喰らうベリアル 83
一撃。
亜厂の放つ『木刀ボールペン』がゼタルの腹を打つ。
用務員の立花さんは、憑き物が落ちたからか、腹が割れ、全身傷だらけながらも、安らかな顔で倒れている。
なんとか病院に運んでやりたいが、ゼタルと亜厂の戦いの場ではどうすることもできない。
ゼタルが破れかぶれのように、亜厂へと向かっていく。
亜厂はそれをいなし、また一撃、また一撃とゼタルの肉体を追い詰めていく。
しかし、どれだけボコボコになろうと、ゼタルは降伏しない。
「本当に死ぬわよ!」
「ああ、やれるんなら、やってみなよ!
殺せるものならね!
ははっ、今は倫理観とやらで殺人ひとつに随分と負荷が掛かるんだろ!」
「うっ……くっ……」
ゼタルはボロボロの身体を開いた。
そして、亜厂は───剣を落とした。
「は……ははっ、はははははっ……そんなに?
まさか、羊がここまで脆弱になっているとは、予想外だ!
げほっ……げほっ……本来ならば他者に石を投げて喜ぶ性質のくせに、死者を作るのは怖いのか!」
「あなたがその身体に未練がないのは分かりました。だから、脅しても意味がないということも……」
「ああ、そうさ。
僕は特別なんだ。この肉体がダメなら別の肉体に乗り換えるだけだ。
僕の準備がまだなのをいいことに、随分といじめてくれたじゃないか……いっそのこと、別の肉体に入った方がいいまであるね」
「だから、別の方法を使います。
あなたを拘束します!」
そう言った亜厂の目は未だ諦めには染まっていなかった。
ゼタルの乗っ取った肉体を、是が非でも取り返すのだと燃えていた。
正直、ここまでボロボロになったゼタルには、肉体的に抵抗するだけの力はほとんど無いだろう。
「満月くん、おとなの人から拘束具を貰って来てくれませんか?」
「まだ奇跡は使えるはずだ、油断するなよ」
「はい!」
俺は走った。
校門に待機する組木さんに事情を説明する。
「ついに来てしまったのね……肉体を捨ててもいいという厄介なタイプが……」
組木さんは腕組みして、口を真一文字に結ぶ。
今までが幸運だったのだろう。
希少なその『再構築者』と相性が良い肉体を大事にしないやつだ。
説得も脅しも効かない。
つまり、封印ができないのだ。
「それでも、亜厂は説得の道を選ぶのね……分かったわ。一小隊、拘束具装備で日生くんについて行って」
機動隊員から五名が大きな荷物を持って、進み出て来る。
特殊な拘束具で、全身、視線から口の動きまでを塞ぐ、鋼鉄の動かない鎧のような拘束具だ。
下手をすると、魂だけの状態で封印されるよりキツい気がする。
そうして、俺は機動隊員たちと共に急いで雑木林まで戻った。
「亜厂っ!」
最初、我が目を疑った。
跪く亜厂、その前に立ち、剣を操るゼタル。
おそらく奇跡によって動くその剣は亜厂の胸を背後から貫いていた。
「亜厂ーっ!」
俺は一度、収めていたカムナブレスを起動させゼタルへと突進した。
タックルすると、ゼタルは簡単に吹き飛ぶ。
元々、肉体はボロボロなのだ。
小さな呻き声と共に地面を這いつくばる。
瞬間的にゼタルを排除して、俺は亜厂を抱き起こす。
「亜厂っ! しっかりしろ!」
「満月……くん……ごめん……」
背中から胸へ、ゼタルの剣が飛び出している。
俺は焦りのあまり叫ぶ。
「ベリアル! 助けてくれ!」
───ああ、いいとも。ただし、ゼタルの魂は貰うぞ───
ゼタルの魂。ベリアルはアマイモンの魔力を喰らった時に、その魂の欠片をも喰って、満足そうにしていた。
もしかして同じようにできるのだろうか。
変に警戒して、ベリアルに身体を譲らないようにしていたが、間違いだったろうか。
「分かった。ゼタルの魂はくれてやる。
その代わり、亜厂を助けてくれ!」
「お、おい、日生想士、大丈夫なのか?」
機動隊員の一人が声を掛けてくる。
基本的に機動隊員たちは俺の事情を知っているが、細かい部分までは知らないのだろう。
危惧するのは当然と言える。
俺は小さく頷いた。
俺の操縦をベリアルと交代した途端、それまで感じていた亜厂の『想波』が俺の中から消えた。
俺は亜厂に向けて、指先で紋様を描く。
魔法の力で亜厂の胸を貫いていた剣が解けていく。
「やれやれ……魔力を補充する度にこうも使わされては、目的のためとは言え、割りにあわんな」
ゼタルの剣が消えた途端、亜厂の胸に血の染みが広がっていく。
そこに俺は、更なる紋様を描き、傷を塞いでいく。
傷が塞がったことを確認すると、俺は亜厂をゆっくりと地面に置いた。
「おい、我が魔法は傷を塞ぐだけだ。
流れ出た血は戻らぬ。早く医者に診せよ」
俺は機動隊員の一人に言った。
機動隊員の一人は、おそらく組木さんと連絡を取り始める。
「ああ、それと、真名森といったか、アレも死の間際だろうよ。
助けてやれ」
真名森先生?
───おい、どういうことだ?───
「見ろ、あそこに広がる血は真名森のものだろう?
戻っておらぬ。
アバクタの奇跡とはそういうものだからな」
真名森先生は自分の血を操る。
今までも同じような場面には遭遇したが、言われてみれば、たしかに『目玉の邪妖精』が潰された時、別の『目玉の邪妖精』が来て、その血を回収していたはずだ。
だが、もう一体居るはずの『目玉の邪妖精』は血の回収に来ていない。
「さて、ではゼタルの魂をいただくとしよう」
俺はゼタルのところへ悠然と歩き出す。
「きさま……ベリアルだと……」
ゼタルが憎々しげに呻いた。
「久しいな、ゼタル。
我が楽園を焼いた時以来か?
分からなかっただろう。今は土くれの魂と共闘しているからな。くくっ……」
「くっ……反逆の徒が何を偉そうに……」
俺がベリアルだと分かった途端、ゼタルは気力を振り絞るように立ち上がろうとする。
「くくく……人を愛せと説いたは神ではないか。
我が成したは、言葉通りに愛しただけ。
何も間違えてはおらぬ」
「色欲に溺れ……食欲に溺れ……怠惰に生きる羊の憐れに目を瞑ってか……この悪魔め……」
「与える無償の愛こそが至高であろう。
神だけが、その愛の恩恵を受けるだけでは、筋が通らぬ。
故に代行者たる我らが、神に代わって人を愛した。
人が求むるモノを全て与えて、何が悪い」
「どこまでも詭弁を……貴様が創りし醜悪なソドムとゴモラ……二度と創らせるものか……【天の火……】」
ゼタルは何かの奇跡を呼ぼうとしたが、その瞬間、俺の手刀がゼタルの胸を貫いた。
俺は自分の手に見知らぬ男子生徒の心臓を掴み、ソレを強く握り潰した感触を知ったのだった。
「カハッ……悪魔め……」
「過ちは内から正せないなら外から壊すしかない。
それは神自身がお認めになったことだ。
体現者よ……お前のしたことだ、だろ?」
肉体から離れる魂が視える。
俺は肉体を投げ捨てると、その手にゼタルの魂を掴む。
まるでゼタルの魂は脅えて、イヤイヤと逃げ出そうとするが、俺はその魂を喰らったのだった。




