操る日生満月 81
俺が距離を詰めに走り出すと、両手を広げ審判を待つかのようにしていたアバクタが片手で握り拳を作った。
瞬間、俺の心臓が締め付けられて、動きが止まる。
苦しい……。
「【選定】。
ああ、若々しく、瑞々しい、成熟しきらない果実よ」
心臓の動きがおかしい。
これがアバクタの奇跡の一端なのだろう。
苦しさを我慢すれば、動けないことはないが、今のままではヨロヨロとしか動けない。
「さて、神の御印を刻んでやろう。
【罪の烙印】」
アバクタが俺に向けて指先で十字を切った。
同時に俺の胸に十字の傷ができる。
これとて深い傷ではない。
だが、用務員室で死んでいた女生徒を思い出す。
彼女はこの傷から全身の血を噴き出して死んでいた。
まずい……。
「満月くん!」
亜厂が前に出て来ようとするのを、手を伸ばして止める。
「来るな!
動きを……鈍らせ、傷を、つけ……そこから、血を抜く……そういう奇跡か……」
「おや、見て来たようなことを言う。
だが、我が絞るのは知恵の実を受け継ぐ罪さ。
不遜にも神の果実を盗んだ羊たちから、原罪を取り出してやるのさ……」
アバクタの両手が前に突き出され、両の手の間隔が狭められていく。
何か不可思議な力で俺の身体に圧力が掛かる。
このまま、止まっていたら、おそらくはあの女生徒のように全身の骨が砕けて、血が噴き出す。
心臓の動きは未だにおかしい。
意識もぼやけて来る。
俺は無意識的に心臓を動かそうとした。
ドクンッ!
身体に血液が回り、脳が働き始める。
そうだ。俺の身体は操り人形なのだ。
亜厂の『生太刀・生弓矢』は、俺を亜厂のモノにして、そのコントロールを俺が受け持っている状態だ。
普段は心臓を意識的に動かすなんて無理だが、今はできる。
つまり、意識さえ無事なら、俺はどこまででも動けるということなのだ。
心臓は身体のエンジン。それを意識的に高速で動かす。
苦しいと思うのは心と体が繋がっているからで、錯覚に過ぎない。
自分の身体を操れ!
俺はおもいきり空気を吸う。
身体に酸素を取り込む。
意識を保て。
身体に依存するな。
謎の圧力を無視して、俺は一歩を踏み出した。
「動けるはずがない……」
アバクタが驚いたように呟く。
「人間ならな……」
人形なら動ける。俺を動かしているのは亜厂の『想波』だ。
理論上は、痛みも苦しみも無視して、どこまでも強く、速く動ける。
俺の意識、いや魂が命ずるままに、俺はどんな風にでも動けるはずなのだ。
アバクタの圧力は、一定のフィールド内に掛かっているようで、そのフィールド〈直径三メートル程度の球体状の空間のようだ〉を抜ければ、効果が解けた。
肉体的感覚では、抜けたところで全身が痺れているように感じたが、それは俺の魂を縛りつける鎖にはならなかった。
加速してカムナブレスから剣を伸ばしていく。
立花さんには申し訳ないが、限界まで追い込ませてもらう。
「うおおおおぉっ!」
俺は我知らず雄叫びを上げていた。
アバクタの脇をすり抜けざまに、腹を切り裂く。
「ぐえっ……」
俺の背後でアバクタがくずおれるのが分かった。
だが、その時、正面の雑木林から手が伸びてきた。
「【浄化の炎】!」
ゼタルだ。やはり、合流して隠れていたようだ。
火炎放射を正面から浴びて、俺は転がるようにして逃げた。
「アバクタ。話が違うじゃないか。
テラの戦士くらい、自分だけで充分だと言ってたのに……」
「ああっ! 腹が割れた!
ゼタル、腹が割れたんだよ!」
「はいはい。こりゃハルポナの力も借りるべきか……。
前はもっと簡単だったのに、羊もなかなかやるようになったもんだ」
「やっぱり、居た!
もう逃がさないから!」
亜厂が『木刀ボールペン《トツカノツルギ》』をゼタルへと向けた。
「ま、転生したばかりでも、テラの戦士と二対二なら、なんとかなるかな?」
雑木林から姿を現したゼタルの手には既に剣が握られている。
「ゼタル、腹が割れたから無理だわ」
「バカを言うな。その程度、別に動けない訳じゃないだろ」
「あんたと違って、こっちは貴重なんだよ!
まったく……【火の大鎌】」
文句を言いながらもアバクタの手には死神の鎌のような武器が現れる。
どうやら、もっと痛めつけなければ分からないらしい。
俺と亜厂は、それぞれに武器を構えるのだった。




