イミエル 11
体育館裏で大きく息を吐く。
心臓が痛い。
此川さんと亜厂は、二人ともこちらに来てくれるらしいので、俺は壁に凭れるように座り込む。
やばかった。顔は見られていないと思うが、俺も相手の顔を確認できていない。
『転生者診断アプリ』で相手が『再構築者』であることは確認できたし、殿はおそらく被害者なのは分かったが、肝心の相手が誰なのかは謎のままだ。
それと、逃げる時に焦っていたとはいえ、1ーC、つまり俺と亜厂のクラスを使ったのは失敗だったかもしれない。
少し考えれば、1ーCの人間が『再構築者』に敵対していると思われる可能性が出てきた。
ジャリッ! と足音がして、俺は顔を上げる。
「早かった……な……?」
此川さんか亜厂だろうと思って出した言葉を呑み込んだ。
「そうでもない……痕跡を辿るのは、それなりに苦労したさ」
誰だ?
男子生徒。校章の色は二年を表す銀。見たことがある。あれだ、ドローンが破壊される直前にこちらを見ていた、勉強していたやつ。
それに、俺と同じで上履きのまま外に出ている。
つまり……。
男子生徒が呟く。
「【天より降る……】」
俺は無理矢理、身体を捻って転がる。
「【……雷槍】!」
バシッ! と小さな音がして、雷が俺の居た場所に落ちてきた。
小さな焦げ後。しかし、当たればタダじゃ済まなそうだ。
「視線と呪文だけでいいのかよ!
なんつー魔法だ!」
まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい!
体力はまだ回復していない。戦う力もない。
避けられたのは、まぐれでしかない。
「魔法とは違うな。これは御業というのだ。
さて、何故に神の御使いたる我をこそこそと覗き見るような真似をする?」
「は……? 神の御使い?」
「返答によっては、次は天罰を当てるぞ……」
当てる。じゃあ、さっきの雷はわざと外してたのか。
「あんた……いや、あなた様はいったい何なんだ、ですか?」
分からないことだらけだが、俺にできるのは、なんとか話を繋いで、此川さんと亜厂が来るまでの時間を稼ぐことくらいだ。
相手が神の御使いを名乗るのであれば、乗っかって情報を引き出しつつ、話をしようと決める。
「我は能天使が一人、イミエルなり」
天使。天使だって!
悪魔ではなく、天使を名乗る『再構築者』に、一瞬、困惑してしまう。
だが、やっていることは悪魔の所業だ。
それなら、悪魔でも、天使でもどちらでもいいとも言える。
いやいや、時間稼ぎなら天使の方がありがたいかもしれない。
「天使イミエル様ですか。
いったい何用でこちらに?」
「天意によって、人を正すべく降臨した」
「天意……天は人が正しくないと仰せなのでしょうか?」
「そうだ。この世は怒りや哀しみ、欺瞞や悪徳で溢れている……」
天使らしい発言にも聞こえるが、それはイミエルのいた世界から見た、俺たちの世界という意味だ。
勘違いしないよう、自分を戒める。
ただ、なるべくイミエルをくさす言葉にならないよう、感心したような表情を浮かべる。
「あ、もしかして殿田先生が怒らなくなったのって……」
「我が御業によるものだ」
天使のくせに、天狗になるんだな。
さすがにちょっとイラついて来た。
だが、我慢だ。ヨイショしながら、なんとか誘導できないか、俺は言葉を選ぶ。
「おお! そうなんですね!
イミエル様は人を正しく導かれるために、降臨されたと……では、その身体を持ち主に返してやってくれませんでしょうか?」
「ふむ……知り合いだったか?」
「ああ、いえ、そういう訳ではないのですが、他人の身体を乗っ取って、世を正すとなると、大きく矛盾しませんか?
世を正すのならば、正しい方法を選ばれるのがよろしいかと……」
「なぜ我が、お前たち脆弱なる人のルールに縛られねばならん?」
これはさすがに俺も絶句した。
異世界のやつらとは、そもそもの理が違うと、組木さんから聞いてはいたが、さすがに傲慢が過ぎる。
怒りや哀しみは不必要と説いて、欺瞞や悪徳が蔓延っているから、世直ししてやろうと言いながら、他人の身体を乗っ取ることは、正しいことだとでも言うのだろうか。
「それはですね……」
俺は携帯を手に『転生者診断アプリ』を起動する。
「俺の若さが、お前の理不尽を壊せって叫ぶからだよ!」
写真を撮る。八十六パーセント。
『すぐに応援呼び出し』のボタンを押しながら、俺は逃げ出した。
「やはり我が意にそまぬ悪徳の輩か! 【天より降る雷槍】!」
跳べ! 魔法だか御業だか知らないが、言葉の完成と同時に俺は跳んだ。
バシッ! と音がすると同時に俺の左足が何かに貫かれたように痛みが走る。
「くそったれえええっ!」
俺は痛みを忘れようと大声を上げて、なおも痛む左足を前に出そうとして、盛大に転んだ。
くそっ! なんでだ!
答えはすぐに分かる。
左足の膝から先が、ぐじゃぐじゃだった。
電撃を食らった痕に見えない。もっと別の何かだ。
一瞬で膝から先を焼きながら、ぐるぐる回転させたように、赤と黒の肉塊にされていた。
痛みは膝からで、その先の感覚はもう無くなっていた。
「ぐがあああああああああっ!」
俺は転げ回る。
「さて、改めて尋ねようか。
お前は何者だ?
答えなければ、もう片足も潰す……」
その場から動くことなく、余裕の表情を見せるイミエル。
だが、その時、イミエルの背後から声がする。
「私らは『妄想☆想士』。
あんたみたいな『再構築者』を専門に扱う害虫駆除業者や!」
「デリュージョン・デザイアー?
大層な名だが、所詮は脆弱な人の身。
徒党を組んだとて、変わるものか……」
「へえ……それならなんで、こそこそと動いとったん?
こっちの世界に、アンタらの脅威になるモンがいるって知っとったからやろ」
此川さんだ。
此川さんが彫刻刀を持っている。
「術士の類いか。
そのように小さな刃物で何とかするつもりか?」
「そうやね。術士やとしたら、この小さな刃物がどうなるか、分かるやろ!」
彫刻刀を前に出す此川さん。
空いた手で彫刻刀に書かれた『このかわまつり』という文字をなぞる。
途端、此川さんの全身から光が溢れたように見えた。
「私の名前。私のもの。聖なる槍グングニール!」
彫刻刀が伸びる。それは彫刻刀の形をした槍だ。
「ふん、それを振るう暇があると思うな!
【天より降る雷槍】!」
バシッ!
此川さんの頭上から雷が降る。
それが当たった瞬間、此川さんがまた光った。
どうやら、その光が雷を弾いたように見える。
「弱いな、アンタ。それで精一杯なんか……」
「なんだと……」
此川さんが挑発する。イミエルはその挑発に怒りを見せる。
怒りと哀しみは悪徳なのでは?
と、頭の片隅で俺の怒りもチラチラするが、痛みがそんな思考を、ガリガリ削っていく。
俺が悶えている間に、此川さんが彫刻刀の柄の部分でイミエルをぶん殴った。
「まだ奪った身体の持ち主が抵抗しとるんやろ?
動きがちゃうから分かるで!」
「がはっ……この魂に響く攻撃は……」
殴られたイミエルは壁に激突して、ふらふらしている。
「しっかりな。今、治したるさかい」
此川さんがボールペンを取り出す。
でかくなった彫刻刀を置いて、俺の袖をめくると、さらさらと『このかわまつり』と書いた。
「これで、ひなせくんは私のモンや!
私のモンなら傷は治る!」
此川さんの書いた名前が光って、俺の身体の自由が奪われていく。
これはアレだ。亜厂の操り人形になった時と同じ状態。
膝から先が生まれ変わるかのように、炭化した部分をボロボロと零して、俺の足が治っていく。
ただし、感覚はない。
相変わらず首から上だけだ。
「さあ、いくで、ひなせくん!」
此川さんが命令すると、俺が立ち上がる。
「おのれ……我が魂に触れるなど、許せぬ……」
「許せんのはこっちや!
いくで!」
「【天より降る……】」
「同じ技は通じんで!」
「【業火の槍】!」
イミエルが放ったのは、マグマの槍だ。
ちゃんと槍の形をしていて、それを指先の動きと連動させて動かす御業らしい。
ポタリ、と落ちたマグマが煙を上げる。
千度とかあるんだろうか。
そのマグマの槍が、イミエルの指先ひとつで自在に飛ぶ。
最初に狙われたのは俺だった。
「無駄や! ひなせくんはもう私のモンやからな!
二人の愛の力があれば、そんな遅い攻撃、当たらへん!」
愛があるかは別として、此川さんの言う通り、俺の身体はまるで舞でも舞うかのように、ヒラリ、ヒラリとマグマの槍を避ける。
俺の身体ってこんなに柔らかかったっけ、と思うような動きもしていて、それがちょっと女性的な動きで、凄い違和感がある。
たまに、ぶちぶちいってるのは、俺の筋が切れてるのかもしれない。
な、治してくれるんだよな?
Y字バランスどころか、I字バランスまでなんて、俺ができる訳がない。
帰宅部の身体は思いの外、硬い。
「ふんっ!」
「きゃあっ!」
此川さんが殴られた。
「馬鹿め! 自分の守りをおろそかにするとはな!」
此川さんの頬が赤く腫れていた。
「このくそ野郎!
何してやがんだ!」
俺は叫ぶ。
「うそ……意識が……」
此川さんは、自身の痛みを忘れたように俺を見ていた。
「おい、よそ見をしていて、いいのか?」
イミエルのサッカーボールキックが此川さんの腹にもろに入った。
「あぐっ……」
此川さんが吹っ飛ばされる。
「此川さんっ!」
「ふん、術士の意識が向いていなくとも避けられるモノか、試してやろう……」
イミエルの指先が踊る。
此川さんを足蹴にしながら、マグマの槍も踊る。
マグマの槍は無秩序に振られ、回り、突きを出す。
こちらへの意識など半分以下なのだろう。
此川さんにストンピングでダメージを与えながら、たまに槍を見る程度だ。
此川さんが俺の身体を操っている以上、此川さんの意識はほぼ俺に注がれている。
つまり、イミエルの蹴りが避けられないのだ。
だが、此川さんはさっきイミエルの雷槍を弾き返していたはずなのに、今はただの蹴りでダメージを食らっている。
何故だ?
先程との違いと言えば、俺だ。
此川さんは、もしかして、自分の防御に回していた『想波』を、俺を操る方に回しているのかもしれない。
だとすれば。
「此川さん、俺は自分で逃げる。戦ってくれ!」
俺が叫ぶが、此川さんは頑なに俺の操作をやめない。
俺の操作をやめないということは、イミエルにいいように蹴られまくるということだ。
「此川さん! 大丈夫だ、信じてくれ!」
もう一度、叫ぶ。
同時に、自分の身体の操作を取り返そうと試みる。
亜厂の時は、これをやると亜厂に負担が掛かっていたようなので、こうすれば此川さんに俺の意思が伝わると同時に、手放さずを得ないはずだ。
マグマの槍が迫る。
俺は俺の意思でそれを避けようとする。
全身に張り巡らされた『想波』の糸が、ぷつぷつと切れていくような感覚がある。
すんでのところで、マグマの槍が俺の頬を掠る。
じゅわり、と肌が焼ける。
痛みだ。
痛みがあることで、俺は俺を認識する。
さあ、逃げよう。
未だまともに『デザイア』を使えない俺は、居るだけで迷惑なのだ。
『再構築者』と戦えるのは、『デザイア』つまり、『想波』を流し込んだ攻撃だけだ。
しばらくすれば、組木さんたち大人が、一般人を保護・情報統制しに現着する。
今、俺にできるのは、此川さんの邪魔にならないよう、逃げることだけだ。
俺は脱兎のごとく逃げ出した。
「愚かな……丸聞こえで、それを許すとでも思ったか!」
腹にマグマの槍が突き立った。
熱いのか、痛いのか分からないまま、俺は転がった。
イミエルにとっては、俺は人質だった。
俺を守るために、此川さんは自分の防御を捨てた。
それが逆転するなら、イミエルの狙いも逆転するだけなのだ。
「さあ、お前の愛する男は倒れたぞ……」
「うぅ……それ、自分を鼓舞するための嘘やねん……」
此川さんは口の端から流れる血を、ぐいと袖で拭って立ち上がる。
「恥ずかしいから、聞かんかったことにしといてな……」
此川さんの言葉は俺に向けてのものだった。
まあ、そりゃそうだ。
亜厂にしても、此川さんにしても、俺との接点なんて始まったばかりだ。
ただ、それは聞こえていたが、俺に答える余裕などある訳がない。
腹がマグマの槍で焼き切れている。
痛みで意識が飛ばないのが、余計に苦しい。
「さあ、助けてやるなら、待ってやる。
この身体もようやく温まって来たところだからな……」
イミエルは余裕そうに拳を開いたり閉じたりして見せる。
俺は、最高にダセェ。
大見得切って、このザマだ。
「もう助けへんよ……」
見捨てられた。
「くくく……見捨てるのか……」
イミエルが指を動かすと、マグマの槍がイミエルの近くに移動する。
イミエルはとてもいやらしい笑みを浮かべる。
だが、此川さんは、袖まくりした自分の腕を、そこに書かれた『このかわまつり』という名前を反対の手でなぞって、宣言する。
「私はなっ!」
此川さんが光る。言うと同時に『長く伸びた彫刻刀』を繰り出した。
俺は誰かに抱き抱えられていた。
腹の辺りから冷たさが押し寄せて来るが背中の触れられたソコだけが温かい。
唇の感触。柔らかく。甘い。
トロリ、としたそれを俺は嚥下する。
「……日生くんは私のモノ。私のモノは壊れない。私のモノはすぐに治る」
亜厂だ。
いつの間にか、来てくれていたらしい。
俺は、有り難いと思うより、申し訳ない気持ちになる。
また、助けられた。
たぶん、『妄想☆想士』には、自分だけのルーティンが存在する。
此川さんが名前を書くように、亜厂は唾をつける。
それが、自分のモノとして認識するための合図なのだ。
大事な行為、なのだろう。
まあ、亜厂の場合、ソレはいわゆる、キスになる……大事、だよな。
お、身体の感覚が消えていく……ただ、相変わらず首から上は俺のものだ。
俺はゆっくりと目を開く。
「亜厂……」
「えっ!? また……」
「ごめん……」
「……」
亜厂は答えない。
「なあ、俺の身体を操作するのにも、亜厂の『想波』が使われてるんだよな……?」
「もう……なんで、意識あるかな……」
亜厂が顔を真っ赤にしているが、俺は俺の言いたいことを言う。
「提案なんだが、俺はまだ『デザイア』が使えない。
この無限の体力みたいなのだけ残して、操作は俺に返してもらうってできないか?」
「……」
「……そう都合よくは無理か───」
「できる、よ。その方が『想波』も少なくて済むし……ただ、心の持ちようが……」
「できるか!
なら、そうしてくれないか?」
俺が頼むと、亜厂はさらに顔を赤くして、うー、うー、と唸り出した。
「もう……日生くんのバカ……」
そうして、亜厂はもう一度、俺にキスをした。
唇と唇が触れるだけのキス。
あれ? 唾は?
いや、変態的嗜好に目覚めた訳じゃない。唾が欲しいとかじゃなくて、亜厂のルーティンは唾をつけることじゃないのか?
俺は混乱しながらも、自分の身体の操作が俺に返ってくるのを感じる。
制服はまたダメになったが、腹の傷はなくなり、俺は無限の体力を得た。
感覚が薄い。これが亜厂のモノでありながら、俺の身体ってことなのかもしれないと感じた。
「ちょお、手伝ってーや!」
此川さんがイミエルのマグマの槍と打ち合いながら、怒ったように言うのだった。




