古き悪魔 125
小さな音が聞こえる。
喉に血が溜まって、溢れる音だ。
「俺の勝ちでいいよな、ユキユキ……」
「カハッ……くそぅ……やっぱ、勝てねぇじゃねえか……」
ユキユキは盛大に喀血してから、涙ながらにそう言った。
その言葉が出た瞬間に、俺は『想波』の剣を消し、同時に頭に浮かぶ複雑な魔法陣をユキユキの胸の前に描く。
自分の肉体の回復と違い、他人に影響を及ぼす魔法は消費が激しい。
一瞬で自分の中の魔力が萎んでいくのが分かる。
「……満月に勝ちたかったのによ……うっ……ガハッ……」
ユキユキが動こうとして、大量の血を吐いた。
「動くな、まだ塞がってねぇ!」
回復の魔法は便利だが、何故か血を増やすことはできない。
動けば動くほど、血を失ってしまうので、俺は急かすように魔力を絞り出す。
「いいか、本当に俺に勝ちたかったら、ベルゼブブの魂を追い出してみろ!
それができたら、お前の勝ちだ!」
俺はユキユキに発破をかけるように言った。
これは真実だ。
俺はベリアルを追い出す理由が見当たらなくて、ベリアルと共闘できる状態が余りに俺に都合の良い現実を与えてくれるため、今更、ベリアルを追い出すという選択肢がない。
だが、ユキユキは違う。
ユキユキはDDではないし、過ぎた力を持つ意味はない。
「追い出す……?」
「そうだ。ベルゼブブの目的は人をたくさん殺して、その魂を持ち帰ることだ。
お前はそんなことしたい訳じゃないだろ!
俺は……ベリアルと契約しちまったから、自分の力で俺の中にいるベリアルを追い出せない。
テラの戦士として、必要だしな……。
でも、ユキユキならできる!
俺が知ってるユキユキは誰よりも優秀なやつだ!
悪魔にだって打ち勝てるやつだ!
だから……勝ってみせろよ……」
「ははっ……結局は満月の言うことが正しいんだよな……見てろよ……俺の強さを!」
ユキユキはゆっくりと目を閉じた。
おそらく、自身の中のベルゼブブと戦い始めたのだろう。
それを見守りながら、俺はユキユキの傷を塞ぐことに専念する。
空の蝿たちも、みんなの努力によって、少しずつ削られていき、空の一点の染みくらいまで減った。
やがて、ユキユキが目を開ける。
「ユキユキ……」
「満月……随分と買い被っていたようだな……たかが土くれの魂ごときを!」
言うと同時に、俺の首にユキユキの左手が食い込む。
「がっ……ユキユキ……」
俺の中に『想波』はもう残っていないため、鎧は消え、魔力を使い切った。
俺は無防備だった。
「お前なら勝てる?
そんなはずないだろう。
次の魔王になる身だぞ……この土くれの魂に力を貸してやったのは、ただの余興に過ぎぬ。
それを焚きつけて、私に取り込ませたのは、お前だぞ、満月!」
「そん……な……」
息ができない。苦しい。意識が飛びそうになる。
「満月くん!」
俺の状況に気づいた亜厂が叫んだ。
「バカめ!
私を甘く見たな。
ベリアルを制して、古き悪魔も容易い相手だと踏んだか?
なんとも浅はかよな」
ベルゼブブの膂力は、俺を片手で吊り上げ、ぶん投げるには充分なようだった。
俺は屋上の鉄柵にしこたま身体をぶつけられて、そのまま床に突っ伏した。
「さて、ベリアルよ。
愚かな選択をしたな……その肉体を壊して、出て来たところを喰ってやろう……」
ベルゼブブがこちらに向かおうとするが、俺が治したのは胸の傷だけだ。
下半身の巨大蝿は、未だまともに動けない。
「ちっ……雑に扱いおって……」
ベルゼブブが天に向かって手を上げる。
残っていた空の染み。
それでも百数十匹はいるであろう蝿たちがベルゼブブ目掛けて降下して来る。
「やらせない!」
御倉の操る風がカマイタチのように飛んで、残っていた蝿たちを次々に撃ち落としていく。
最終的に、あれだけいた蝿は五匹になった。
だが、その五匹はベルゼブブまで届いてしまった。
「ふん……今のテラの戦士たちも、多少は歯ごたえがあるのは、認めてやろう」
ベルゼブブの下半身の巨大蝿に取りついた五匹の蝿は、そのまま巨大蝿の血肉になっていく。
巨大蝿は血肉を得て回復していくが、数が足りなかったのか、羽根はボロボロ、俺が切り裂いた肉体も完全なは治らなかった。
「さて、足りない分は、お前たちの命で贖ってもらうとするぞ。『魔王の刃』……」
ベルゼブブはその手中に魔力の剣を生み出したのだった。




