変異する進藤隊員 40
俺が追う進藤隊員は本校舎二階の窓に飛び込んだところで、真名森先生に捕捉された。
「ぐおおぉぉぉっ!」
未だ変異の進みが遅いのか、進藤隊員はその身体能力だけで真名森先生の『目玉の邪妖精』を叩き潰そうと暴れた。
まるで獣だ。
───誰だか知らんが、よほど相性が悪いらしい。知性をほとんど感じないな……───
ベリアルの辛辣な言葉が響く。
だが、例え知性を感じないとしても、その跳躍力とそれに伴う怪力だけで、俺にとっては充分危険だ。
『本校舎』の外階段から二階に上がり、俺は身を隠しながら真名森先生の戦いを見守ることしかできない。
真名森先生が自身の血から編み出し、操ることができるのは、現状、三体の拳大の『目玉の邪妖精』か一体の膝丈程度の『三角帽子の邪妖精』だ。
『目玉の邪妖精』は索敵に優れるものの、攻撃方法は体当たりのみ。
おそらく、『想波防御』で覆った俺のパンチと同程度の威力のように思う。
だが、そのパワーがあれば『再構築者』をぶっ飛ばすには充分とも言える。
『目玉の邪妖精』の体当たりはパンチと違って、変幻自在に繰り出せる。
しかも、他の階の探索に向かわせていた『目玉の邪妖精』と合流すれば、それが三体になる。
進藤隊員が機動隊員として平均程度の体術を収めていたとしても、あちらこちらと変幻自在に飛ぶ体当たりを捌ききるのは難しい。
正面からの体当たりを受け止め、真横からの体当たりをどうにか捌くと、背後からの体当たりは防ぎきれない。
腰から崩されると、後は体当たりが面白いように当たる。
防戦一方の進藤隊員だが、真名森先生としては運悪く、一体の体当たりがヘルメットに当たってしまう。
本来は顔面狙いだったのだろう。
ヘルメットに防がれた一体の『目玉の邪妖精』がよろけたところを掴まれた。
地面に叩きつけられたソイツは、バシャリと潰れて、血溜まりになった。
ヤバい!
そう思った俺が出て行こうとするが、ベリアルの声が響く。
───やめておけ。今、日生満月が動けば真名森美也子の負担が増すだけだ。それにあの程度では形勢は崩れん───
機を逃がしてしまった。
仕方なく、さらに見守る。
二体に減った『目玉の邪妖精』は、しかし、巧妙に血溜まりを掠めて進藤隊員を攻撃する。
少しずつ血溜まりから血をすくい上げていたのだ。
重さが増せば、威力が上がる。
進藤隊員の身体が疲弊していくのが見える。
蹲って、攻撃に耐え始めた。
ベリアルの言うのが正しかったのだ。
だが、それも束の間、進藤隊員がめちゃくちゃに身体を振り回し始めた。
腕がいつの間にか足になって、鋭い爪を備えていた。
履いていたブーツがちぎれて、こちらも鋭い爪が伸びている。
胴体に足が四本だ。
変異が進んだらしい。
───ふん、匂って来たな。大した勝算もなく来ている辺り、誰かの差し金か。
しかし、そろそろ不味いな……───
「何が不味い?
まだ真名森先生が押してるんじゃないのか?」
───あのエルパンデモンのやつは真名森美也子の仕掛けに気付いたぞ───
仕掛け? 仕掛けなんてあっただろうか?
そう思った矢先に、一体の『目玉の邪妖精』が弾けて血溜まりになった。
進藤隊員の振り回した身体には一切、当たっていないはずにも関わらずだ。
───真名森美也子の魔術は自身の血液を自在に操るというものだ。
そのため、あのクリーチャーは本体と繋がっていなくてはならん。
目に見えぬほどに細い血の紐だが、それは確実に存在する。
そして、それが断たれれば、あの様に脆いものだ───
バシャリ、最後の一体が血溜まりになった。
───不味いな……いくら相性が悪くとも、ああして魂を削るように変異されると楽観視できぬ。使っているのは余程、恐怖を刷り込んだようだな……───
「使っている?」
───魔力も低く、知性に乏しい輩は得てしてより強大な恐怖に呑み込まれるものだ。
そうして、ああいった手合いを使うとなれば、いずれ糞便に纏わる者かそれに集る蛆虫か……ま、その類いだろうよ───
「糞便って……あ、ベルゼブブ!」
───名を出すな、汚らわしい……だが、こちらでも広く知られる名か……ならば、今ひとつ、ベルフェゴールも覚えておけ……彼奴等は財貨とその醜悪さを操る。
気をつけることだ───
なるほど、ベリアルは進藤隊員に取り憑いた『再構築者』を、その二人のどちらかの回し者だと睨んでいるらしい。
そして、その『再構築者』は自身の魂を削ってでも、こちらの世界で生き残ろうと足掻いている。
よほどの弱味を握られているか、それとも報酬が魅力的だったのかもしれない。
いや、今はそんなこと考えている場合じゃなかった。
進藤隊員が辺りを見回している。
他に邪魔者がいないか探っているのだろう。
俺は壁に張りついてバレないように息を顰める。
「ぐ……が、が……」
くぐもった呻き声が聞こえる。
俺は息を殺しながら、どうにか状況を確認する。
進藤隊員の頭が、身体にめり込んでいく。
更なる変異を遂げようとしているのだろう。
どうする? どうする? どうする?
このままでは、進藤隊員の身体は『再構築者』のモノに完全変態してしまう。
七メートル近いジャンプをする身体能力の化け物だ。
ヤバいだろ。
「くそ……せめて変異を止めないと……」
───仕方あるまい。時間稼ぎはしてやろう。代われ。魔力はほぼないが、日生満月のままよりはマシだ───
悔しいが、ベリアルに主導権を持たせれば、俺の身体能力は飛躍的に伸びる。
『ヒルコ』の俺にはどうにもできない。
俺は主導権をベリアルに譲った。
「くっ……大事に使えよ!
交代だ!」
「ああ、私とて、こんなところで帰る気はないからな」
俺の口が勝手に動いた。
「おい、声に気付けぬほどに変異に集中するな、愚鈍なやつめ!」
俺はヘルメットを外し、それを進藤隊員に向けて思いきり投げつけた。
「ぐがあぁぁぁ!」
床に転がった進藤隊員は、腹から顔を覗かせていた。
どういう変異だか分からないが、気持ち悪い。
腹に顔があって、腕が足になって、合計四本足だ。しかも、見れば全部、右足だ。
歩きにくそうだが、胴体を中心に右足がそれぞれに右に出ようとしている。
もしかして、日本の妖怪、火車などのように横向きに移動するんだろうか。
火車は車軸に顔があり、身体が燃える車輪のはずだが、ある意味それに似た構造をしている。
俺は、つかつかと歩いて近づき、右足の一本を手に取ると振り回して、壁に叩きつけた。
「貴様、ブエルかそれに類する者か……愚かな……いいように使われおって!」
キラリ、一瞬だが光の線が見えた。
真名森先生だ。
細い血の紐が、血溜まりに接続する。
その血溜まりが寄り集まってひとつになる。
血溜まりから浮かび上がるのは血でできた医療用メスだ。
「血刀……ケーキカットだったか……」
俺はソレを掴む。
ソレは少しだけ悶えるように震えると、なんとも禍々しい形に変化していく。
「ふむ……『治療』とでも呼ぼうか、くくく……」
勝手に名前をつけて、真名森先生が気を悪くしないかが気になった。
それにしても、元が医療用メスだから『治療』なのか、いや、ベリアルの性格からして、相手を傷つけるから『治療』なのかもしれない。
俺は『治療』を軽くひと振り。
手に馴染む。軽い。羽根のように感じる。
なんだか『初めての共同作業』と違う。
ベリアルのための武器。そんな感じがしてくる。
俺が進藤隊員へと目を向ける。
進藤隊員の本来は頭がある辺り、そこに新しい足が生えかかっていた。
「完全に変異できれば、負けないとでも?
思い上がりも甚だしい!」
俺が振るう『治療』は異常な切れ味を見せる。
まさしく、触れなば切れんというところだ。
進藤隊員は右足で、いや、全て右足だったか。とにかく接地した右足をたわませ、伸ばし、必死に『治療』から逃れようとする。
俺はまるで踊るが如く、もしくは指揮棒のように血刀を振るい、進藤隊員を追い詰めていく。
壁に挟まれた角に追い込まれた進藤隊員の腹にある顔。その顔に俺の革靴がめり込む。
「大人しく封印されろ。でなければ、貴様の魂ごと焼いてやる……」
俺が薄く笑んだ。
顔を踏まれた進藤隊員は、革靴が擦れるのも構わず、必死に懇願するように頷くのだった。
「真名森美也子。お前がここに来て封印しろ」
俺が言ったと同時に、『治療』が溶けるように消えた。
暫くして、足音と共に真名森先生が現れる。
「はうあっ……尊死……」
そう言って真名森先生はくずおれた。
えーと……何が違うの?
俺は心の中で頭を抱えるのだった。




