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カルロとシェリル

 奴隷を売買することは、一人前の大人になるための通過儀礼である。こんな、わけのわからない社会通念がはびこる国で、カルロという男は生きてきた。


 今日も奴隷市場には溢れんばかりの人々が訪れる。貴族が使用人を買うため、商売人が雑用係を買うため、子供が遊び相手を買うため、果ては奴隷が奴隷を買うためにやってくる。広場には家畜のように縄に繋がれた奴隷たちが整列していて、次々と競売にかけられていく。子供と別々に売られることになった母親は、地面にへたりこんで泣き叫んでいる。


 アケルナー国では珍しくもない光景だ。この光景を"活気がある"と表現する者もいる。しかしカルロは市場の喧騒のただ中で、真っ青になって立ち尽くしていた。立ち尽くしながら、人身売買で栄えるアケルナーという国に、心底嫌気がさしていた。


 アケルナー国には決して公にされることのない組織がある。その組織の名を聞けば、一部の人間は総身を震わせることになる。彼らが動くのに議会の承認や国民の同意は必要ない。国王のみに従うその組織の名は、スプリング家。国が表だって手を出せない深い所にまでもぐり込み、国の秩序や、平穏を保つ。その見返りにスプリング家は、普通に生きていたのでは決してお目にかかれないであろうほどの額の、金を手に入れる。


 生まれ落ちた瞬間から現在までずっと、そんな組織に身を置いてきたカルロは、奴隷大国と呼ばれる国に生きていながら大の奴隷嫌いだった。


 幼少期の経験のせいであると、カルロ自身は分析している。


 カルロは物心ついたときから奴隷に囲まれて暮らしていた。彼らはよき友であり、気心知れた家族であり、ときには恋人であったりもした。カルロが奴隷に懐くことに、当時のスプリング家の当主はいい顔をしなかった。腕に烙印(らくいん)がある者たちとは親しくなりすぎないようにと、カルロは何度も忠告を受けた。


 忠告の理由を察するのにそれほど時間はかからなかった。スプリング家に属する者の中で奴隷という肩書きを持つものだけ、カルロの知らぬ間に姿を消すということが何度もあった。そしてすぐに代わりの奴隷がやってくる。補充されては消え、補充されては消える無数の奴隷たち。


 なんということはない。腐りきったその組織は、命がけの仕事を奴隷たちに押しつけて、利益だけを享受(きょうじゅ)していたのだ。あんなつまらないことで死んでしまうなんて本当に可哀想だと言いながら、仲間たちが笑い合っているのをカルロはたまたま目にしたことがある。安全な場所でくつろぎながら、仲間の命と引き換えに授けられた褒美を手に浮かれている連中を見て、カルロは吐き気を覚えた。


 年端もいかない幼い奴隷が姿を消したとき、とうとう黙っていられなくなって、「こんなやり方はスプリング家の理念に反するのではないか」と当主に訴えた。当主は言った。我々が奴隷の仕事を奪ってはならない。奴隷の役割を我々が横取りしてはならない。奴隷制は彼らのような人間のための、命綱なのだから、と。


 当の奴隷たちも当主の考えに賛同するのだから始末に負えない。庇護してくれる者がいなければまともに暮らしていけない自分たちを、仲間として受け入れてくれただけで感謝している。奴隷で溢れかえるこの国で、主人を得ることがどれだけ大変か。それを考えれば今の暮らしは天国だ。そう言って奴隷たちは歯が浮くような言葉で己の主人を褒めたたえながら、笑っていた。


 カルロはどうしても彼らの考えが理解できなかった。奴隷制は本当に、唯一の命綱だろうか? 命綱として奴隷制しか機能させていないだけではないのか?


 お年寄りには敬意を。恵まれない者には手を差し伸べよう。子供たちは国の未来を照らす、大事な大事な宝物だ。しかしそこに奴隷という概念が介入するだけで、どうして共存すべき人間から苦しめていい人間に成り下がるのだろうか。そういうものだからと割り切ることが、どうしてもできなかった。奴隷と同じ空間にいると、まるで自分が生まれながらの極悪人であるかのような気にさせられてヘドが出た。


 いい迷惑だった。カルロにはどうすることもできない理由で、彼らは勝手に傷ついて、勝手に命を落とし、勝手に人の心に罪悪感を植えつける。善良な人間さえ、ただ自分の人生を生きているというだけで、悪魔のような存在に変える。そんな疫病のような者たちに関わりたいわけがない。


 カルロが当主の座を継いでからというもの、奴隷を買うことをやめた組織はかつての勢いを失っていた。年を追うごとに規模を縮小していくスプリング家に、国王は危機感を覚えたらしい。ある日突然、金貨の詰まった鞄と共に、また以前のように奴隷を買えと命令をよこしてきた。


 相手は雇い主であり、国王である。命を受けてからというものカルロは三日三晩悩みに悩み、とうとう意を決して忌むべき奴隷市場を訪れたのだった。




「あのー、お兄さん。何かお困りですか?」


 ここに来ることになった経緯を思い返し現実逃避を(はか)っていたカルロは、声のした方へ、うろんな視線を向けた。そこには左腕に烙印を押された娘が立っていた。お困りなんてかわいいものではないと、カルロは娘に言ってやりたかった。気が重い。重すぎる。気が地面にめり込んでいる。


 娘は無愛想な人間の相手に慣れているのか、うんともすんとも言わないカルロに明るい笑顔を向けて言った。


「どんな奴隷をお望みですか? 重労働用とか、愛玩用とか、そういうの。私、この辺りの商品はほとんど把握しているんです。お客様の目的に合ったお店をご紹介しますよ」


 娘は客と奴隷小屋を仲介することで金を稼ぐ、奴隷市場の案内役であった。カルロの顔は、嫌悪に歪んだ。


「腕の立つやつを……」

「運がいいですねお客さん! それなら、とっておきの商品がございます」




 カルロにとって人生最大ともいえる試練を乗り越えてから、半月。カルロの落ち込んだ気持ちはなかなか回復しなかった。それというのも、新たにスプリング家の仲間に加わった奴隷の少女が、その隙を与えてくれないからである。


「カルロさーん。みてみてー」


 幼い声に名を呼ばれて、台所で食器を洗っていたカルロはゆっくりと振り返った。


「シェリル。よく見なさい。カルロさんは今、見るからに忙しそうだろう」

「ほらみて、へび」


 少女の手には、鋭い牙をむく蛇が握られていた。


 急いで蛇を窓から投げ捨て、カルロはこんこんと諭した。あれは毒を持っている。毒は危ない。だからあれも危ない。少女が理解できるようにと言葉を尽くしたが、手応えは感じられなかった。少女は分かったような分からないようないい加減な相づちを打ったあと、カルロの腕を掴んだ。


「ねぇカルロさん。お墓まいりしよ」

「またぁ?」


 早く早くと腕を引かれ、思わず頭を押さえる。どうしてこんなことになってしまったのか。自業自得でしょう、と両隣から苦言が飛んでくることは目に見えているので、カルロは弱音すら吐けないのであった。


 なにがどうしてかカルロはあの日、まだまだこの先手がかかるであろう、小さな子供を買ってしまった。


 それなりに体力のある丈夫な奴隷を買っていれば、日々の暮らしも少しは楽になっただろう。しかし今目の前にいるのは、立って歩いているのが不思議なくらいに痩せこけて、読み書きどころか話す言葉すらおぼつかない少女である。そこら辺を歩いている子供を適当に捕まえても、彼女ほどの役立たずにはそうそうお目にかかれまい。おまけに何を血迷ったか、少女の名付け親だという奴隷の亡骸まで一緒に買ってしまった。そのせいなのか何なのか、カルロは少女に懐かれてしまったのだ。


 小枝のような手に腕を掴まれたカルロは抵抗する気力がわかず、促されるままスプリング家が所有する墓地へと足を運んだ。墓の管理を任せている仲間に「また来たんですか」と苦笑いされ、返す言葉もない。本日三回目の墓参りとくれば呆れられて当然だろう。


「お母さん、げんきー?」


 真新しい墓に向かって少女が手を振る。死人に元気かどうか聞くなんて、大した感性だ。そんなことを考えながら、カルロは泥が付くのも構わず地べたに腰を下ろし、少女がはしゃぎ回るのをぐったりしながら見つめていた。


 ふと視界の端に映ったのは、ひっそりとたたずむ前当主の墓だった。墓標の下のひんやりとした土の中で、そ知らぬ顔で眠っているであろう男の顔を思い浮かべ、カルロは表情を歪めた。


「全部あんたのせいだ、クソ親父」


 いくら悪態をついたところで死人が言い返してくるわけもない。むなしい思いにかられるカルロの肩を、小さな指がちょんちょんとつつく。


「カルロさんカルロさん」

「……なんだい、シェリルさん」

「ほらみて、ねずみ」


 汚いネズミが小さな手の中でじたばたしていた。まるで自分を見ているようだ。カルロはうんざりと天を仰いだ。

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