アバクタ 80
俺たちは用務員室を後にして、グラウンドへと回った。
用務員室の窓から血の足跡が続いている。
それを追っていく。
方向的にはグラウンドの奥、裏山から少し離れた雑木林に向かっている。サッカーグラウンドを越えた先だ。
俺の背後から、真名森先生の操る『目玉の邪妖精』が俺と亜厂を追い越していく。
追い越してすぐ、くるくると回って自分の存在を示してから斥候として先導してくれる辺り、真名森先生っぽいと思った。
此川さんと御倉は『専門学習棟』の探索を終え、『総合体育棟』で時村先輩と三体目の『再構築者』を探している。
「ねえ、エルヘイブンのリビルダーが示し合わせて、同時に転生してくるなんて、あるのかな?」
亜厂が、ふとした疑問を口にする。
「大祭に合わせて、エルパンデモンのリビルダーが次々とやってくるぐらいだ。
あるんじゃないか?」
「そっか。そうだよね……」
「なんでまた?
そもそもゼタルを追おうとした時に、止めてくれたのは亜厂だろ」
「うん、でもどっちかと言えば、勘なんだけど……」
「いや、準備なしで追うのは無謀過ぎた。
勘だとしても、止めてくれて助かったよ」
今なら『生太刀・生弓矢』の効果で、俺の防御力と再生力、さらには無限の体力も備わっているし、亜厂は俺の『想波』を混ぜて使うことで、爆発的な威力の向上が見込める。
この地域のDDは五人しかいないのだ。
死なない、死ねない準備が必要だ。
グラウンドの中央に、まだ少しだけ足跡が残っている。
それを追っていく。
雑木林が近くなったところで、後ろに気配を感じて振り向く。
真名森先生の『目玉の邪妖精』がまた飛んで来た。
「みゃー子ちゃんのイビルアイ?」
「もしかして、当たりかな?
この奥に潜伏してる?」
『目玉の邪妖精』は俺の周囲を回るように飛ぶ。
どうやら正解という意味に見える。
「よし、一気に詰めよう!」
ゼタルは火炎放射の奇跡を使う。
距離を空けるのは厄介だ。
俺が亜厂と頷き合うと、今度は『目玉の邪妖精』が、俺たちの進路を阻むように左右に揺れ始めた。
「どういうことだ?」
「なにかまずいのかな?」
進むな、と言っているのは分かるが、『目玉の邪妖精』との意思疎通は難しい。
今度、もう少し簡単な意思疎通の方法を考えた方がいいかもしれない。
真名森先生は自身の血を媒介にして『欲望』を発現させるから、『欲望』発動中は貧血で倒れてしまう。
意識は血に宿っているようなので、こちらのことは見聞きしているようだが、例えば『目玉の邪妖精』に発話機能を持たせるなどは難しいようだ。
「そういえば、一体目のイビルアイは?」
そう、斥候として前に出てくれた『目玉の邪妖精』は戻って来ない。
つまり、見つかって潰されたかなにかしたと考えるべきだ。
そう思った瞬間。
「また、同じようなのがいるね……」
用務員の立花さんが手を前に突き出したまま、雑木林から姿を現した。
なんだか喉が詰まったような、老婆のような声を出す。
「この神のために葡萄を絞る者、アバクタの前に神のワインの姿そのもので現れるとは、愚かで愛おしいじゃないか……」
立花さんの手が、何もない空中を掴むと、まるで抵抗があるかのように、ギリギリと力を入れていく。
途端、『目玉の邪妖精』は鷲掴みにされたかのように動きを止め、立花さんの指の動きに合わせて、凹みが浮かぶ。
『目玉の邪妖精』の蝙蝠羽が苦しそうに、パタ、パタと動いたかと思うと、バシャリ、潰れて血溜まりを作った。
「さて、次はどっちにしようかね?」
彼我の距離は十五メートルほどだろうか。
どういう奇跡か分からないがアバクタを名乗る立花さんの攻撃範囲にいることは分かる。
俺は前に出てカムナリングの盾を展開しながら聞く。
「お前はゼタルの仲間なのか!」
「仲間かどうかは知らないが、目的は同じさ、テラの戦士」
やはり、俺たちの存在はバレているようだ。
「ゼタルはどこです!」
亜厂が胸ポケットからボールペンを取り出す。ガワが木製の『木刀ボールペン』になるボールペンだ。
「逃げたよ。あの子は弱虫なのさ」
アバクタが「ひひひ……」と笑う。
だが、プライドが高いエルヘイブンのリビルダーだ。ただ、逃げる訳がない。俺は確信していた。
「絶対、居る……」
「うん……」
亜厂も分かっているようだった。
「その身体を壊されたくなければ、素直に封印を受け入れろ!
でなければ、それだけ相性がいい身体は二度と手に入らないぞ」
俺は勧告した。
「なるほど、今のテラの戦士も少しは勉強したようだ。
だが、例えこの身が朽ち果てようと、我ら千年の計はひとえに弱き羊を守らんがため……その願いに屈する訳にはいかぬ。
弱き羊よ。狼だと言うならば来るが良い。
我ら炎の魂は羊のために、とうに捨てる覚悟よ」
アバクタは両手を広げる。
「考えを改めるまで弱らせるしかないね……」
亜厂が静かにボールペンにキスをした。
「ああ、ゼタルはあの雑木林の中に隠れているはず。気を付けて行こう」
「うん!」
俺はゼタルを誘き出すつもりで、一気に間合いを詰めに掛かるのだった。




