エウリノーム 118
正面からエウリノームに取り憑かれた加藤さんが歩いて追ってくる。
彼女の周囲は、ドーム状の黒い負のオーラが取り囲んでおり、そのゆっくりとした歩調はまるで幽鬼のソレだ。
アレの中に入った瞬間、彼女を起点とした自殺衝動に取り込まれ、普通の人間は大変なことになってしまう。
だが、俺だけは別だ。
エウリノームの魔法『死の波動』は精神に働きかけ、肉体を操り、相手を自死させるというものだが、最初から操り人形の俺には効果がない。
つまりは、アイツの天敵になりうるのは俺、ということになる。
俺は意を決して、加藤さんと正対するべくドームの中に入った。
「死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい……」
ドームの中は負のオーラが溢れかえっていて、精神攻撃の波に常に晒されている状態になる。
しかし、何故だろう。
その精神攻撃も俺には効いていない気がする。
加藤さんが死にたくなる気持ちに共感する部分がある以上、精神攻撃は俺にも効くはずだが、共感はするものの、それが増幅されて、俺も死にたい……とは思えない。
亜厂とのキスのせいだろうか?
あれが俺を守ってくれているのだろうか?
───日生満月がヒルコゆえ、だろうな───
俺がその甘い記憶に想いを馳せようとした瞬間、ベリアルから手痛い説明をされた。
───我が記憶は既に日生満月に渡してある。
思い出せば済む話ではあるのだがな……。
性欲に溺れるのは望むところではあるが、今ではなかろう。
我が記憶にある、テラの戦士のヒルコは、自我が薄いがために、世界に溶けてしまう。
本来のテラの戦士が使う技術は、テラ世界を自身の一部として使う技。
しかし、ヒルコは自身がテラ世界の一部になってしまう。
その精神性がこの場合も当てはまるのだろうな───
くっそ……つまり、俺はDDとして不完全だから、エウリノームの精神攻撃が掛かりにくいということかよ。
しかし、そうか……思い出すのは、初めて『欲望』を発現させようとした時のことだ。
意識の拡散。
俺は世界の一部になろうとしてしまったのだろう。
だとすると、エウリノームにも溶けてしまいそうになっているということだろうか。
だとしたら、エウリノームは「死にたい」と言っている割に、本当は「死にたくない」ということになる。
なにしろ、俺は全く死にたいと思っていないからだ。
「加藤さん、実際は、死にたいとは思っていない?」
「死にたい、死にたい、死に……」
言葉が止まった。
あれ? もしかして、図星?
「私には価値がない……生きていても意味がない……あなたもそう考えることがあるんじゃないの?
何かが重くのしかかったから、学校に来なくなった……学校に戻ったところで、あなたの居場所はもうなくなっている……そんな状態に耐えられる?」
ドーム内の負のオーラの質が変わった。
加藤さんの記憶から発せられるエウリノームの言葉が、俺専用のものになったようだった。
ただ、全く響かない。
「まあ、加藤さんから名前すら認識されていなかったのは予想外でびっくりしたけど……重くのしかかっていた悩みは、亜厂たちが解消してくれたし、居場所は……なんなら増えたくらいだな……」
なにしろ、入学当初はユキユキしかいなかったのだ。
でも、亜厂や此川さん、御倉に真名森先生、『TS研究所』の面々。
俺の居場所は増えている。
「現実を見なさいよ。
世界は暗闇と辛さ、ままならないことで溢れている……こんな世界にいつまでいなくちゃいけないの……?」
「う〜ん……ここまで悩みに悩んで来たけれど……そこまで悪いもんでもなかったよ。
見守ってくれる人がいて、ぶっ飛ばしてくれる人もいて、叱られたり、優しくしてくれたり……そんな中で、正解かどうかは分からないけれど、自分なりの答えは見つけられた。
ままならないのは分かるけど、それだって自分がどう受け止めるか次第で明るくも暗くもなる。
なんとなく、これが青春とか言うと、さすがに青臭いかもしれないけど、俺にとっては、いい青春なんだと思う……」
「戦争……飢餓……貧困……」
「ごめん。規模が大きすぎて、想像できない」
「……ちっ!」
「舌打ち!?」
「……死ねよ」
「あ、本音。
それは、エウリノームなのかな?
まあ、どっちでもいいか。
加藤さんさ、自分が無価値で意味が無いと思ってるんでしょ。
そんな加藤さんを、とても肯定的に見てるやつもいるって知ってる?」
加藤さんなのか、エウリノームなのか分からないが、その動きが止まる。
俺は自分の頭を指さして続ける。
「俺の中のコイツの言葉を借りようか。
無価値の中にこそ価値はある。
無駄なことをせよ!
無意味なことを喜べ!
それは、何にもならなくて良いのだ!
ただ、在る。
それが神の求めたモノなのだ!」
加藤さんの顔色が変わる。
青紫のブツブツが弾け、緑色の膿と赤い血が流れる。
「第二の天使……ベリアル!」
それは怒っているようにも、泣いているようにも見える。
「今さら気づいても、それこそ無価値だな、死の王子よ」
話しているのは俺で、要はベリアルから渡された記憶から、勝手に言葉がでているような状態だ。
当のベリアルにしてみれば、何もせずに美味しいところだけいただければ満足ということなので、俺の頭の中で高みの見物と洒落込んでいる。
「無価値なものか!
貴様の幻覚は私には効かない。
底辺の肉体を持つ貴様の方が不利は明白。
テラの戦士かと思っていたが、正体を現した時点で貴様の敗北は決定したぞ!」
ベリアルの幻覚魔法は効かないらしい。
言ってみれば、お互いに精神攻撃を得意とする同士、防御の術も心得ているのかもしれない。
「思い違いだよ、エウリノーム。
俺はれっきとしたテラの戦士だよ!」
強気になって、こちらを絞め殺そうとでもいうのか、加藤さんが両手を上げて襲いかかって来る。
俺は『想波』の鎧と剣を顕現させて、今にも掴みかかろうとする加藤さんの首筋に、剣の先端をあてがった。
「悪いな。
同居してるんだ」
「なっ……バカな……」
「このまま、肉体を壊されて、ベリアルに喰われるのと、素直に封印を受けて、しばしの獄中生活、どちらを望む?」
じわり、加藤さんの首筋に血が滲む。
こうして、俺はエウリノームの封印に成功したのだった。
───しまった……我に旨みが無いではないか……───
当たり前だ。殺さずに済むなら、そちらの方が断然、良いのだから。




