日本史教師、殿田 9
此川さんが、俺と亜厂を昼休みの屋上へと集めた。
俺が人目を忍んで屋上へと上がると、既に此川さんと亜厂がベンチで話していた。
「すまない。遅くなったかな……」
「ううん、私らも今来たとこやよ」
此川さんがベンチを詰めてくれるので、素直にとなりに座らせてもらう。
「それで松利ちゃん?」
亜厂が促す。
「うん、私が怪しいと思ったのは、日本史の殿田先生なんやけど……」
殿田。殿。俺に職員室側のトイレ掃除を命じた、ねちっこい日本史教師。
「殿が?」
「なんかな……今日の二限に殿田先生の授業があったんやけど……怒らへんねん。
クラスの男子が早弁しとって、普段、そんなの見つけたら、すぐトイレ掃除やろ?
でも、今日は笑っててん……。
お腹が減ってるなら、仕方ないなって……そんなん言われたら、逆に怖いやんか……。
そんで、その男子がおっきな声で謝ってん。
どうも、すいませんでしたーっ! てな。
そしたら、殿田先生、その男子の肩を掴んで、優しく座らせて、食べながらでいいから、授業は聞いておくように……って、変やろ?」
それは変だ。
まさしく、人が変わったように感じる。
「もしかして、殿田先生が急に優しさに目覚めたとか?」
亜厂は首を傾げる。
「いやいや、あの殿が?
三日前にトイレ掃除くらったばかりだぜ、俺!」
「あー、悪いんだ。ひなせくん。何したん?」
此川が楽しそうに聞いてくる。
「え、あー……昼寝?」
まさか、亜厂に見蕩れてたとは言えない。
「自分の事なのに覚えてへんの?
ひなせくん、怠惰やなぁ!」
此川さんに笑われた。俺は、えへへ、と誤魔化すしかない。
「それで写真は?」
亜厂が聞くのは『転生者診断アプリ』のことだ。
「それがなー、まだ撮れてないねん。
集まってもらったのも、どう写真を撮るかって、考えて欲しかったのもあるんよ」
「『再構築者』って、写真に反応するとかあるのか?」
考えてみれば、どこか別の文化で生きてきた転生者が『写真アプリ』に反応するのもおかしな話だ。
「ええとね。『リビルダー』は肉体の記憶を読み取ったり、元の魂から記憶を受け継いだりして、この世界のことを理解するの。
学校内で授業中は携帯禁止でしょ。
人が多いところで、相手が不審に思うことは避けないといけないの」
「やないと、いきなり魔法とか使われたら危ないもんな!」
なるほど、正体を暴く時は『人払いアプリ』を使ったりする訳だ。
『人払いアプリ』で被害を小さくした上、『瞬間催眠装置』で記憶を操作、これによって世間の目を欺いている。
それにしても、この世界の一般常識を相手が理解しているとなると、なかなかに厄介だな。
亜厂も言っているが、殿がいきなり優しさに目覚めた可能性が捨てきれない。
やはり、周りに人がいない前提で写真を撮らないと、判断が難しい。
本当に『リビルダー』だった場合、いきなり戦闘に発展する可能性もある、ということだからだ。
「普段はどうしてるんだ?」
「う〜ん……相手によって色々やね。
ただ、相手が邪な考えを持っている『リビルダー』の場合、人目を避けて行動したい時が必ずあるやろ。
そういう時が狙い目かもな?」
「つまり、尾行したり、張り込みしたり?」
「うん、そうなるね。
学校内だと目立つから、尾行は交代でやったりするかも?」
亜厂が補足してくれる。
なるほど、いよいよ捜査らしくなってきた。
「それで、この後なんやけど、亜厂、とりあえずこの後、お腹痛くなってくれへん?」
此川が言うのに、亜厂が頷く。
「分かった!」
「え、授業中も張り込みするってことか?」
「うん。『リビルダー』はどこで豹変するか分からないから、授業中でも一人は動けるようにしておかないとだよ!」
そういうものらしい。
そして、俺は未だ『デザイア』が使えないので、この役割は担えない。
また、女性の方が言い訳しやすいと此川さんが教えてくれたのだが、それがどういう意味かは秘密なんだそうだ。
此川さんは、どうやら秘密主義なところがあるようだ。
「女の子は秘密がたくさんある方が魅力的やろ?」
ウインクしながら言われてしまえば、俺は頷くしかない。
結果、『転生者診断アプリ』は撮れそうなら撮るということになり、午後の授業が始まるのだった。
空席になったとなりの席を、覗く。
亜厂はどうにかして、殿を監視しているはずだ。
これで、殿が心変わりしただけで、『リビルダー』ではなかったとしたら、授業をサボっただけになる。
いいんだろうか?
組木さんなら、学校に融通を効かせるくらいはしてそうだ。
あまり深く考える必要はないかもしれない。
もし、そうなら合法的にサボれるのか……ちょっといいかも……。
俺は馬鹿なことを考えていた。
パンッ!
午後の気怠い授業中、校舎の外で甲高い音が響いた。
生徒たちのほとんどが窓の外へと視線を移した。
その時、俺の携帯にメッセージが届いた。
亜厂からだ。
───ドローン壊されちゃった! 殿田先生の仕業かは、確認取れず。でも、リビルダーが居るのは確実かも───
なるほど、亜厂はいつもの屋上かなんかに身を潜めて、ドローンで殿を監視していたらしい。
もしや、外事第六課の秘密兵器的なアイテムだろうか?
あの甲高い音からすると、違法品の小型ドローンかもしれない。
現代では、ドローンの最小単位は二十センチ以下にできない。
航空安全法、だったかな。
数年前にそう決められたのだ。
しかし、ドローンを使ってスパイ行為を働くとしたら、二十センチなんて目立つドローンは使えない。
つまりは、そういうことだろう。
敵は違法サイズのドローンを撃ち落とせる力の持ち主で、殿が授業をしていたクラスか、その近辺のクラスに潜伏している。
少しだけ絞れたかもしれない。
そうして、時は放課後を迎える。
ちなみに、やはり外事第六課仕様のスパイドローンは、破壊と同時に燃えて塵と化す、特別仕様らしい。
痕跡が残らないのは重要だ。
なにしろ、俺たちは法を定める側のお上の組織なのだから。
スパイドローンだとバレるので、今は此川さんが職員室の他の教師のところへ、分からない部分を聞きに行くという体で、殿を見張っている。
屋上にいる俺と亜厂。
スパイドローンが壊されたことから、スパイドローンが見える位置というのを考える。
殿の授業は2ーDで行われていた。
亜厂のスパイドローンは2ーDの中心から殿を映していたというから、2ーDの両隣、2ーC、2ーE、さらには上下のクラス、1ーD、3ーDの窓側の席の生徒、斜めのクラスはこの際、外して考えてもいいだろう。
さらに2ーDの上のクラス、1ーDもベランダがあって、スパイドローンはほぼ見えないので、これも外して考える。
そうなると、『再構築者』がいたのは、2ーD全体、2ーC窓側後列、2ーE窓側前列、3ーD窓側全列のどこかまで絞れる。
「どうせならスパイドローンにも『転生者診断アプリ』が入っていればいいのにな……」
俺が愚痴ると、亜厂が説明してくれる。
「できないんだって。
『転生者診断アプリ』はDDの『想波』を使って診断しているから、DDが触れている状態で撮った写真じゃないとダメだって言われてるの。
研究所で『想波』を何かに保存する方法というのも考えているらしいけど……」
『想波』は保存できない、だから、『転生者診断アプリ』が使えないということか。
それなら仕方がないか。
まだまともに『想波』が使えない俺が撮った写真は、大丈夫なんだろうか。
「ああ、そういえば、スパイドローンが壊された時の映像とか残ってないの?」
「あるよ。見てみる?」
亜厂と二人、ベンチに座って亜厂のホログラムディスプレイの画像を、肩を寄せ合って見る。
はたから見れば、カップルなんだよな。仕事だけど。
スパイドローンのカメラは殿を映している。
2ーDの前列の生徒は、殿の心変わりを知っているのか、隣同士で話していたり、寝ているやつもいる。
殿を中心に映しているため、後列の生徒は映っていないが、推して知るべしだろう。
つまり、クラス内が荒れているように見受けられる。
殿はそんな状態に無関心ではなく、時折、生徒に話し掛けて注意しているのだろう姿が映っている。
だが、注意された生徒はその時だけは良い返事をしているようだが、すぐにとなりの生徒と、また話したりしている。
「なんか……荒れてるな……」
「うん。ちゃんと勉強してる人もいるけど、あんまり授業を受ける環境には見えないかも?」
クラス崩壊、ちょっと前といった感じだろうか?
「ええと……『TS研究所』から警告が来たのが昨日の午前中で、今日の午後でこんなに荒れるもんか?」
「言われてみれば、おかしいよね。
二年生で先生に慣れてるのかもしれないけど、怒らせると怖いって有名な殿田先生の授業で、こんな態度って……」
二人で話していると、映像が突然、途切れた。
どうやら、スパイドローンに気づいた『リビルダー』がスパイドローンを魔法か何かで壊したのだろう。
「これ、壊れる直前の映像とかスローで見られたりする?」
「うん、コマ送りにするね」
亜厂が携帯を弄って、映像をコマ送りにする。
俺はそれを食い入るように見ていた。
最後の場面、直前に映像では雷が走ったような筋が見えた。
「ごめん、もう一回!」
頼んで、何度か見返してみる。
三人だ。
雷が走る直前、スパイドローンに視線を送っているように見える人物が三人いる。
殿と、こちらを向いてお喋りをしている女生徒と、ペンを持ってたまたまこちらに視線を向けたような男子生徒の三人。
「この三人、怪しくないか?」
「え、凄い、良く気づいたね!」
俺の指摘に亜厂が驚いていた。
「ドローンを壊すのに魔法なり超能力なりを放つなら、ドローンを見る必要があるかなって……」
「ああ、そうだよ、絶対!
あ、この女の先輩は分かるかも……たしかダンス部の遠藤先輩じゃないかな?」
「知り合いなのか?」
「マッキー、蒔田ちゃんがダンス部でリスペクトしてる先輩がいるって動画見せてもらったことあるから……」
「蒔田ってウチのクラスの?」
「うん。今なら話聞きに行けるかも?」
蒔田泉美、快活な雰囲気でクラス内のギャル枠の一人だ。
ダンス部だったらしい。
俺との接点はない。
「ええと……じゃあ、話、聞いて来てもらえるかな?」
そもそも、俺と亜厂の接点が秘密のものである以上、二人で話を聞きに行くという選択肢がない。
今でこそ亜厂は普通に話してくれているが、救命措置としてキスしたことを持ち出すと、盛大に挙動不審になってしまう。
まだ、俺と亜厂の接点はないとしておくのが無難だろう。
「あ、うん……そうだよね。松利ちゃんの方に問題が起きないとは限らないし、一人は待機しておかないとね……」
少し煮え切らない態度。蒔田と話しづらいとは思えないので、何かあるのだろうか?
「何かあったか?」
「ううん。何でもないよ、そう何でもないからっ!」
そそくさと亜厂は屋上を出ていった。
もしかしたら、DDとして、一番後輩の俺が場を仕切るようなマネは問題だっただろうか。
ただ、力のない俺は、知恵を絞るか、連絡役に徹するくらいしかない。
まあ、問題がありそうなら此川さんがズバッと言ってくれそうな気もする。
しばらくはこのまま行くしかないだろう。
待つことしばし、此川さんから連絡が入った。
───殿田先生、いきなり職員室から出ていった。見失いそう───
此川さんは他の教師に捕まっている。
俺は「フォローする」とだけ書いて、メッセージを送信。
走って、一階にある職員室に向かうのだった。