騙すベリアル 76
ベリアルに頼んで、感覚のスイッチを入れてもらう。
嗅覚、聴覚、視覚が切り替わる。
使っていくと慣れるもので、リンリンとした鈴の音はエネルギースポットの波動だったり、人間からする土っぽい匂いは人の魂の香りだったり、分かることが増えると、こちらが普通のように感じてくる。
全滅した一班。
見つかるかどうか分からない『再構築者』のために学校に戻らなければならなかった俺。
なんだか一人取り残されたようで、俺は言い様のない焦りを感じる。
ダメだ。何の為に俺は学校に戻ったんだ。
『再構築者』の転生情報は大抵の場合、結構なタイムラグがある。
誰かに取り憑いた直後ではないので、まともな『再構築者』は姿を隠してしまった後というのが普通だ。
学校というのは不思議なもので、普段、ある特定の人物しか目にしないデッドスペースがいくつも存在する。
いや、特定の人物が目にするデッドスペースならまだいい。
普段は誰も見もしないデッドスペースもたくさんあるのだ。
災害時用の非常食などが入れられた倉庫、使われなくなった空き教室、階段下の用途不明な空間、ゴミ倉庫、などなど。
俺は闇雲にそういったデッドスペースを見て回る。
これで見つからなかったら、裏山のどこか、旧校舎なども視野に入れなければならない。
スイッチを入れた感覚にも留意する。
普段と違う匂い、すれ違う人の魂、聞き慣れない音はないかと、探す。
肉の焦げた匂い。
『部室棟』に備えつけられたシャワー室、そのボイラーが置いてあるボイラー室から、嗅ぎなれない匂いが漂う。
俺は、ある種予感めいたものを感じて、ボイラー室へと向かう。
普段は施錠されていて、入れないはずのボイラー室だが、何故か扉が少しだけ開いていた。
一瞬のためらいを振り払うように、俺は扉を開けた。
巨大なガス式のボイラーが置いてある。
扉から入った光がそれを照らしている。
中央のボイラーが光を照り返すものの、全体は暗い。
電灯などもないようだ。
今、誰かがシャワーを使っているのだろうか、ボイラーの中心で青い炎が燃えている。
少し古いボイラーなのだろう、一部から蒸気が漏れているのか、凄い熱気だ。
だが、俺の鼻が感じた匂いは、このボイラーの炎とは違う。別種のナニカだ。
目を凝らす。
ゆっくりと輪郭が見えてくる。
壁に凭れて座る人だ。
「誰だ……」
俺は呟くように聞いた。
寝ているのか、返事がない。
腕のカムナリングを確かめ、いつでも盾を出せるようにして、顔を近づける。
匂い。焦げたような匂いもするが、もうひとつ、生臭いような匂いがする。
そして、暗闇の中、俺が見たのは。
「羽田先輩……」
時村先輩と同じく『遠隔操作体』である羽田先輩。
彼女が腹部から血を流して倒れていたのだった。
『遠隔操作体』である羽田先輩を誰かが襲った。
もしくは、ここに隠れていた『再構築者』を羽田先輩が襲い、返り討ちにあった可能性もある。
浅いながらも息はある。
「くそ、ベリアル、再生を!」
そう言ってベリアルに体を譲る。
───アマイモンのドローンを何故、助ける必要がある?───
ベリアルがごねる。
「……これをやったリビルダーが誰かを聞かなくちゃならない。
DDとしての仕事だ!」
───それを言うなら、エルパンデモンのリビルダーを倒すのは最優先という契約があるはずだ───
「助けて、それから魔力を吸って倒せるだろ!
お互いの契約を満たせるだろ!」
───ふん、言うじゃないか。
よかろう、今回は折れてやろう───
俺の意識はベリアルと交代する。
俺が羽田先輩の傷に描いた魔法陣を重ねる。
「アマイモン。姑息な手段に頼らず、早くこっちに来たらどうだ?
ベルゼブブに負けるぞ?」
「ぐっ……この薄っぺらで退廃的な匂い……相変わらず無駄な言葉を垂れ流すか、ベリアル……」
羽田先輩の口から、雑音混じりのような、低音の声が漏れる。
映画でよくある悪魔憑きの声といえばコレだろうという声だ。
「それで、誰にやられた?」
「ふん、答える必要が?」
「たしかに無いな……どうせ、別の身体で追っているのだろう?
それを探した方が早そうだ」
「……邪魔をする気か……うぷっ……」
羽田先輩が盛大に血を吐いた。
完治には遠いのだろう。
「おやおや、大祭参加者同士、邪魔立て厳禁が不文律だろう?
もっとも協力するなという不文律はないがな」
俺はニヤリと笑って、さらに再生の魔法陣を撃ち込む。
「はぁ、はぁ……分かっているじゃないか……」
「つまり、お前を襲ったのはエルパンデモンではないな?」
「ふっ……エルヘイブンのゼタルと名乗った……せいぜい気をつけることだ……」
「ふん、大祭を聞きつけて、混乱を招きに来たか、痴れ者め……」
「ああ、よし……まだこの身体は使えるな。
どうだ、このまま協力しないか?
上手く行けば、お前を宰相にしてやろう。悪くなかろう?」
羽田先輩が俺を誘う。
だが、俺はそんな羽田先輩の身体に優しく触れて言う。
「それは恐れ多いことだな……」
「なに、礼には及ばぬ……サタンになってしまえば、この魂を削った意味もあるというもの。
もう少しで、我が分体はもっと増える。
土くれの魂など、いくらでも取れるぞ……ふははははははっ!」
「違うぞ」
俺は冷たく言い放った。
羽田先輩の顔が驚愕に揺れる。
「恐れ多いのは貴様だ、アマイモン。
大祭に参加せぬ我に服従を強いるなど、つけ上がるのも大概にせよ」
「あ゛……なん……やめ……我が魂まで……」
俺は魔力を吸い上げる。
アマイモンの魂の欠片までを吸い込む。
「誰かに喰われるのは初めてか?
恐れるがいい。削った魂の分だけ、我への畏怖を刻み込むのだ!」
傷を癒した羽田先輩が、今度はみるみる内にミイラ化していく。
───殺すなよ!───
「くくく……安心しろ。
土くれの魂など不要だ。
アマイモンの魂を欠片なりと喰えるのだからな!」
半生ミイラになった羽田先輩に、俺が改めて再生の魔法陣を撃ち込む。
痩せ細り、それでも息がある段階で俺の身体が俺に返って来る。
「ちゃんと再生しろよ!」
───アマイモンの魂を引き剥がしたからな。
これ以上は、土くれの魂が保たん。
後は救急車なり呼んでおけ───
この後に及んで、ベリアルが嘘を言う利点があるとも思えず、俺は『TS研究所』経由で救急車を呼ぶ。
それから、DDのグループメッセージに、状況説明し、時村先輩か斎藤先輩を見つけたら、場所を教えて欲しいと連絡を入れる。
もちろん、状況説明は辻褄合わせをした後のものだが、必要な情報だけは無理やり聞き出したことにして、共有しておく。
間を置かずに亜厂から返信があった。
亜厂︰斎藤先輩はさっき二年生の教室で誰かを探していたの見たよ。
日生︰分かった。行ってみる。
亜厂︰ちょっと戻って確認して、もう一回連絡するね!
日生︰何か特殊な方法で取り憑かれているみたいだから、充分に注意してくれ。
御倉︰ほのちゃんがそっちに行くなら、松ちゃんと時村先輩が居るか、家庭科室見てくるね!
亜厂︰うん、よろしくね!
俺は『本棟』に向けて走り出したのだった。




