大人の階段を撮る御倉琴子 70
飯岡里穂は真名森先生によって『TS研究所』へと運ばれた。
俺は真名森先生の口添えもあり、明日、『TS研究所』に行って、事情聴取を受けることになった。
今日はしっかり休むようにと言い聞かされて、俺は自分の鞄を持って校舎から出た。
「お、来た来た。
日生さんを待ってたんだよ!」
御倉だった。
「俺を?」
「うん。誰にも言えない悩みでも、私だけは聞いてあげられる。
ほのちゃんや松ちゃんには悪いけど、私だけの特権だからね!」
たしかに、亜厂や此川さん、真名森先生には言えないベリアルにまつわる話も、御倉琴子だけには言える。
『エルパンデモンの大祭』を前にした戦力強化としての意味合いで転校してきた御倉だが、先入観のない状態で俺の現状を知っている同級生なため、話しやすい。
「くっ……あんまり俺に優しくしないでくれ……」
真名森先生に泣かされた直後で、涙腺が脆くなっている。
御倉の優しさに、また泣きそうになる。
「ん〜、そのまま私を好きになってもいいけどね……」
御倉は独り言のように言う。
「さ、行こっか!」
御倉は俺の手を取ると、多少、強引に歩き出した。
俺はそれに抗えないまま、手を引かれる。
二人で学校の帰り道を歩く。
無言だった。
自分の愚かさを言ってしまっていいのか迷う。
御倉も無理に聞こうとはしなかった。でも、その手は決して離さなかった。
俺の精神状態がこんなじゃなければ、嬉し恥ずかし手繋ぎ下校のはずだった。
そうして駅前まで来てしまう。
「あ! ねえねえ、ちょっとデパートに買い物行きたい!
いいよねっ!」
御倉に連れられる形で、強引にデパートへ。
御倉はこちらに引越して来て、一人暮らし、色々と揃えたいものがあるらしい。
女の子と洋服を見に行く、雑貨屋に入る、どちらも俺とは無縁のもので、何も聞かれないのを良いことに、俺は流された。
「あ、このお箸、かわいい!
ね、良いと思わない?」
水色に白い雲、柄の先端に黄色い太陽が描かれたお箸だ。
よく空を写真に収める御倉にぴったりな気がした。
「あ、ああ……御倉って、空が好き?」
「うん、空ってさ、青空もそうだけど、色んな表情があるんだよ。
冷たい雨もあれば温かい雨もあって、鮮烈な朝も燃えるような夕焼けも……悲しかったり、嬉しかったり、不思議だったり……まあ、もしかしたら見る人の気持ちひとつだったりするのかもだけど……想像すると楽しいよね!
だから、私は自分の気持ちを空に写して、それを写真にするの。
その時感じた私だけの気持ちを切り取りたくて!」
「なんか……凄いんだな……」
俺には芸術的センスがあると思えないので、御倉の話は素直に凄いと思った。
たぶん、御倉は他の写真にも同じように、自分の気持ちを込めるのだろう。
それはなんだか、御倉の分身みたいなものなのだろう。
「あ、こっちの夜空のお箸もかわいい!
ほら、お月様も笑ってるみたい!」
「そ、そうかな?」
残念ながら、やはり俺には芸術的センスはないように感じる。
「言ったでしょ。
自分の気持ちを載せて見るの。
ほら、どんな風に見える?」
先端が群青色で柄に向かって黒くなっていく中に、星が煌めき、最後に月が優しく光るデザインのお箸だ。
「……なんか、優しそう?」
ふと、亜厂の優しい微笑みに似ているような気がした。
普段は明るい太陽のような笑顔を見せる彼女だが、俺を瀕死から救い出した後のホッとしたような微笑みには、優しく降り注ぐ月光のような、闇夜を照らす温かさがある。
「うんうん、良いね!
そういう感性を大事にしないとね!
せっかくだし、両方買っちゃお!」
言いながら御倉は青空のお箸と月光のお箸を買った。
それから、アレコレと細かい物を買って、少しお茶をしようと『ファガナイン珈琲ストア』に寄る。
御倉は新作『ベリーベリーチェリーフラペチーノ』旬の果物、ブルーベリーとジューンベリー、ポイセンベリー、アメリカンチェリーなんかをミルクフラッペと合わせて……というやつだ。
そもそもジューンベリーとかポイセンベリーとか知らないが、甘酸っぱい飲み物なんだろうという認識で間違っていないと思う。
俺は『ウィンナーチェリーコーヒー』でウィンナーコーヒーにチェリーが乗ったやつを頼んだ。
「いやあ、久しぶりに買ったなあ……」
御倉は今日の戦利品の袋の束を見て言った。
「気に入った物が見つかったなら良かったよ」
「こっちの方が前に住んでたとこより、駅前が充実してるから、いつか見て回りたいと思ってたの!
引越してから、忙しくて、なかなか回れなかったから良かったなって……」
御倉は大祭を見越しての補充要員だ。
休みはあるが、慣れない環境で忙しかったのだろう。
「それもそうか……でも、御倉が来てくれて、助かってるよ」
「まあ、そうだよねえ」
御倉がちょっと自慢げに、エヘヘと笑う。
「あ、そうだ!
これ、買い物に付き合ってくれたお礼!」
そう言って御倉は、雑貨屋で見た月光のお箸を差し出してきた。
「え、いや、いいの?」
「うん。日生さんに今、必要なのは優しさかな? なんて!」
「うっ……」
図星だと思う。俺は言葉に詰まる。
「それで、なんで謹慎処分になっちゃったの?
日生さん、今まで上手くやってたと思うけど?」
「実は……」
御倉は俺との秘密の共有者だ。
言ってしまってもいいと思えた。
俺は、組木さんに言われた責任感の話をした。
それを聞いた御倉は『ベリーベリーチェリーフラペチーノ』からスプーンでブルーベリーを拾い、それを俺に向けて突き出した。
「はい、あーん……」
「え……」
「甘くて美味しいよ!」
躊躇なく前に出される、ミルクに濡れたブルーベリー。
いちおう、三人の中で揺れ動く、生温い関係の俺は、これを食べるのを許されるような、許されないような……。
「もう、食べて……。
ほのちゃんと松ちゃんより遅れを取ってるんだから、これくらいしないと!」
「お、おう……」
少し強引に口元に来たブルーベリーを俺は受け入れた。
亜厂や此川さんと差があると言われれば、返す言葉もない。
御倉も俺にとっては充分に魅力的で、そんな御倉が俺に好きだと言ってくれている。
『欲望』の発動をキスの回数だとすれば、たしかに御倉が一番少ない。
一度、生温い関係を受け入れたのは俺だ。
これも責任なのかもしれない。
いや、責任という言葉を言い訳にしているに過ぎないか。
たかが間接キス、と考えるには、俺は初心過ぎるのかもしれない。
やはり、ドキドキするものはする。
くっ……俺にイケメンチャラ男スキルがあれば、こんなことどうってこともないだろうに、そんなスキルと無縁な俺は、アレコレと考えざるを得ない。
「本当は、間接じゃない方が良かった?」
「……!?」
そのひと言で、ブルーベリーが喉に転がっていって、俺は噎せた。
「ふふふっ、組木さんに言われて、真面目に責任について考えてるんだよね!
でもさ、全部、真面目に受け止めるのって、辛くない?」
「げほっ、げほっ……え、なんて?」
「日生さんは真面目だなって!」
「……え、そ、そうかな?」
生温い関係を受け入れてしまうのは、不真面目なのではないだろうか?
「ちょっと強引なのに弱いけどね」
「うっ……自覚はしてる、つもりだ……」
「責任ってさ。自分が納得できるかどうかじゃない?」
自分が納得できるかどうか。
その言葉は俺の中で深く響いた。
「日生さんは、自分のやったことの結果って言ってたけど、それって、行き着くところは、自分が納得できるかどうかだよね。
無責任に生きてる人なんていっぱいいるし、そもそも責任感が無い人だっている。
生きていれば流されちゃうことだって、いっぱいあるよ。
その結果に対して、どう動くかが責任でしょ」
「……そう、そうだよな。
今日の飯岡先輩の件だって、俺が不用意にベリアルと契約したせいで、一歩間違えたら、殺してたかもしれない。
もし、そのせいで飯岡先輩が死んでしまっていたら、俺は俺を許せなくなっていたかもしれない……」
「ううん。それでも日生さんは、自分を許さなきゃいけなくなってたんだよ」
「は? それってどういう意味だ?」
「この世界を護るため。
封印は絶対じゃない。
封印はリビルダーが折れた時しか使えない。
そうでなければ、殺すしかない時もある。
その時、自分を許してあげられないと、ひどいことになる」
そう言った御倉の表情は、ひどく固くなっていた。
「前の支部にいた時、先輩が追い詰めたリビルダーは、相性の良い身体を捨ててもいいと考えるやつだったの。
先輩は、とても優しい人で、でも、DDとしての責任感が強い人だった。
そんな先輩が追い詰めた肉体の持ち主は、先輩の妹さんだった……」
ひどい話だった。
俺に兄弟、姉妹はいないが、例えば親が『再構築者』に取り憑かれたとしたらと考えると、ゾッとする。
「そのリビルダーは遥か昔から、何度もこっちに来ていて、相性の良い身体がたくさんあったの。
だから、妹さんに取り憑いたのは偶然だったけど、その肉体に固執しなかった。
先輩はそれでもDDとしての責任感から、妹さんを攻撃した。
先輩だって悩んだ。でも、先輩は妹さんより、この世界を選んだ……。
その結果、先輩は自分を許せなくて、自殺した。
だから、私たちは、自分を許さなきゃいけない。
大事なモノに優先順位をつけなきゃいけない。
そうしないと、壊れちゃうから……」
その先輩は、自分の選択の結果に納得できなかったのだろう。
こちらの世界で好き勝手する『再構築者』は、放っておくとどれだけの被害を出すか分からない。
神話・伝説を元にすれば、世界を滅ぼした神なんて、そこらじゅうに溢れている。
俺たちは国防のための公務員ということになっているが、その実、ベリアルが言うように『テラの戦士』なのだ。
この世界の守り手。地球の戦士。
組木さんの言葉が思い出される。
「何故、戦うの?」
意味を理解していなかった。
強制で、公務員として、国防のために……。
それは、大義名分に過ぎず、結局のところ、この世界そのものを守る力を持っている人間として、『テラの戦士』だから、自分の守りたい無力な人々のために戦うのだ。
そこを知らなければ、いや、そこを求めなければ、俺はただ単に無責任な暴れん坊に過ぎない。
そうか。俺は『戦士』にすらなれていなかった。
ただの『暴れん坊』だ。
迷惑な味方。
役に立つかどうか以前の問題だった。
「……なんとなく、分かった気がする。
俺が謹慎処分になった理由。
友達は少ないし、親との関係も希薄。
手段だけあって、目的がないやつは、たしかに迷惑な味方だよな……」
「でも、かわいい彼女候補は三人もいるよ」
「う……そう来るか……うん、たしかにそうだよな。
優しい先生に鍛えてくれる大人たち、厳しいけどちゃんとした上司もいる……」
俺にも守りたいと思える人はいる。
親だって、友達だっている。
「あ、今だ!
ちょっと、そのまま!」
御倉がいつものカメラを出して、俺を写真に写した。
「うーん……『大人の階段』とか良くない」
「それ、バカにしてる?」
「ううん。惚れ直してる」
「お……おう……」
御倉の直接攻撃は俺の脳を揺さぶる威力だった。




