悪魔の取り引き 61
その日の夜。
机の上に時村先輩のノートを広げ眺めていた俺は、どうしても気になるので、ベリアルに聞いてみることにした。
「どうにも違和感があるんだよ……」
───何にだ?───
「雨糸様は、時村先輩によると『正しく揃った形』が好きなんだろ?
だとしたら八人必要だよな?」
───七、という数字はエルヘイブンに繋がりやすい───
「ただその為にエルヘイブンのリビルダーが人間と同列の位置に入るってのがどうもな……前に会ったエルヘイブンのリビルダーは人間と同列を許すようなタイプじゃなかったからなのかな……」
───その言は正しい。奴らは土くれの魂と同列になることを良しとしない。
序列を重んじるからな。
待て……たしかに妙だな……───
「エルパンデモンのやつから見ても、そう感じる?」
───ああ。奴らの序列に対する執着はある種、本能のようなものだ。
種を植えるためとはいえ、劣等種に混じるのは、本能が許さないだろう……───
「それと、中心に願いを叶えたいやつが立つのも、違和感がある……」
───そこに供物が入るのならば、違和感はない。
願う者が自ら供物になることは往々にしてある。
自らと引き換えに願いを捧げることは、奴らの好むところだ───
「供物? じゃあ、それって死んでから願いが叶うってことか?
現世利益は?」
───現世利益を餌に死後の魂を取るのは、我らエルパンデモンの常套手段だな。
例の『転生者診断アプリ』とやらで見たはずだ。魂の融合こそないが、歪められ、リビルダー向きに変質している。
今日、見た三つの魂は、すでにリビルダーの手が入っている。
ドローン化していると言えば分かるか?───
「……は?
じゃあ、時村先輩も羽田先輩も斎藤先輩も、全員既にドローンになってるってことか?」
───それを確かめるために『転生者診断アプリ』を使ったのではないのか?───
この時の俺は、たぶん目が点になっていたと思う。
「いや……たしかに数値は高かったけど……リビルダーは八十パーセント以上になるはずだ!
それとも、ドローン化ってそこまで数値が上がらない?」
───そうか、魂の歪みを数値に置き換えるだけのものか……歪みの形を見ている訳ではないということか……───
どうやらベリアルと俺の間で『転生者診断アプリ』の認識が食い違っているらしいことが分かった。
「歪みの形ってなんだよ」
───歪みの形は、歪みの形だ。
なるほど、土くれの魂では、未だ魂については理外なのだな───
「くそ! なんで教えないんだ!」
───視るための目だと思っていたからな。
理解した上で言っているものだと思っていたぞ。
だが、そうか……もっと我との融合が進めば視えるだろうが、視えぬのならば仕方あるまい……元は土くれ……魂の融合を測るのも簡単ではないのだろう……───
「おい、俺を融合に勧誘するな!
視えなくても、お前が教えてくれれば問題ないだろ」
───いいや。良く考えれば、ドローン化した者は別にリビルダーではない。多少は御業なり魔法なりに近しくなるが、どうせ紛い物だ。
リビルダーでないのならば、我が手を貸す必要もない。
静観させてもらう。せいぜい無駄に足掻いて、楽しませよ……───
まさかの手のひら返しだった。
前にエルパンデモンの匂いを理解するために、俺は融合を進める許可を与えた。
そして、ベリアルは今、他人の魂を視るために、融合を進める許可を求めている。
だが、それでいいのだろうか?
あまりに見え見えの悪魔の罠。
前回はそれほど長い時間ではなかった。
自分に『転生者診断アプリ』を使う訳にもいかず、今、何パーセントになっているのか分からないが、ベリアルがこの前の『アルテミス〈俺への憎しみが強すぎて、リビルダーの魂を削って融合を進めたオルムホスの女神〉』のようなやり方をするとは思えない。
他人の無駄を楽しむために本人はかなり合理的な判断をするやつだ。
今回、魂を視るための目を得る程度なら、また短時間、あの嫌悪感に浸ればいいと思える。
あの嫌悪感。
正直、おぞましい。
しかし、目を得れば、魂の歪みが視えるようになって、ドローン化の判別ができるようになる。
「……くそ、分かったよ。
魂を視る目を寄越せ!
ただし、そこまでだけだぞ!」
───融合を進めていいと言うなら、断る理由は無いな───
「う……く……あ、あ……くそ……この、気持ち悪さ……」
途端に俺を嫌悪感が包む。
耳鳴りがする。それから視界が廻る。
ボコボコと全身を虫が這い回るような……。
気付けば、あの嫌悪感は消えていた。
しかし、変な耳鳴りと視界がぐにゃぐにゃしていた。
「なんだよ……これ……」
───案ずるな。臭覚の次は聴覚、それから視覚を変異させた───
「聴覚? 聞いてないぞ!」
───仕方あるまい。視覚を得るには、聴覚を変異させる必要がある。
物事には順番というものがある。
感覚の切り替えはこちらでしてやろう。
なに、これはサービスというやつだ───
耳鳴りが止み、視界が元に戻る。
窓の外で猫が「にゃー」と鳴いた。
───視てみろ───
ベリアルの勧めに従って、俺は部屋のカーテンを開く。
家の石塀の上を猫が歩いていた。
二重写しの猫だ。
トラ猫に重なるようにして、白猫が視える。
俺が視ていることに気付いたのか、白猫が石塀から飛び降りたと思うと、そこから半歩遅れてトラ猫が飛び降りた。
「なんだ……?」
───白い猫は視えたか?
あれが魂だ。良かったな───
「魂……」
───慣れれば魂の歪みも捉えられるだろう───
うぷ……。
俺はその場で胃の中の物が逆流して、吐いたのだった。




