第45話 アグダロト
いつも読んで下さり誠に有難うございます!
「それじゃあ、いきますよ」
「はい、どこからでも」
ヘルさんの構えは隙だらけだ。それだけでなく、弱腰に見える彼の姿勢とは裏腹に、彼の口調からは自信が伺える。益々面白い、これは期待できるな。
“中火”のストレングスで出せるマックスの威力を拳に乗せて、遠慮なしに鳩尾に叩き込む。そこいらの有象無象であれば4,5mは吹き飛び、なんなら意識も飛ぶであろう正拳突き。
「っ!!」
「あ、あの、お怪我はありませんか?」
そんな突きを真正面から受け切った彼は、ほんの数十cmだけ後ずさり、それはそれは心配そうに問いかけてきた。
「……えぇ、大丈夫です。特に異常はありません」
本音を言うと、拳にヒビが入っているかもしれない。俺の拳が彼に触れる直前、彼の周りを揺蕩っていた魔力が瞬時に凝縮され、分厚い鋼を殴ったと錯覚する程の硬度に変質した。
これが、ストレングス……?
「いや~、コバヤシさんが本気じゃなくて本当に良かったです!凄い威力ですね」
額の汗を拭いながら腰を低くする彼に、俺は単刀直入に訊いた。
「あの、今のは一体何なんですか?」
「僕はこれを”アグダロト”と呼んでいます。嘗てギド帝国に実在した人物の名前です。あぁ!勿論発明したのは僕ですよ?……あ!その、決して自慢したいわけではなく」
「落ち着いて下さい。分かっていますから」
彼が自分の力を誇示するタイプでないことは、これまでの会話で散々理解できている。
「では、何故その方の名前を魔法の呼称に?」
「アグダロト・メルク様は、ギド帝国の歴史上唯一人、5文字の名前を持ち帝国部隊のトップになられたお方です。初代”王者の拳”である彼は、生涯に渡り戦場において一度も膝をついたことがなく、その頑強さを以て帝国を守り抜いた傑物。同じ5文字の名前を持つボクが、憧れないわけがないんです」
そういうことだったのか。だから、彼はこの魔法に関してはあれだけの自信を見せていたのかもしれないな。アグダロトを卑下することは、憧憬の的を侮辱するに等しい。
「これだけの実力があるってのに、コイツぁこんな廃屋でビクビクしながら暮らしてんだ。変なヤツだろ?」
「言い方はさておき、ベイルさんの言う通りですよ。ヘルさんの実力があれば間違いなく参の札、いや、弐の札までは取れる筈です」
尤もな疑問をぶつけられたヘルさんは、呟くように言った。
「……だって、痛いの怖いじゃないですか」
これ以上なく率直で、どうしようもなく彼らしい理由だった。
「元々は、その恐ろしい痛みを如何にして軽減するかを考え抜いて発明したものなんです」
「と言うと?」
「ボクの魔力量で発動するストレングスでは、攻撃による痛みと衝撃のカット率は凡そ50%にしかなりません。それだとボクの柔な体は間違いなく痛みに耐えきれません。断言できます!」
なんて力強い弱腰なんだ。へっぴり腰がここまで似合う男を産まれてこのかた見たことがない。
「一方アグダロトは、衝撃こそそれなりに伝わってしまいますが、痛みのカット率はほぼ100%です。言うまでもなく、衝撃が強過ぎると吹っ飛ばされますし、最悪衝撃により骨が折れたりもします。その硬度やカット率は魔力制御技術や、そもそもの魔力量に依存します」
「なるほど」
そうなると是非とも習得したいな。これこそが対ビズ戦における俺の切り札になるかもしれない。
「要するに、痛みが怖いなんて野郎の方が少数派なギド帝国でこの魔法が流行るワケねぇし、第一繊細な魔力制御が出来る野郎もいねぇからコイツにしか使えねぇってワケよ」
「み、身も蓋もない言い方しないで下さいよ~」
「そうですよ、これは本当に凄い魔法です!揺蕩う水の如き魔力の流れからの攻撃なんて予測できません。そこに瞬間的に凝縮、硬化を行った拳をぶつければ、余程の力量差が無い限り一撃必殺の技にもなり得ますよ!」
「そんな使い方、考えたことなかったです。やっぱりコバヤシさんは凄いです……」
「馬鹿だなぁ、そりゃ性格の問題だろーが。お前さんがアグダロトを生み出した理由と、コバヤシがアグダロトを求めた目的が180度違うってだけの話だ」
ナイスフォローだ、ベイルさん。正にその通り、俺は自分の身を守るためではなく、敵を打ち倒すために習得しなければならない。
「それで、お前さんはコレを1ヶ月で習得できそうかい?」
「……どうでしょう。時間的にかなり厳しいかもしれません。ですが、やるしかありません。やってみせます!」
「いいねぇ!その意気よ!!」
「ボクに手伝えそうなことがあれば、遠慮なく言って下さい!ボクがコバヤシさんに出来ることがあるとは思えませんが……」
「とんでもない、宜しくお願いします!」
────────────
出だしの意気込みだけは良かった。だが、アグダロトのイメージが全く掴めないまま、2週間が過ぎた。
その間も魔物狩りや基礎的な鍛錬は多少やっていたから、成長がゼロとは言わないが、アグダロト習得の進捗状況としてはほぼゼロに等しい。
一方で、焦燥感は加速度的に募っている。セリンさんにも助言を求めてみたが、彼女ですらアグダロトの特殊性にはお手上げだそうだ。その事が、余計に俺を焦らせた。
「な、何か他にボクに出来ることはありますか?」
余裕を失っている俺を見て、ヘルさんが声をかけてくれる。何か、か……
「あ~、あると言えばあります」
「何でしょうか!喜んで手伝いますよ!」
パッと顔を明るくするヘルさん。アナタはギド帝国の良心ですよ……
「有難うございます。では、もう一度アグダロトを使ってもらえますか?」
「はい!いいですよ!」
イメージを捉える為に、この2週間で何度も発動してもらい、何度も殴らせてもらった。言葉にするととんでもない内容だが、ヘルさんはノーダメージだ。
これまでの幾度とない試行をもってしても、腑に落ちるイメージは湧かなかった。
これから行うことは、虱潰し的な実験に近い。一回も試したことないし、取り敢えずやってみるか、程度の思い付きだ。
「では、失礼しますね」
魔力を”消火”状態にして、ヘルさんに触れる。やっているのは、たったそれだけのことだ。
例え”弱火”状態であろうと、彼の魔法は外からの魔力を防ぐために凝縮・硬化を起こす。では、もし完全に魔力を絶って触れた場合はどうなるのか。
ヤツとの戦闘においてそんな状況はまず有り得ないと考え、完全にスルーしていた疑問だ。
「これが何かの役に立つのでしたら……っ!」
ヘルさんの表情が驚愕の色に染まる。流石だ、もうこの異常事態を理解したのか。
「ほんの少し粘性のある液体に浸かっているみたいだ」
「そう……ですね。ボク自身初めての経験です。魔力の凝縮が一切起こらないなんて」
俺は今、何の抵抗を受けることもなくヘルさんに触れている。強い衝撃に対しては瞬時に硬化して外力に抵抗し、魔力を伴わない接触に対しては全く抵抗しない。これはまるで……
「ダイラタンシー現象だ」
「だいら……なんだって?オレにも分かるように言ってくれよ」
「水と、そうですね、スタッチを混ぜたものがあれば、目の前で起こった現象と殆ど同じ現象が再現できます。いつか暇があればやってみて下さい」
スタッチは、前の世界で言う片栗粉。水に片栗粉が混ざると、ダイラント流体と呼ばれる特殊な混合物になる。一時期その特殊な性質がウケてTVでよく見かけたものだ。
「何が何だかよくわかんねぇが、お前さん、嬉しそうじゃねぇか」
「分かりますか?」
「そりゃあそうだぜ、顔が大変なことになってんだからよ」
「べ、ベイルさん、その言い方はちょっと……」
「いいんです、前にも言われましたから!」
「えぇ……」
全然よくないけど、そんな些事なんてどうでもいいくらいに嬉しい。この実験でほぼ完全にイメージが掴めた。後は魔力の質を再現さえすればアグダロトが習得できる。
残り2週間、間に合う気しかしないな。
よろしければ、評価、ブックマーク、感想の程よろしくお願いいたします。
何卒!!