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9.誘拐

「とんでもないことをしてくれたわねアメリア!」


 早朝。一軒の古びた仕立て屋にシェリルの声が響き渡った。閑散とした店内でのんびりと読書に(いそ)しんでいたアメリアは、紙の上から視線を外すことなく、シェリルとの会話に応じた。


「バラの香りがする」

「ジェイミーは演習に参加しないって言ってたじゃない!」


 作業台に両手をついて自分を見下ろしているシェリルを、アメリアはゆったりとした動きで見上げる。


「正確には名簿に名前が無かったって言ったのよ。まさか、ジェイミー君がこの国に来てるとか言わないわよね」

「来てたわ、すぐ近くにいる。この目で見た」


 昨夜シェリルは、反乱軍の仲間であるジェトに促され、アンタレス国軍の宿舎の近くまで行ったのだ。当然中に入ることはできないので、建物を囲む塀の穴飾りから遠目に観察した。


 ジェトは青い目や赤い髪の人間を見られると張り切っていたが、結局、距離が遠すぎてよく見えなかったと言っていた。シェリルも完璧に一人一人を見分けることはできなかった。しかしジェイミーのことはちゃんと見えた。遠くからでもちゃんと分かった。


「見間違えたんじゃないの?」


 アメリアが疑り深い顔で言った。シェリルはずいと、アメリアに真剣な顔を近付ける。


「見間違えるわけない。ジェイミーは宿舎の裏庭にいたの。それで……」

「それで?」


 シェリルは近くにある椅子を引き寄せ、倒れ込むように腰を下ろした。


「それで、赤ん坊をあやしてた……」


 自分で放った言葉に、頭をがつんと殴られた心地がした。呆然と宙を見つめるシェリルの頬をアメリアがぺちぺちと叩く。


「気を確かに。あなたは幻を見たのよ。目を覚ましなさい」

「隣に、女の人が立ってたの。仲良さそうに、二人で、赤ん坊を……」

「重症ね。今日は反乱軍の集まりには行かない方がいいんじゃないの?」

「ああ、そうだった。今日も集会があるんだ……」


 言いながらゆっくりと立ち上がる。そのままふらふらと外に向かおうとするシェリルを、アメリアは引き止めることなく見送った。




 シェリルは乾いた砂を踏みしめながら、とぼとぼ歩いた。そりゃあ、そうだよな、と心の中で呟く。ジェイミーには家庭を築く権利があるのだ。どこで何をしているかも分からない女を、律儀に待ち続けていて、いいわけがない。そんなことは自然に反している。


 もやもやとした気持ちを引きずりながら、シェリルは反乱軍の集会所である古城へと歩みを進めた。

 古城の大広間にはごちそうが用意されていた。奴隷たちは好き勝手に料理を物色して、談笑している。反乱軍の長であるソティスはこうやって奴隷たちの心を掴んでいた。金にものを言わせ、衣食住を与え、自由をちらつかせるのだ。


 シェリルが一人でパンをかじりながらふて腐れていると、朝から元気一杯のジェトが駆け寄ってきた。


「よう! しけたツラしてんなぁ、ますますブスに見えるぞ!」


 (すね)を思いきり蹴ってやると、ジェトはうずくまって、それ以上失礼なことを言わなくなった。


「具合でも悪いの? ふらふらじゃない、可哀想に」


 痛みに呻いているジェトを見下ろしながら鼻で笑ってやる。ジェトはヨロヨロと立ち上がり、シェリルを思いきり睨み付けてきた。


「せっかくとっておきの情報を教えてやろうと思ってたのに」

「とっておきの情報? 何それ」


 シェリルが尋ねると、ジェトはしばし黙り込んだ。脛を蹴られた恨みと、とっておきの情報をシェリルと共有したいという気持ちとを天秤にかけているようだ。


「……アンタレス国の王子がこの国に来てるって、お前知ってる?」


 結局ジェトは脛の痛みを忘れることにしたらしい。シェリルはナツメヤシの実をつまみながら、眉をひそめる。


「それがとっておきの情報?」

「違う。今、反乱軍はレグルス国軍に勝ってるだろ? だから女王はアンタレス国軍を味方につけて、反乱軍を叩き潰そうとしてるみたいなんだよ」

「へぇ」


 女王がアンタレス国軍を利用しようとしていることには、誰もが感づいている。女王自身、それを隠そうとしていないのだから。


「だからソティス様は女王より先に、アンタレス国軍を味方につけようとしてるんだ」

「そう」


 そのことも、大抵の人間が知っている。

 シェリルの反応が不満なのか、ジェトは雰囲気を出すためにわざとらしく声を潜めた。


「だから反乱軍の一部の人間が、ソティス様のために、アンタレス国の王子の婚約者を、誘拐したんだってさ」

「はぁ?」


 シェリルの手のひらに乗っているヤシの実が、ボトボトと指の間からこぼれ落ちた。ジェトは顔をしかめながら、床に落ちた実を拾うために身を屈める。


「何やってるんだよ、もったいない」

「ねぇ、どうして王子の婚約者を誘拐することが、ソティス様のためになるの?」


 呆然としながら尋ねると、ジェトは困ったような顔をした。


「王子を脅して反乱軍に協力させようとしてんじゃねぇの?」

「それ、どこで仕入れた話?」


 シェリルは床に膝をつきジェトの両肩を掴んだ。ジェトはヤシの実を拾い上げていた手を止めて、驚きのけぞった。


「婚約者を誘拐したって奴らが、そこら辺で触れ回ってるんだ。本当かどうかは知らないけど」

「そいつら今、どこにいる?」

「なんでそんなこと聞くんだよ」

「なんでもいいから早く教えて!」


 ジェトはわけがわからないという顔をしながら、大広間の外に続く扉を指差す。シェリルは一人、その方向に足を踏み出した。


 ジェトが言っていた通り、大広間の外、廊下のすみに、数人の男女がたむろしていた。一直線に彼らの元へと歩みを進め声を張り上げる。


「ねぇ、ウィリアム王子の婚約者を誘拐したって本当?」


 楽しげに歓談していた男女が一斉にシェリルを見る。そして全員が呆れ返ったような顔をした。


「ジェトのやつ、お前にはなんでも告げ口するんだな。困ったもんだ」


 困ったと言いながら、皆どこか誇らしそうである。シェリルはたむろしている者たちのすぐ側まで歩みより、一人一人に順番に、きつい眼差しを向けた。


「やめてよ」

「は? 何を?」

「ジェトをからかうのはやめてよ。どうせ婚約者を誘拐したなんて、嘘なんでしょ。あんたたちにそんなこと、できるわけないものね」


 シェリルが嘲笑して見せると、苛ついた声があちこちから上がった。


「シェリル、あんた、ジェトのママにでもなったつもりなの?」

「俺たちがソティス様に気に入られてるのがそんなに悔しいか」

「お前はあの方に見向きもしてもらえないもんなぁ」


 シェリルは鋭い眼差しをそのままに、言葉を投げた。


「証拠を見せなさいよ」

「証拠?」

「誘拐したって証拠を、見せなさいよ」


 とたん、その場にいる全員がケラケラと笑い出した。


「なぁ、シェリルちゃんよぉ。俺たちと仲良くしてぇんなら、もうちょっと可愛くおねだりしねぇとな」

「仲間に入れて欲しいんでしょ? それなら意地にならずに素直にお願いしてみたら?」

「やっぱり、嘘なのね。だからそうやってはぐらかすのよ。一生ホラ吹きだけでつるんでな、この腰抜け集団!」


 廊下のすみに、不穏な空気が流れる。シェリルはあっという間に囲まれた。


「あんまり調子にのるんじゃないよ」

「よっぽど痛み目見たいらしいな」

「お前のことも監禁してやったっていいんだぜ。後悔する前に謝罪しろ、謝罪を」


 最後に声を上げた男の顔に、シェリルは思いきり唾を吐きかけた。

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