乗り込んで来たことを知って縮み上がってしまったらしい。自分たちの行いのせいでソティスが責められることになり、恐ろしくなったのだろう。自分たちは何も知らないし何もしていないという態度を貫くことに決めたようだ。
ソティスは誰のしわざだったのか追求するつもりはないようで、誘拐事件は反乱軍の中で、すっかり無かったことになってしまっていた。
「シェリル、今日は海の泥を使うわよ。皆でどろどろになって楽しみましょう!」
反乱軍の集会のあと、泥の詰まった壺を抱えたイブにシェリルは話しかけられた。今日も彼女は、ご主人様の美容コレクションの一部をこっそり頂戴してきたらしい。イブはシェリルの他にも数人の奴隷仲間を引き連れて、怪しい儀式を執り行うべく人気のない部屋へと移動した。
輪になった女たちが、それぞれの手元に置いた蝋燭の灯りに照らされながら、顔に泥を塗る。その光景はまさに、魔をつかさどる儀式の真っ最中とでも表現できそうな様相である。
「ねぇシェリル。ここ最近集会で見かけなかったけど、どこで何してたの?」
魔の儀式に熱中するかたわら、参加者の一人が何気なく尋ねてきた。シェリルは絶妙な肌触りの泥を頬に塗りつけながら、疑問に答える。
「所有者の機嫌を損ねて、家に閉じ込められてた」
別の女が、足に泥を塗りながら「へぇ」と頷く。
「ジェトが騒いで、大変だったんだから」
「そうそう。『シェリルは今日も来ないのか? 誰かシェリルを見なかった?』」
ジェトの真似をしながらクスクス笑う女たちを見て、シェリルは苦笑した。
「からかわないであげてよ」
「そうね、ごめんなさい。ジェトはシェリルの大事な"弟"だもんね」
その言葉に、シェリル以外が小さく笑い出した。なにやら含みのある視線を怪訝に思いつつ、シェリルは一人、泥を塗ることに専念する。
三十分ほど経ったとき(シェリルたちは三十分もの間、泥を全身に塗り続けていた)、イブがあらたまった顔で背筋を伸ばした。
「シェリル。私たち、あなたに謝らなきゃならないことがあるの」
「何?」
「架空の恋人の、ジェイミーのことよ。まさか本当に実在するとは思わなかった。しかもアンタレス国の騎士だったなんてね」
シェリルは泥を塗っている手をピタリと止めた。いつの間にか、女たちの視線がシェリルに集まっていた。全員ニヤニヤといたずらっぽい笑みを浮かべている。困惑するシェリルに、イブは一週間前の出来事を語って聞かせてくれた。
シェリルがカルロに外出禁止を言い渡された、次の日のことである。反乱軍の集会に見知らぬ男が一人、まぎれ込んでいた。不審に思った反乱軍の人間が、男に声をかけ名前を尋ねた。男は感じのいい笑顔を浮かべ、ジェイミーと名乗った。アンタレス国の騎士であるという。ソティスの許可をもらって集会に参加し、反乱軍に対する理解を深めようとしていたのだそうだ。
イブいわく、彼はまさに女の理想を具現化したような感じの男だったという。
定期的にイブが開く、この謎の儀式に参加している者たちは知っている。シェリルが日頃、ジェイミーという架空の男を恋しがっていることを。そしてそのジェイミーという男は、アンタレス国に住んでいるという設定であることを。
イブは何気なく、集会にまぎれ込んでいたジェイミーにシェリルのことを話してみた。するとジェイミーは一枚の似顔絵を取りだし、その人はこんな顔ではないかと尋ねてきた。似顔絵は確かに、シェリルにそっくりだった。
ここで一旦、イブは話を切った。そして同情するような眼差しをシェリルに向けた。
「ジェイミーから聞いたわよ。あなた、ジェイミーと会うことを所有者に禁じられてるんですって?」
シェリルは彫像のように固まったまま、ゆっくりと口だけを動かした。
「…………え?」
混乱しているシェリルを放置して、イブは合図をするようにシェリルの両隣に目配せをした。すると、シェリルの両隣に座っている女たちが何もかも心得たという顔で、シェリルの両腕を捕らえた。
「シェリル、私たちに任せて。ここは安全よ。あなたの所有者にバレないように、こっそりジェイミーに会わせてあげる」
「え、ちょ、ちょっと待って」
我に返ったシェリルは、とにかく逃げなければと思った。ジェイミーにはもちろん会いたいし会いに来てくれればいいのにとも思っていたが、それが現実になると話はまた違ってくる。
必死に暴れるが、女たちは意外に怪力であった。日頃の労働で鍛えられているのだ。そうこうしているうちにボロボロのカーテンの影から、反乱軍の一員である女がひょっこり顔を出した。
「連れてきたわ! ジェイミーが来た!」
イブたちは「きゃあ」と声を上げて、色めき立つ。シェリルは焦った。今ジェイミーに引き合わされるわけにはいかない。
シェリルの必死の抵抗をあざ笑うかのように、カーテンの向こうから人影が現れた。なるほど、彼はまさに女の理想を具現化したような男だ。彼のその美しい顔は、シェリルたちを目に留めた瞬間、恐怖にひきつった。
「ひっ……」
形のいい唇から、悲鳴が漏れる。
無理もない。シェリルを含め、今この場にいる者たちは皆、全身泥だらけなのだ。そしてその泥だらけの姿は、怪しく揺れる蝋燭に照らされているのである。それははた目に見れば、墓から這い上がってきた死人たちが宴会でも開いているかのような、恐ろしい光景だったことだろう。
シェリルは安堵の息を吐いた。カーテンの向こうから姿を現した人物がジェイミーではなかったからだ。女の理想を具現化したような男、スティーブは、泥だらけのシェリルの顔に視線を定め呆れた風に呟いた。
「本当に、どうして君のことを好きなのか、全く理解できない」
主語はおそらく「ジェイミーが」だろう。ひどい言い草だ。だが正直なところ、はた目に見れば狂っているとしか言いようがないこの姿を目にしたのがジェイミーじゃなくて本当によかったと、シェリルは密かに胸を撫で下ろしていた。