死にたい加藤さん 117
「……もう大丈夫」
見つめあう俺と亜厂。
名残惜しそうに亜厂が言って、でも、巻きついた腕はなかなか離してくれない。
「ふ、ふふふ……底辺と一番が……なら、亜厂ちゃんなんて、一番じゃないじゃん……ふ、ふふふ……底辺しか捕まえられないなんて、可哀想……亜厂ちゃん、もう生きてる価値ないじゃん!」
加藤さんから負のオーラが、新たな波となって発生する。
「あのね、加藤さん。
私、今、生きてて嬉しいよ!
誰がなんて言おうと、私の中で満月くんが一番で、満月くんが最高だもん!」
「馬鹿じゃないの、強がっちゃって……もう、亜厂ちゃんは一番じゃないんだよ」
「ねえ、一番って何?」
「何って、クラス内のヒエラルキーだよ。
今までは上手く誤魔化して一番のフリをしていたみたいだけど、底辺とキスなんかしちゃったら、下の下じゃん!」
「う〜ん……ヒエラルキーって良く聞くけど、そんなもの本当にあるのかな……?」
「あるよ。ヒエラルキーが上なら、意見が通りやすくなって、好き勝手できる。
人気者だから、誰からも責められない。
一番だったら、女王様みたいに振る舞えるんだよ!」
「それって、社会に出たら意味がなくなっちゃうモノだよね?
私は、組木さんからも良く怒られるし、誰かの上に立ったって実感もないんだよね……。
そりゃ、可愛くなりたい、オシャレになりたい、みんなと仲良くなりたいとは思うけど……女王様になりたいとは思わないかな……。
誰かと意見をぶつけあったり、間違えてることを叱ってもらったり、もちろん、同じ好きなことで盛り上がったり、そういう友達が一人でもいれば、高校生活も悪くないな、とは思うけど……」
「……死にたい。死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい……」
亜厂はあまりそういうことを考えていないのだろう。
ヒエラルキー。あると思えばあるし、ないと思えばない。
そんなあやふやなものに右往左往する人生を送っていない時点で、勝ち組なのかもしれない。
まあ、多少なりとも、そんな自分の立ち位置の価値を考えていた俺には、加藤さんの死にたい発言も分からなくはない。
自分がそこに価値を見出していたのに、亜厂にはその価値すら見えていないのだ。
しかし、加藤さんはそれが引き金だったかのように変異が進む。
顔の半分に紫色のブツブツが浮かび、髪が抜けはじめる。
「『死の波動』……」
加藤さんから負のオーラの波が放たれる。
その瞬間、亜厂は自分で自分の首を締めはじめた。
「あ、亜厂!?
何してるんだ、よせ!」
俺は亜厂の手を無理やり引き剥がす。
「いやあああああああっ!」
「そうだよ、一緒に死のう……一人じゃ寂しいもの……みんな一緒に逝こうよ……」
負のオーラの波は、負のオーラのフィールドになって直径三十メートル範囲をドーム状に覆っていた。
亜厂は、わなわなと震えながら、先程まであんなにも甘い想いを感じさせてくれた舌を伸ばし始める。
噛み切るつもりだが、なかなか踏ん切りがつかない。そんな風に見える。
すると、加藤さんは俺を見て、不思議そうにしていた。
「なんで……?
底辺のゴミ虫なアンタには、死にたくなる理由なんて腐るほど有るでしょ?
なんで亜厂ちゃんを止める側に回ってるのよ……」
言われて、はたと気づいてしまう。
たしかに、どうしてだろう?
だが、それを考えている暇などなく、俺は亜厂を抱き上げると、一目散に逃げ出した。
負のオーラのフィールドから亜厂を連れ出す。
「う……うぅ……」
苦しそうな呻き声。
「亜厂、大丈夫か?」
「身体中が、無理やり操られたみたいになって……」
なるほど、エウリノームの変異が進んだことで発動した魔法は、最初に垂れ流しにしていた負のオーラの強化版といったところだろうか。
精神攻撃に加えて、強制自殺させるために、相手の身体を操るような……と、そこでようやく俺は気づいたのだった。
「なるほど、俺には効かないはずだ」
なにしろ、俺の身体はコントロールこそ俺が握らせてもらっているが、はじめから操り人形なのだ。
「亜厂、少し休んだら、本校舎との外廊下を頼む。
春日部隊長たちが頑張ってくれているけど、いつまで保つか分からない。
俺は、加藤さんを止めてくる!」
「え……でも、満月くん」
「大丈夫だ。元から俺の身体は亜厂たちのモノになってる。
エウリノームの魔法は効かないみたいだ」
「あ……」
亜厂もようやく気づいたようだ。
「いってくる!」
俺は亜厂の返事を聞かずに、加藤さんの元へ戻って行くのだった。




