喧嘩にならない日生満月 43
急いで校門側をチェックする。
尾野田先生とバスケ部員たちは既に出発してしまったようだ。
俺はこの時、そこまで重要ではないという判断を下してしまっていた。
変化に気づくのは、しばらく先の話だった。
御倉の活躍を称賛して、今日は帰るかと思った時には、また新たに一体、『再構築者』のこちらの世界への侵入が検知された。
一体、封印すると、新たに一体が転生してくる状況に、これがエルパンデモンの大祭とやらが終わるまで、延々と続くのかと思うと精神的な疲労がどっと来るような気がした。
亜厂や此川さん、御倉などは使命感に燃えているのか、嫌な顔ひとつせず動き出す。
俺と真名森先生は顔にこそ出さないが、少しばかり嫌気が刺している。
役に立ちたい気持ちはあるが、ここまで拘束されるとちょっと……と思わなくもない。
しかし、だからといって新しい『再構築者』を探さないという選択肢がある訳ではなく、俺は校内をうろつくことにしたのだった。
『TS研究所』からの警告メッセージは結構なタイムラグがある。
今、メッセージが来たからといって、今、『再構築者』が転生してきたとは限らない。
正直、闇雲に探し回るだけでは徒労に終わる可能性が高い。
亜厂と此川さんはその指針として知り合いを増やして、友人関係の中から出てきた違和感を使っている。
御倉の写真部か新聞部に入るというのも、あちこちで写真を撮って違和感がないという点では、いい情報収集のやり方だと思う。
真名森先生は、俺たちでは手が届きにくい教職員や事務員などに近づけるのが強みだ。
さて、現状、屋上から帰り際の校門前をチェックしている俺だが、他にやりようはあるだろうか。
カムナブレスにより、最低限の防御が可能になったのだ。
俺にしか探せない場所とかあるだろうか。
そうだ、男子トイレだ。
この学校のDDで男は俺だけだ。
そうなると、盲点になりやすいのは男子更衣室や男子トイレということになる。
特に男子トイレの個室は放課後、盲点になりやすい気がする。
俺は男子トイレ巡りをすることにした。
なんだろう……何故、こうも俺は変態に間違われるようなことばかりしてしまうのだろう。
いや、俺にしかできないことをやるんだ、と自分に言い聞かせて、目を覚ます。
『事務棟』『部室棟』『総合体育棟』一部の『専門学習棟』のトイレは教職員と部活をやる生徒のため、それなりに出入りがある。
放課後に人が減るのは『本校舎』で、まったくいないとは言わないが、人目につかなくなるのは確かだ。
まあ、それでトイレを調べ始めたら、都合良く『再構築者』が居るなんてことは……なかった。
でも、代わりに一年生のトイレで嫌なものを見た。
「おい、迷惑料、十万持って来いって言ったよな……」
「そんなお金、ありません……」
「ないで済むと思ってんのか……」
三人組の不良が一人の男子生徒を囲っていた。
「う、わ……」
世に名高いいじめ現場というやつだ。
事勿れ主義の親に育てられた俺としては、ここは見て見ぬふりをしてやり過ごすという選択肢もあったはずなのだ。
ただ、なんとなく、これを見過ごす俺が、世界のために戦っていてもいいのだろうかと思ってしまった。
一般人相手にカムナブレスを使う訳にもいかないというのに、何を勘違いしてしまったのか……いや、亜厂や此川さんに恥じない自分でいたかったというのが本音か。
とにかく、俺は見て見ぬふりができなかった。
「なにやってんの?」
「ああん? お前、誰だよ?」
「そっちは……ああ、1ーDの人か、見たことあるわ」
「お前、関係ないよな?
関係ないなら、出てけや……」
───ほう、正義の使徒気取りか?
死なない程度にしておけよ。仕事に差し障りがあると困るからな───
ベリアルが我、関せずとそんなことを言う。
なんとなく間接的に、ベリアルが味方してくれないことは分かった。
「あ、いや、まあ……」
つい出しゃばってしまったものの、いきなり後悔しそうだ。
人外の悪意を対峙した時には味わったことのない、同じ人間が持つ悪意。
やけに怖く感じて、尿意が下っ腹を襲う。
───くくっ……例のカムナブレスを試すには良さそうな相手ではある……───
いや、だから、一般人相手には危なすぎて使えないって!
ベリアルはどうせならということで、カムナブレスを試すよう勧めて来たが、それに反論したおかげで、俺は少し冷静になった。
「あれ? 関係なくない気がする……。
隣のクラスだろ……俺はトイレ使いたいし……そもそも同じ学校な訳だし……」
「何、ぶつぶつ訳わかんねえこと言ってんだ、クソが……」
不良の中で一番身長が高いやつにいきなり髪を掴まれた。
あ、殴られる、と思った。
ただ、なんだか俺はそれを冷静に見てしまっていた。
思えば、腕を斬られたり、背中を刺されたりしている俺だ。
他にも痛みは薄いとはいえ、一歩間違えたら死ぬような目に会っているのだ。
悪意の怖さは薄れた訳ではないが、暴力は理解の範疇だったりする。
一発、殴られたくらいじゃ、死なないんだよな、と思うと、大して怖くない気がしてきた。
頬に衝撃が来て、俺の首がぐりんと動く。
ああ、殴られたなと思った。
相手を屈服させるための暴力だ。殺しに来た訳ではなく、脅しのための手段なのが、殴り方から理解できた。
ただ、運悪く相手を殺してしまうなんてことは考えないのだろうか。
後先を考えない暴力。今までそれで上手くいっていたのだろうと思った。
「俺を怒らせるんじゃねえよ!」
蹴られた。
うん、格闘技の経験も喧嘩の経験もないからダメだ。
壁に背中がぶつかって息が詰まる。
「あ〜あ、お前も俺らに迷惑かけんのかよ、しょうがねえバカだなっ!」
小太りな不良も俺を蹴った。
見た目が一番普通のやつが一番ヤバくて、馬乗りになって、めちゃくちゃに殴ってきた。
いじめられていたメガネのやつは、トイレの隅で頭を抱えて震えていた。
助けてはくれなさそうだ。
暴力を振るうやつらは、次第に暴力に酔っていくのが見える。
俺はとりあえず頭周りだけ守りながら、変に冷静に考えていた。
ヤバいな。喧嘩の仕方が分からない。
どれくらいまでやっていいんだろうか?
───おい、代われ。私も使う身体だ。あまりいいようにやられるな───
───いやいや、ベリアルに代わったら、めちゃくちゃになるのが目に見えてる。無理、無理!───
───ふむ、ならば契約に基づいて、日生満月の生命を守護するとしよう───
俺の意識がふわりと入れ替わる。
俺は小太りの蹴りを片手で受け止める。
「なんだコイツ……髪の毛が白く……」
「ふん……随分と派手にやってくれたな……」
「く……離せよ!」
「よかろう」
小太りの言葉に、俺は掴んだ蹴り足をぐにゃりと捻ってから離す。
「いっ……ぎゃあああっ!」
「細井……!
てめぇ!」
背の高いやつがストンピングで潰そうとしてくるので、俺は同じように蹴り足を掴んだ。
「同じことをしてどうする?」
俺の言葉通り、同じ状況が繰り返された。
掴んだ蹴り足をぐにゃりと捻って押し出す。
「ぐっ……いぎっ!」
「関節を捻った。それが痛みというやつだ」
「小山!」
俺はのそりと立ち上がる。
その間に、一番普通っぽいやつは掃除用具入れからデッキブラシを取り出した。
「猿よりはマシか?」
「ふざけんな!」
デッキブラシが振り下ろされる。
「一番、好ましい。覚悟もなく、衝動だけで振るう暴力のなんと無意味で甘美なことか……」
俺は苦もなくそのデッキブラシを掴んだ。
「しかし、惜しい。保身が透けて見える……。
どうせなら、我が身を顧みないほどの熱が欲しい。
死ぬか?」
普通っぽいやつは、デッキブラシを動かそうと試みるが、それが、ピクリとも動かないことに気づくと、じわりと恐怖に顔を歪ませた。
「ふ、普通じゃねえ……」
「畏怖か、つまらんな」
「う、うわぁぁぁああ!」
普通っぽいやつは逃げ出した。
「ふむ、生命の守護という盟約は果たしたな」
───いやいやいや、お前どうすんだ、これ……───
「仕方あるまい。お前は死ぬ寸前だったからな」
───え?───
「気づかなかったか……痛みは大したことがなかったからな。
本来ならば、華々しく無駄死にさせてやりたいところだが、契約上、そうもいかん。
まあ、もう少し待て、治さねば戻ることもままならん」
───死ぬ寸前……マジか……───
と、細井と小山の二人はびっこを引いて逃げていく。
眼鏡のやつはずっと震えていた。
「くだらん理性で持っている力を使わず、殺されかけるくらいなら、抗って死ね。
その方がこ気味が良い」
そう言って俺はその場を後にした。
その日、『再構築者』は見つからず、お小遣いは全て食費に消えていった。
命の対価としては、安かったのだと思うことにした。




