第51話 コバヤシという男
いつも読んで下さって有難うございます。
初めてのセリン視点です。彼女のこれまでの行動の真意がほぼ全て詰め込まれています。
「とまぁ、そういうわけで、今度こそ行ってきます」
そう言って、コバヤシは出て行った。本当に不思議な男だ。
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初めて出会った夜、私は彼を哀れな男だと思った。第零部隊である以上、感情らしい感情は殆ど捨てているが、王国の彼に対する使い捨ての魔道具の様な扱いには流石に憐憫の情が湧いた。
見るからに疲弊しきっていたその男は、驚くべきことに自分の命が危機に晒されていると理解していながら、魔力のブレを殆ど見せなかった。接見した瞬間から、奴の魔力制御技術は卓越しており、これまでずっと実力を隠していたことがすぐに理解できた。
実力を隠し続けていたという事実も加味して、私はコバヤシをここで処理しようと思った。それが、国の安寧を願う王の望みだったからだ。
ただ、孫から散々コバヤシという人間について聞かされていたこともあり、1つだけ質問することにした。当然、返答次第では処理する前提で。
「レイドリス殿下から話は聞いている。何故裏切った我が国を再び救うことを約束したのか、それだけは聞いておきたい」
行きしなに、レイドリス王子から「どうか彼を殺さないであげて下さい。彼の人格もそうですが、あのお方はいずれ来る真の災厄にて必ずや国を救ってくれます!」と熱弁された。
王子の人を見る目は確かだ。しかし、殿下は情にも厚いお方だ。故に、己が目で見定める為に出した問いがアレだった。
正しく命運を分ける問いに、コバヤシは至極投げやりな態度で答えた。
『別に、オーガス王国を救うだなんて一言も言っていませんよ。僕が助けるのは、パロッツと、テラさん、そしてレイドリス王子だけです。特に、レイドリス王子が死ぬことだけは絶対に看過できません』
あまりにあっけらかんとした答えに、啞然とした。私がどういう存在なのか今しがた聞いていた筈だ。常人なら嘘でも美辞麗句を並べ上げ、自身の価値を証明しようとする場面だ。
それにも関わらず、コバヤシは、たった3名しか救う気がないと明言した。あの時の衝撃は、今でも鮮明に思い出せる。
だからこそ、信用に値すると思った。好意的過ぎる解釈かもしれないが、彼の返答は「出来ないことはしない、夢物語は描かない。自分にとって真に大事なものを取捨選択し、それらを何としてでも守り抜く」という覚悟の現れにも見えたのだ。
その覚悟は、暗殺者が常日頃から求められるもの。秤にかけられる幾つもの大切な物の中から迷わず重い方を選び取り、冷徹に軽い方を切り捨てる。そういう、覚悟。
口にするのは簡単だが、人間である以上、これ程困難なことはない。だから、私は監視者として、彼を見極める道を選んだのだ。そして告げた、「……やめだ」と。
返答を聞いたコバヤシの間抜けな顔と声には思わず笑いそうになったものだ。
その後も暫く会話をして夜を迎えた際、私が見張りをすると宣言したことに対し、彼はあっさりと承諾した。
最初は馬鹿なのかと思った。数刻前まで自分を殺そうとしていた女の前で意識を手放すなど、有り得ない選択だ。
だがしかし、そうではないとすぐに思い直した。奴は、私が殺そうと思えばいつでも殺せる程度に実力差が開いていることを既に看破していたのだと。
ずば抜けた魔力感知と制御技術のある人間だ。そこに気付かない訳が無い。
あぁそうだ、一番記憶に残ったのはカラムでの一件だ。この私が見捨てた命に対し、コバヤシはベリューズとの模擬試合で使った魔法を利用して見事拾い上げたのだ。
その光景を見て確信した。3人しか救う気がないという言葉も確かに本心だが、この男は目の前の命を見捨てられない甘ちゃんでもあるのだと。
そのせいだ、そこに気付いてしまったせいで、村を出る間際に門番の遺体を見て深く気落ちする彼につい励ましの言葉をかけてしまったのだ。
冷徹な監視者であろうとした自分が、あの瞬間から揺らぎ始めてしまった。テラにほど近い歳をした繊細な青年を、見守りたいと思ってしまった。
そこからの私はさぞ滑稽だったであろう。監視者として云々と宣言しておきながら、何かあるとすぐに手を貸したり、かと思えば厳しさを見せる為に無駄に借金を取り立ててみたり。ちぐはぐにも限度があると自分ですら感じた。
彼が"登竜門"に1人で登録しに行くと言った時のあの狼狽と、コバヤシの「そ、そうですか、そうですよね。すみません、よろしくお願いします」という困惑した返答は、思い出すと今でも顔が赤くなる。いや、それはもう忘れよう。何としてでも。
問題が発生したのは、帝都ギドに到着し、”登竜門”に初めて訪れたその翌日からだった。こんなちぐはぐな状態でいてはマズいと思うようになった。
原因は単純にして明白、災厄まで時間が無いと知ったコバヤシが、誰の目から見ても明らかに無茶な修行を断行し始めたからだ。
目は虚ろ、頬は痩せこけ、毎日のように満身創痍になり、嘔吐を繰り返す。コバヤシは、私の想像を遥かに超えた義務感を抱える人間だった。
「精神が、その圧倒的な才にまるで追い付いていない」
彼を見て、率直にそう感じた。普通、あの若さであれだけの実力を持つ人間ならば、精神もそれなりに達観しており、安定している筈なのだ。
ところが、彼の精神は安定とは正反対だった。このままでは身を滅ぼす、金剛とか言う召喚者を救うどころではない。そう判断した私は、そこで監視者であろうとすることを止めた。
「コバヤシ、休め」
反論の余地は与えなかった。それ程までに、奴の状況は逼迫していた。
果たして、脅迫の効果は覿面だった。ベイルとか言うチンピラに再会し、ヘルなんとかと言う男を紹介されてからのコバヤシは、見違えるほどに生き生きとしていた。
その活力に比例するように、停滞気味だった成長も著しいものになった。
アグダロトと言う固有魔法を習得し、新しい玩具を得た子供の様な笑みで「セリンさん!ちょっと殴ってみて下さいよ!あ、でも本気はダメですからね!絶対に!!」とはしゃぎ回るコバヤシには、不覚にも微笑ましい気分にさせられてしまった。
奴の成長はそれだけに留まらない。女神ファリス様から1ヶ月で災厄が訪れると聞かされたコバヤシは、慌てふためくどころか、たったの3週間で何とかしてみせると宣言してのけた。
あれほど未成熟だった精神面ですら、短期間で凄まじい成長を見せてきたのだ。
その上、たった1日で「出来ました!新しい魔法!一緒に名前考えましょうよ!僕ネーミングセンス終わってるんで!!」と駆け寄ってきた時には、恐怖すら感じた。
こやつが味方で良かったと、レイドリス王子の言葉は正しかったのだと。
それから何度も奴の実験に付き合わされたが、あの魔法の完成形は、対ビズ戦において間違いなく切り札になると断言できる代物だった。
残った約3週間も、コバヤシは慢心することなく、かと言って無茶をするわけでもなく、粛々と鍛錬を続けていた。
今現在、ここに肉体も精神も疲弊しきっていた青年はもういない。そんな男が明日、世界を救う為に命を賭して強敵に挑むのだ。
「女神ファリス様、どうか彼に勝利の微笑みを……」
信仰など持たない私が、初めて心からの祈りを捧げた瞬間だった。
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