亜厂《あかり》ほのか 1
人が変わったように見える。
社会がそうさせたのか、家庭環境に問題があるのかは分からないが、最近はそういう人が増えている。
穏やかだった人が急に攻撃的になったり、優しかった人がやけに冷たくなったりしてしまう。
『魔が差す』のだろう。
ただ、それとは別に『魔が刺す』時というのがある。
それは昔、『○○憑き』と呼ばれ、現代では『再構築者』と呼ばれている。
異世界からの転生者。いや、ここは正直に追放者と言うべきか。堕天と言う者もいる。
それを誰が言うのかって?
それはもちろん、『再構築者』の破壊者、『妄想☆想士』、通称DDと呼ばれる政府の英雄たちだ。
警視庁公安部外事六課に所属するTS対策室特殊機動捜査班の者たちだが、その内情は戦術的・超自然対策が主な任務となる。
但し、このことは未だ政府内の極秘事項であり、ウェブ上でまことしやかに語られる都市伝説の域を出ない。
何故ならば、そこに所属する者の大半が年端もいかぬ十代から二十代の若者だからだ。
これは、数奇な運命によって俺、日生満月に降りかかる妄想の物語。
都市伝説程度で聞いて欲しい。
さて、どこから話そうか。
高校一年、初めて亜厂ほのかを意識した時からにしようか。
亜厂はその名の通り、温かな笑顔が印象的な女の子だった。
目鼻立ちは整っていて、なんだかいつも楽しそうにしていて、男女問わずで生徒からの人気は高い。
学業は中の上、部活は帰宅部だが放課後になるといつの間にか居なくなっていて、図書室に入り浸っているだとか、上の学年の彼氏と会っているのではないかだとか、噂があるが、誰も分からない謎があった。
基本的に俺との接点はなかったのだ。
強いて言うなら、席がとなりだった、それくらいの話だ。
俺が彼女を意識するようになったのは、高校生になって少ししてから、四月半ばの春眠不覺曉のことだ。
社会情勢を時事ネタに絡めて話す殿〈殿田という教師〉の、しかしながら単調で全くコチラの意識に残らない話口調を子守唄代わりに午睡を決め込んでいた俺は、ピチュピチュと囀る鳥の声に顔を上げた。
亜厂の寂しそうな横顔が映る。
普段、誰かと居る時には決して見せない表情だ。
となりの席だったから、ペンを握って板書を書き写している姿勢のまま、少し俯き、その寂しそうな顔が見えてしまった。
俺としては予想外だった。
いつも楽しそうに笑っている顔しか意識に残っていない。
まあ、それがいいんだよ、なんて他の男子どもは力説するが、俺にはそれが響くことはなかった。
どうも嘘くさいというか、仮面でも被っているように思えて、亜厂に興味が持てなかったのだ。
だから、俺はその時、亜厂の本当を見てしまったような気がして、随分と呆けた顔をしていたのだろう。
「おい、日生!
俺の授業はそんなにつまらんか?」
「はい! あ、いえ、すんません、聞いてませんでした……」
殿に静かに怒られて、俺は放課後、職員室側のトイレ掃除を言いつかった。
放課後。亜厂は友人たちからのカラオケの誘いを断って、そそくさと消えた。
「あ〜、彼氏でしょ!」
「違うよ〜。でも、外せない用事だから、ごめんね」
「も〜、あかりんも隅に置けないなぁー。ガンバレー!」
愛想笑いを返して亜厂は消えた。
そういえば、そんな噂もあったなと俺が考えていると、友人の結城裕貴から声が掛かる。
「おい、満月、今日は俺ん家でゲームやる約束だろ!」
「ユキユキ、すまん。
日本史の殿に捕まったから、今日は無理だわ」
殿田は日本史の教師で、授業は面白くないし、ねちっこいしで、高校に入ってからすぐに有名人だと先輩方から回覧板が回るような人物だ。
俺に知り合いの先輩はいないが、部活組の一年生に要注意人物として噂が出回っている。
さすがに無視はできなさそうだった。
「ぬおお、なんだよ、せっかく俺の自慢のキャラ見せようと思ってたのに〜!」
「おーけー、おーけー、落ち着くんだ、ユキユキよ。
俺は入学早々、教師に目をつけられる訳にはいかないから、今日のところは大人しくトイレ掃除をする。
ユキユキは、家に帰って、自慢のキャラをレベル上げするんだ。
せめて中級クエストに入れるところまでな。
そうしたら、今度、経験値ウハウハなクエストを教えてやろう」
結城裕貴は俺の中学時代からの友人で、ゆうきゆうきと読めるから、ユキユキだ。
ハーフっぽい純日本人のイケメソで身長百八十超え、バスケ部期待の新人だが、ちょっとお馬鹿。
何故か俺をゲームの師匠として慕ってくれる良い奴だ。
運動神経は良いのに、ゲームは下手の横好きレベル。
俺もゲームが得意というほどではないんだが、ユキユキよりはマシである。
正直、俺よりゲームが上手いやつなんて、ゴロゴロいるが、ユキユキは俺とゲームをしたがる。
でっけえ犬に懐かれてる気分だったりする。
「マジか! ぜってえだぞ!
今度の休みな! 約束だかんな!」
「ユキユキの部活がなかったらな」
「まだ大丈夫! 一年は大して戦力と思われてねえから!」
そんなことはないはずなんだが、俺は頷いておく。
そうして、ユキユキと別れて俺はトイレ掃除に向かったのだった。
亜厂は放課後、どうしてるんだろ?
そんなことを俺は考えていたから、たぶん、やっぱり意識し始めたのはそこが最初だったのだろう。
どうにか掃除を終わらせた頃には、日が落ちる寸前だ。
俺は急いで鞄を取りに教室に戻る。
誰もいない教室で、鞄を掴んで、帰ろうと思うが、ふと見ると、となりの亜厂の席に鞄が置いたままだった。
まだ帰っていないらしい。
図書室? 年上の彼氏?
いやいや、気にしてどうすると頭を振って、教室を出る。
一年生の教室は三階建て校舎の三階だ。
階段に向かおうとすると、一瞬、揺れたスカートの端が見えたような気がした。
タッタッタッ、と階段を上がる音が聞こえた。
普段、屋上は立ち入り禁止になっている。
その時の俺は、本当にどうかしていたとしか思えない。
よせばいいのに、何故か気になってしまったのだ。
帰るなら、階段を降りるべきだ。
だが、俺の足は屋上へ向かっていた。
屋上への扉が少しだけ開いていた。
夕方の冷たくなった風に乗って、誰かの声が聞こえる。
「……してやろうか……」
「……しなさい!」
男女の声。何を言っているかは分からないが、言い争っているようにも聞こえる。
俺は屋上に出る扉のところで、そっと外を覗き見た。
生徒同士、後ろ姿だが女生徒は亜厂のように見える。
対峙する二人。
男子生徒は三年だろうか?
女生徒が携帯の画面を突きつけている。
まさか、やっぱり年上の彼氏なのだろうか?
雰囲気からすると、浮気を問い詰めているとか……。
またもや俺は見てはいけないものを見た気になって、そっとその場を去ろうかと考える。
そうだ。亜厂が三年の先輩と付き合っていて、浮気されていたとして、ただとなりの席なだけの俺には、全く関係ない話じゃないか。
これ以上の覗き見は失礼だ。
やめよう。
そう思った時に、亜厂の寂しそうな横顔が浮かんだ。
男子生徒は肩を竦めて、それからポケットから何か光る物を取り出した。
ナイフを手に走り出す男子生徒。
「危ない! 逃げろっ!」
俺は走り出す、瞬間、亜厂は振り向いて驚いた顔をしている。
違う、こっちじゃない、と思うが、そんなことを説明する暇はない。
逆上した三年生の腕が振り上げられようとしていた。
俺は無我夢中で亜厂を庇った。
背中に衝撃が走る。
「日生くん!? なんで……」
亜厂の見開いた瞳が映る。
俺はどうにか言葉を探す。
「逃、げ……カハッ……」
胸に込み上げるモノがあって、俺の口から真っ赤なナニカが飛び出した。
背中が熱い。
亜厂の瞳が揺れる。
「ちぃっ! 余計な邪魔を……。
仕方ねえ……力が貯まるまでは生かしておいてやる、魔術師……」
三年生が逃げ出した。
なんだ? 自分の彼女を魔術師なんて呼ぶのか? 不自然だな。もしかしてアイツは彼氏じゃない?
俺の頭の中が混乱する。
身体から力が抜けて、俺は大の字に寝転がった。
背中の一点から命が零れそうだ。
そう思っていると亜厂の顔が目の前にあった。
ああ、なるほど、クラスの男どもが惚れる訳だ……。
整った顔に大きな瞳、夕焼け空を背景にした亜厂は綺麗だった。
「日生くん……なんで……うぅ〜、ごめんね……」
なんだか誰かいるのが不思議で、恥ずかしそうに謝られた。
言葉は合っているのに、シチュエーションにそぐわない口調……でも、それは何故か、すぐに分かった。
キス、された。
あれ? 俺、死ぬのか? 今際の際に物欲しそうな顔になってたか? めちゃくちゃダサくないか、ソレ……。
とろり、とした液体が俺の口の中に入り込む。なんだかやけに甘い気がして……。
亜厂の唇が離れて、俺は名残惜しそうに唇を突き出してしまった。
は、はじめてが、亜厂と……。
俺の脳内は薔薇色で、色々な妄想が駆け巡った。背中の痛みを忘れるくらい、亜厂の舌の温かさに集中していた。
亜厂が恥ずかしそうに微笑む。
「唾つけちゃった……」
俺の心臓が高鳴る。なんだその可愛い言い方。
「立って……」
亜厂の命令。
俺は起き上がり小法師のように、ビョインと立ち上がった。
物理法則を無視した俺に、俺が驚いた。
「こほん……日生くんは私の物になりました……傷を治して、私を抱き上げて、下へ。
アイツを逃がさないように!」
宣言された。
お、おおお、俺が亜厂の物だってぇぇぇっ!?
だが、同時に言われた通り、身体が勝手に動く。
なんだこれ?
亜厂のことをお姫様抱っこする。
あ、ちょっと筋肉質で、ちゃんと柔らかい……。
いや、えっと……何してんだ、俺。
亜厂の腕が俺の首に回され、ドキドキする暇もなく、俺の足が勝手に動き出す。
屋上から下へ。
意識の中にソレが刷り込まれている。
そして、走り出した俺は、屋上から下へ向けて、跳んだ。
ダアァァァイブッ!
階段んんんっ!
空に躍り出た瞬間、自分が信じられなかった。
なんとなく、亜厂の命令に俺の身体が従っているのは分かるが、階段あるだろ、俺!
なんで、跳ぶ!
人は空を飛ぶようにはできてないっ!
ズドンッ! 俺の身体に二人分の体重が掛かる。だというのに、俺の身体には階段三段残しで飛び降りたくらいの衝撃しか来ない。
どゆこと?
「正面玄関へ!」
亜厂の命令に従って、俺の身体が走り出す。
「居た! 待ちなさい、ハボリム!」
廊下を走る三年生と外を走る俺が並走状態になる。
ハボリム? また妙なあだ名だなと俺は考えていた。
よくコンビニにある外国産のお菓子とか、そんな名前じゃなかったっけ?
そんな思考とは関係なく、俺は亜厂をお姫様抱っこしたまま走っている。
正直、体力バカなキャラでもない俺が、女性とはいえ、人間一人を抱えて、走り回れるのもおかしな話ではある。
お菓子とおかしな話が頭の中でシェイクされそうなくらいには、俺の思考は混乱していた。
亜厂は俺に抱えられたまま、片手で胸ポケットに入ったボールペンを取り出す。
そして、ボールペンにキスをした。
「これは私の物。だから、大きくなるし、長くなる。硬くもなるし、強くなる……」
ムクムクとソレは言われた通りに大きく、長く、硬く、強くなっていく。
ちょっと下ネタっぽいと思ったが、その形状変化の方が気になって、笑うどころではない。
ボールペンは瞬く間に木刀くらいの大きさになったのだ。
だが、驚いている暇はなかった。
三年生が掌をこちらに向けていた。
何事かを三年生も呟いていた。
すると、掌に光が集まり、それが火の玉のようになって、窓ガラスを突き破り、飛んできた。
「守って!」
亜厂が言うと、木刀ボールペンが勝手に動いて火の玉を打ち返す。
おわっ! ファールボール!
完璧ではなかった。
火の玉は俺の鼻先を掠めるようにして弾かれ、自転車置場で爆発する。
や、やめてくれ! おかしなことが起きすぎて、自分の常識が壊れていく。
いつのまに、現実世界にファンタジーが侵入してきたんだ?
俺は三階から亜厂を抱えて飛んで、かすり傷ひとつなく、無尽の体力を持って、亜厂を抱えたまま爆走。
亜厂はボールペンに卑猥なことを言ったら、ボールペンがムクムクして、木刀ボールペンになった。
浮気した彼氏は掌から火の玉を出して、俺たちを殺そうとして、木刀ボールペンのおかげでどうにか焼き殺されずに済んだ。
なんだ、これは!?
正門前で俺は立ち止まる。
亜厂は俺から降りて、木刀ボールペンを構えた。
そこに浮気者の逆上三年生が飛び出してきて、対峙した。
下校時刻だぞ。
人は少ないが、部活終わりに帰ろうとした人々が、何事かと俺たちを見ていた。
日暮れ直前、校門脇の桜並木は、夕陽に照らされ、オレンジ色に萌えていた。
始まりましたー!
学園伝奇アクションを目指した本作。
皆様に楽しんで頂ければ幸いです。
勢いをつける為に最初の数話は短いスパンで投稿。
それからは曜日を決めて投稿予定。たぶん、月水金。
本格的に決めたら、あらすじにでも入れておきます。